四谷のしっぽ お散歩日和

あっちこっち街歩き、カフェめぐり、ガーデニング、
日々の出来事をつらつらと…
そんな感じのごった煮ブログ。

於岩稲荷(田宮神社)

2011-07-10 21:54:00 | 四谷

週末、用事を済ませた帰り道 須賀神社 へ立ち寄りました。

須賀神社は四谷の鎮守様なので年に数回はお参りをしています。

一年の半分を無事過ごせたことに感謝し
残りの半分を無事過ごせますようにと手を合わせ 

次に向かった先は・・・

須賀さんのすぐ近くには田宮さんがいらっしゃいます。

今回は田宮さんのお話。



於岩稲荷 田宮神社 kirakira2

四谷といいますと、ふと頭に浮かぶのが 四谷怪談

あの「お岩さん」ゆかりの神社です。

「四谷怪談」をドラマ、映画、舞台でやる時には出演者、スタッフが
無事の完成を祈りこの神社に参拝します。

閑静な住宅街にひっそりたたずむ小さな神社。
風が吹くと赤いのぼりの竹がしなり、
女性のすすり泣く声のように聞こえます。left ちょっとドキっとします。
昼も夜も人通りがほとんどなく、
ましてや夜は暗いのでかなり迫力がございます。



しかし・・・
私は声を大にして言いたいのです。hi

四谷怪談は鶴屋南北が創作したお話。

四谷に住んでいたお岩さんは健気で
それは素晴らしい女性だったということを。

江戸時代初期、場所は四谷左門町。
お岩さんは徳川家の御家人・田宮又左衛門の娘で
夫の田宮伊右衛門とは仲のいい夫婦でした。

しかし台所はいつも火の車。
そこでお岩さんは家計を支えるため商家へ奉公に出ました。
彼女が田宮家の庭にあった屋敷社(やしきがみ)を信仰していたおかげもあってか
蓄えも増え田宮家は復活。

その話は江戸でも評判となり、近所の人たちもこの幸運にあやかろうと
「お岩稲荷」と呼んで信仰し、江戸でも人気を集めるようになりました。

お岩さんが亡くなって200年後、江戸時代後期。
いまだに根強い人気がある彼女に注目した歌舞伎の作者・鶴屋南北が
台本を書き始めました。
「お岩」という名前を使い、江戸で起こった様々な事件を盛り込んで
脚色して作ったお話、それが「四谷怪談」。

当時、武家の奥さんが奉公に出るなんて恥ずかしいことであったと
思われますが、お岩さんは家のために一生懸命働きました。

怪談話は刺激的で面白いですから、
その作品がひとり歩きして現在にいたっておりますが、
実在のお岩さんは怨念なんて言葉は似合わない素晴らしい女性だったのです。

この神社、お賽銭箱の下にいろんな物が置いてあります。



お願い事がある人はこの紙に書いてお賽銭箱に入れておくと
ご祈祷してくれたり、



お言葉が書かれた紙が置いてあって
今自分の気持ちに一番合う言葉を選んで持ち帰ることができます。
すごくいい言葉が書かれているんです。
これはお守りなのでお財布に入れたりして身につけておくと
いいそうです。

このお言葉にはすごく不思議なことがございまして・・・

ある日のこと、仕事で腹の立つことがあり、
気を静めるためにもと参拝をしました。
重なったお札から1枚だけピロっと飛び出しているものがあったんです。
それを取ると

とらわれず こだわらず さからわず

という言葉が書かれていました。
「おぉぉ~、おっしゃる通り」
と納得しながらも
試しに他のお札を見てみたけれど心にしっくりくるものがありません。

別の日、「もう少し自分の感性を磨かねば」なんて思っていたら
一番上に置いてあったお札に

すぐれた人間へ 力と勇気と信念と

という言葉が書かれていました。
またまた「おぉぉ~」と納得しながらも
試しに他のお札を見てみたけれど心にしっくりくるものがありません。

もしやこの神社は次に誰が参拝に来るかわかっているのではないか
そう思うようになりました。

今回は「自分というものをしっかり持って精神的にもちゃんとせねば」
なんて思っていたら

自己の魂をしっかりつかみ磨いていく

という言葉が出ました、
試しに他のお札を見てみたけれど心にしっくりくるものがありません。

いつ行ってもその時、その人の心に合った言葉を用意して待っていてくれるんです。

信じるか信じないかはあなた次第です・・・nose7
ってな感じでしょうか。

素晴らしき女性、お岩さんは四谷の誇りなのでございます。

コメント (2)
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