メッタ斬りジャリズム

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「とがったところをつぶす人」~新しいものは、いつも「とがったところ」から生まれる~

2004年12月21日 14時44分56秒 | クリエイト関連
とがったところをつぶす人~新しいものは、いつも「とがったところ」から生まれる~

新しいサービスにしろ企画にしろ何にしろ、「とがったところ」というが非常に重要で、それがものの新規性や、面白みというものを生み出す元になっていると思う。それがあるからこそ新しいものが生み出せるし、存在価値が生まれてくるわけで、これが丸くなったらそのものの存在価値もなくなってしまう。

ところが、多くの人間が意見をつけると、往々にして必ずその「とがったところ」が批難の対象になり、角が取れて丸くなってしまう。で、その批難をするのは、きまって「私は正しい判断をします」というような、変に常識人ぶった人なんだよね。でも実は、これが組織における癌なんだと思う。

一見、さも正しい意見のように(狭い範囲では)見えるため、一般的には人々の支持を得やすいが、実は、そうした人々こそ、新しいものを生み出す「芽」を摘んでしまうガン細胞であることに、気づかなくてはならない。

特にうちの会社みたいなところは、いろんなひとがよってたかっていろんな意見をつけていくことで、いつの間にか「とがったところ」が無くなって、凡庸な面白みの無いものになっていく・・・。

リスクばかりを恐れて、「私は常識がありますよ、正しいですよ」というような変に常識人的な(優等生的な)意見が、さも正しいかのように通ってしまう事によって、いつの間にか平凡なものになり、特徴が無くなって面白くないものができる。だから何も新しいものが生まれてこない。

「新しいもの」というのは、必ず「とがったところ」から生まれてくるものだと私は思う。

そこで、最近思うのは、何かを「生み出す」ようなタイプの仕事は、なるべく「一人でやったほうがいいものが生み出せる」のではないかということ。

これは一見、組織による仕事を否定するようで、時代に逆らう逆説的な考え(※)に見えると思うけど、何かを生み出すときにはそのとがったところこそ命であり、大人数の大組織でやれば、それはかならず丸くさせられてしまうと思う。

これを考えると、クリエイティブな仕事はむしろ一人でやるべきで、その証拠にいわゆる「クリエーター」と言われる人というのは、みな一人で(個人の名前で)まず生み出し、それをそのあとで組織の力を借りて展開していく。やはり「生み出す」部分は、一人の力(才能など)によってもたらされているところが多いと思う。


これまでの持論をまとめて見ると・・・

・新しいものは「とがったところ」から生まれる。
・組織の中でいろんな人が意見を付けていく内に、「丸く」なって、平凡で面白みのないものになってしまう。
・そこには必ず「とがったところをつぶす人」の存在がある。
・とがったところをつぶす人とは、変に常識人ぶっていて、「私はいつも正しいですよ~」というような、擬似常識人のことである。
・こう考えると、何かを「生み出す」仕事は、むしろ「一人でやるべき」ではないかということ。


このようになる。
どうだろうか。皆様の意見を求む。


(注)※「時代に逆らう逆説的な考え」・・・組織によって人と協力して仕事を進めていく、いわゆる組織力やマネジメント力が重要であると、過剰にかたよって喧伝されるのが、今の時代の風潮であることを前提としている。