メッタ斬りジャリズム

これからは個人ジャーナリズム(ジャリズム)の時代!しがらみのない自由な立場から世の中をメッタ斬る!

総選挙前でなりふり構わないTBS の偏向報道!あらゆる手段で国民を動かそうとする。カビの生えたまん...

2008年10月05日 17時37分28秒 | Weblog
TBSの偏向報道がひどい。

もうなりふり構わないぞって感じ。


中山大臣の発言を捉えて、まだある麻生内閣の問題人物と題し、いろんな人の過去の問題発言をひっぱってきて、ニュース23にて大々的に特集してた。

麻生のアルツハイマー発言とか、鳩山大臣の友人がアルカイダ発言、中川(酒)の核武装発言など。

さらには野中までわざわざ引っ張り出してインタビューしに行き、麻生批判を長々させていた。

わざわざ野中まで引っ張り出してこなくていいのに。そこまでやるか。

野中は麻生が嫌いで、昔から批判を散々してる。
戦争をしないような人に総理になってもらいたい、とか言ってた。


わざわざ引っ張り出してくるTBS。ニュース23後藤の発言も毎日ひどい。

総選挙前だから、もうなりふり構わないTBS。あらゆる手段を使って国民を煽動しようとする。


しかし
ニュース23は来年春に無くなるんだってね。

筑紫も帰ってこれない状況で、筑紫が消えてから視聴率も極めて下降しているという。

最近では村尾のニュースzeroが好調だ。最初は村尾は人気がなかったのに…。

そこで、みのもんたの『夜ズバ!』としてリニューアルするようだ。

朝もやって夜もやるのか、朝ズバはやめてしまうのか…
朝ズバをやめたら朝の視聴率は下がってしまうな。


こないだカビの生えた高遠まんじゅうを食べてしまった。
カビをあんこだと思い、半分ほど食べて様子がおかしいので半分を残した。
残した半分を翌日以降見たらみるみるうちにカビが広がっていった。

まだ食べてない未開封の高遠まんじゅうも、同様にカビだらけになった。


表面に黒い斑点があちこちにあったので変だとは思ったが、あんこが滲みだしているものだと思って食べてしまったが、内部もカビていたのだと思う。

食べた直後から熱が出たかのように額が熱くなり、気持ち悪くなった。

体内の免疫機構が働いて、体内に入ってきたカビを捕食してたにちがいない。


TBSの偏向報道にも、免疫機構が働いて捕食してほしいもんだ。

『社会を仕掛ける側』から得られる醍醐味は、用意された娯楽を消費する側よりとてつもなく大きく、人...

2008年10月05日 14時55分42秒 | Weblog
やはり一次企業(直接サービスを手がけている)と、
うちのような二次企業(下請け)では全然違う。

なんか悔しいです。


サービス企画、サービス開発なんて、本気でやろうと思ったら、そうそう普通の思考の延長では出来るようなモンじゃないと思う。


ある種、特殊な思考を必要とすると思う。

だからそれに向いた人っていうのは限られていて、
普通のサラリーマンとは違う資質を求められるものだと思う。


「常にビジネス感覚を研ぎ澄まし、」とか「発想力が豊かであること。」とか
書いてある部分がそれに該当する部分だと思うけど、
こんな文字でかけるほど簡単なもんじゃないと思う。
(本気でヒットするサービス企画を求める場合は)


