メッタ斬りジャリズム

これからは個人ジャーナリズム(ジャリズム)の時代!しがらみのない自由な立場から世の中をメッタ斬る!

事前の「情報」に馴らされてしまったミサイル発射。バーチャルな「情報」に反応し、実際の「現実」に...

2009年04月05日 18時55分55秒 | Weblog
寝てる間に北朝鮮にミサイルを撃たれてしまった。

「日本列島をミサイルが通過する」というとんでもないことなのに、みんなの反応は至って冷ややかだな。

事前に情報が飛び交い、その情報に馴らされてしまっていたので、その反動で「なーんだ」という感じになってしまっている。

本当は重大なことであるにも関わらず、拍子抜けみたいな感じになっている。

事前に情報があり過ぎたな。だから実際の時に冷めてしまった。
「情報」に馴らされてしまった。


これは今の時代を象徴するようで、大変興味深い。
情報があり過ぎることが、かえって事の本質を見失わせるという現代特有の現象。

バーチャルな「情報」の方に反応して馴らされてしまい、実際の「現実」に対しては不感症になってしまうという逆の現象が起きている。


突然、撃ち込まれた方が「ふざけんな!」という感じになり国民は北朝鮮に怒ったかもしれない。


前回のミサイル発射は事前通告がなかったので、みんなびっくりした。
今回は事前通告で、事前にマスコミの情報が有りすぎた。


みんな冷ややかだ。「つまんない」という反応で、北朝鮮に対する怒りはほとんどないみたいだ。

しかし本来は重大な出来事のはず。日本列島をミサイルが飛び越えたわけだから。
事前の情報に馴れてしまって、事の重大性が見失われてしまっている。
これは現代特有の現象として、着目すべきものと思う。



マスコミも冷ややかだ。

一応、各局特番をやったらしいが、それも一時間程度でそんなに長くやるわけじゃない。
あとは普通のバラエティーだ。

NHKですら一時間程度ですぐに「のど自慢」、TBSは極端に短い扱いだったようだ。


もう数日すれば何事もなかったようになるだろう。マスコミも誰も取り上げないだろう。
そしてまたいつもの麻生叩きが再開される。

こんなボケた国だから、北朝鮮はやりたい放題だな!!

日本の平和ボケはますます加速しそうだ。



テレビ朝日のミサイル発射直後の特番では、北朝鮮寄りの『客員教授』にコメントを取りに行き、

「北朝鮮の脅威を逆に利用して、日本をある方向に持っていこうとする勢力が存在する」

というコメントを流していたという。
2ちゃんねるで、一部指摘があがっている。


ミサイルが日本を飛び越えていながら、直後からもうこれだ。
とんでもないよね。今の日本のマスコミは。


この吉田康彦という『客員教授』は、北朝鮮の人道支援の会の代表を務める人間だという。


どっからわざわざこんなやつを引っ張り出してくるんだろうね。
客員教授とは名ばかりで、北朝鮮の工作員じゃないか。
さすがテレビ朝日だ。
ミサイル発射直後から、反日に全力だ。


その¨客員教授¨のコメントの全文は以下の通り。
実際の映像シーンも付ける。

------

6:名無しさん@九周年 :2009/04/05(日) 15:24:55
ここぞとばかりにテレ朝が堂々と反日・北朝鮮シンパの客員教授を引っ張り出してきました


吉田康彦

「日本だけが言葉は悪いが大騒ぎしている」
「北朝鮮の脅威を逆に利用して日本をある方向に持っていこうとする勢力が存在する」
「短期的には麻生内閣の支持率向上に北朝鮮の脅威を利用する」
「長期的には日本もミサイルを持って核武装して脅威に対抗すべきであるという」
「そういう議論が国民的世論としておこるのを期待している」
「そういう生き方に日本人がこれから活路を見出そうという人たちにとっては北朝鮮の脅威 特に今回のミサイル人工衛星の打ち上げは絶好の材料」


吉田康彦
・「北朝鮮人道支援の会」代表
・靖国神社への参拝を批判
・永住外国人への参政権付与には賛成
・捕鯨には反対
・拉致問題否定派

北朝鮮ミサイル発射で幼稚園に取材に行く「バンキシャ! 」の報道には呆れた。この日本のマスコミの程...

2009年04月05日 18時49分13秒 | Weblog
さっきやってたバンキシャが一番ひどかったな。

ミサイル発射当日なのに、いきなりトップから昨日の誤報批判で政府叩き。

それから秋田で「野焼き」が延期になった話から、幼稚園で子供たちに笛を持たせて対策を取ってる話、幼稚園でカーテンを閉めてミサイル落下の際に出る「光(?)」を浴びないよう対応をしてる話など、
どうでもいい話のオンパレード。

ミサイル発射当日に、そんな話どうでもいい。


今日のことはやらずに、誤報叩きとくだらん野焼きと幼稚園の話だ。


日本テレビは単なるお祭り騒ぎにしておちゃらけてる。

マスコミのあまりの程度の低さに呆れる。

まぁバンキシャらしい切り口から斬り込みたいという想いがあるんだろうけど、ミサイル発射直後にそんな話を誰も誰も求めてない!