それで、往々にして普通の思考の延長でサービス企画をした場合、
表面的には新しいもの・ニーズのあるもののように見えるけれども、

実際には「ニーズの本質」とはかけ離れているもの、
そして世の中に出してみたら全然売れない・・・
みたいなものになりがち。特にドコモのような古い大企業は。



形だけいい感じのサービス企画ではヒットを狙うのは無理で、

その奥底にある本当のニーズの流れ、消費者の心理を読むのは、

並大抵のことじゃないと思う。



ああ、でも自分もそういうのに関わりたかった。


この世の中では、そういうのがごろごろ転がっている、いくらでも求められているというのに。


直接世の中に仕掛けを仕掛けられるという可能性があらゆるところに転がっていながら、

自分はそれに一つも携われて居ない。


前にも書いたとおり、仕事というのを通じて、人間の幅を大きく超える活動が出来る。

奥深い活動が出来る。

社会全体を直接自分の考えで相手に出来る。


そうした醍醐味が、仕事を通じて感じられる。


本来、仕事はそういう可能性があるものなのに、
何にも携われていないという大いなる損失がある。



最近思うのは、あらかじめ用意された「消費者として利用できる娯楽(エンターテイメント)」

なんて、実は全然表層にある狭いもので、

実は消費者としては全然得ることの出来ない、すごく大きな醍醐味というものが、

「社会に何かを仕掛ける側」

に回ることによって得られるのではないか、

それは消費者として得られる楽しさよりも、ずっと大きな醍醐味や楽しさのあるものなんじゃないかって、
すごく最近そう思う。



だからただ消費者としての目先の娯楽で満足していては全然ダメで、

もっと大きな、醍醐味が世の中には転がっている、そちらを求めていかなくては、

せっかく生まれてきても損失であると思う。



しかし、そちらの醍醐味は、「目に見えにくい」ものであると同時に、

「ある程度の社会的な規定(学歴等)によって規定される」「ある程度の能力が前提となる」

ことなどから、通常はあまりクローズアップされない醍醐味である。



通常、クローズアップされる「楽しさ」というのは、
消費者としての、「用意された楽しさを消費する行為」ばかりである。

これはテレビなんか見てたらよく分かりますね。

テレビでクローズアップされる側はこちらばかり。

でもそれに惑わされていたら、目に見えない大きな醍醐味・社会を仕掛ける側としての醍醐味は、
そういう世界があるということも分からずに終わってしまう。

これは損失である。


つづく

自分が考える「直感」とは、「理論的に思考しているけど、それがまだ自分自身で認識できていない状態...

2008年10月05日 14時43分40秒 | Weblog
自分は、「直感」とは、

「論理的に正解を導いているんだけど、その論理の過程が、自分ではまだ認識できていない状態」

・・・だと思うなあ。



ちゃんと理屈が通っていて正しいことを導き出してはいるんだけど、

その時点ではまだ自分ではその筋道が見える状態になっていない。

だから「感覚」みたいに見えるけど、

実はちゃんと脳の中で理論的な裏づけがある。



だから直感で「これ!」と思って、

その後冷静に分析をしても、ちゃんと理論が通っていたりする。


その時は理論の筋道が見えなかったけど、

後で考えると、「こうだからあの時こう思ったんだ!」ということがある。



だから「理論的に思考しているけど、それがまだ自分自身で認識できていない状態」

これが直感だと自分は思う。



だから結構、直感って正しかったりする。

裏では論理が出来ているのだから。それはあとで見えてくるもの。



その瞬時の、かつ無意識の理論構築の大元は、やはり日々の積み重ね(バックボーン)が背景になっており、

日々の中で、いかに「持論」(自分なりのものの見方、ポイントのような)
を溜めて持っておけるか、ということが元になるものだと思う。



以前にもこんなことをブログに書いたような、数年前に。



参考までに↓

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【書評】人生のすべてを決める鋭い「直感力」(リン A・ロビンソン著、三笠書房)


 「直感力」というものを意識したことはあるだろうか。私自身は直感人間とは言わないまでも感覚的に判断することが多い。そんな自分を肯定してもらったような内容
に感じる。著者の言葉を借りると直感とは、「知識や経験に裏付けされた瞬間的な判断の表出」だという。

 「ヤマカン」「いい加減」「行き当たりばったり」「当たるも八卦当たらぬも八卦」。直感と聞いてこう連想する人も多いのではないだろうか。ある人材関連企業の
調査では、企業経営者の45%が事実や数字よりも直感に頼って経営しているという結果が出たという。事実や数字を分析することが重要なのは言うまでもないが、ビジネ
スの有効なツールとして直感が役立っているのもまた事実なのだ。

 直感とはどこからくるのだろうか。考えられることとして1つは過去の知識の集積、2つ目は「天の声」である。1つめの考え方によれば、どう行動すればいいかを
示すパターンや手掛かりを過去の知識に照らし合わせて瞬間的に見極めているという
ことになる。2つ目の天の声とは、結局は内なる導きだと考えている人も少なくない。

 直感の正しい感じ方の目安として、身体感覚がポイントになるという。正しい判断
をした時に感じるサインは、安堵や情熱、意欲などがある。良くない判断の時は、胃が「キュー」と痛むこともある。

 また直感は自分に対する正しい質問によって導かれるという点も重要で、心静かにくつろいだ状態で「どうすればできるか」「~するにはどうしたらいいか」と想像力
を引き出す自問をするとよいという。

 直感は訓練をすれば磨かれるもので、鍛え方なども本書で紹介されている。採用面接や営業、創造的なアイデア出しやブレーンストーミングなどにも直感を活用する方
法が事例として紹介されている。

[2008年9月19日]


http://it.nikkei.co.jp/digital/news/index.aspx?n=MMIT1h000019092008