何が重要なことなのか、作ってる側は何も分かってないで番組作ってるんだろう。

だから、ミサイル発射で幼稚園に取材に行ってしまう!!

今日のこのバンキシャはいい笑いものだ!


2ちゃんねるもみな呆れてる。あまりに程度の低いマスコミに↓

----

262:2009/04/05(日) 18:05:00.08
発射後、誤発射についてこんなに報道してんのこの番組くらいだ


279:2009/04/05(日) 18:05:19.16 ID:LPhxZ4bu
視聴者の多くは誤探知や迎撃体制がどうより 今日の発射とそれに対する今後が知りたいんだろ
何どうでもいい内容をネチネチと報道してるんだ

166:2009/04/05(日) 18:03:15.72 ID:AXGW0ynk
ミスのほうが重点におかれてるって あふぉだよなー
これは酷いな・・・・揚げ足取りしかしない糞マスゴミは何がやりたいんだ


172:2009/04/05(日) 18:03:24.73 ID:511j8fIT
ミサイル飛来じゃなくて誤探知をトップで批判かよ。
アホかこいつら。
不祥事したことだしマジでとっとと打ち切りにしろよ。



188:2009/04/05(日) 18:03:47.25 ID:ab6HkCuh
つうか今日飛んできたミサイルの方話題にしろよw
馬鹿なの?この番組


155:2009/04/05(日) 18:03:04.48 ID:+sFRG9B/

ミサイル発射より誤探知をTOPにもってくるバンキシャに呆れて飛んできました!


463:2009/04/05(日) 18:07:08.38 ID:dZI/HQoL
なんか軸がぶれてんだよなぁw
不安を煽る事がテレビ局の仕事なのか?


482:2009/04/05(日) 18:07:20.04 ID:+sFRG9B/
どうでもいい話を、なんでこんな祭りのように報道するの?
北朝鮮に対して怒りの声を報じろよ!!!!!!!


502:2009/04/05(日) 18:07:40.19 ID:9OtNp+r0
ミサイル発射の日に、昨日の誤報叩きww


531:2009/04/05(日) 18:08:24.86 ID:+sFRG9B/
前はバンキシャも福澤もここまで酷くなかったのに。
いつの間に辛坊含めおかしくなっちゃったんだろう。
クズマスゴミ。


543:2009/04/05(日) 18:08:42.08 ID:59YflftE
なんか茶化しててむかつくな。
さすがチョンキシャ

『内面的な2008 年』を振り返る。6 月~11月は好調。12 月に入って失速。頭を使って考える事を遠ざけ...

2008年12月30日 14時39分20秒 | Weblog
2008年も終わりですね。

今年を振り返ると、途中までは調子が良かったのに12月に入ったあたりから急速に失速してしまったのが非常に痛いですね。

今年は全般的には結構いい年で、内面的にはあらゆる意味でやることがいっぱいあって、興味関心や知的好奇心の向く方向性が広がって、あれこれ興味を持ってあれも知りたいこれも知りたいと、情報の波に溺れかけながらも、いろいろ考えて自分の考えをまとめて、新しい考えを生み出したり体系化したりと、生み出す方向でもやることがいろいろで、「こりゃキリがないなあ」と思ったりしつつも、一方では社会の奥深さや醍醐味を垣間見て、今は関われてはいないけどそういう社会を仕掛ける側からの奥深い醍醐味溢れる世界が広がってることを新たに認識して、さらには将来に対して不安定ながら夢を描いたりまた不安になったり…などなど。
あらゆる楽しさや良さが『集積』した"集積の効果"があったなぁって。


自分の中では(頭の中では)いろいろな方向に、多方面に渡りやることが尽きなかったのですが、何故か12月に入ったあたりから急速に失速して、なんだか無気力というか否定的な感じになってしまったなぁ。自己否定のような…。

このままでいいんだろうか、とか、自分がやろうとしてることは本当にいいのだろうかとか、自分を否定するような考えが頭をもたげて来て、それで、考えることを遠ざけて蓋をしてしまって、目先の娯楽に走って(ちょうどブルーレイレコーダーを買った時期と重なる)、それがさらに自分の中身に対する刺激を奪ってしまうことにもつながっていき(頭を使うことをしなくなった)、不安が頭をもたげてくるようになり失速したというのが実態かなぁ。


まぁそもそもは環境要因からして、自分の中身に対して刺激を与えるような環境になってないことがそもそもの土台なんだよね。
だから常に自分の内なるエネルギーを鼓舞して自分に刺激を与え続けたり、自分自身に目標を設定し続けたりしないといけない。


自分が置かれた社会的環境要因がしっかりしてれば、そんなに難しく考えたりしなくても、自然に刺激を受けて意欲が引き出されたり、自ずと目標が設定されたり自分の価値が引き出されたり、またそれを自らも認識出来たりと、自然の流れの中でそういうことが出来て行くんだろうが、
今、自分が置かれている社会的環境は、残念ながらそうではないので、これからもしばらくは内なるエネルギーとして自分自身をなんとかして鼓舞するようにしていかなければならないという位置付けにあるのだ。

自分はこのままでいいのか不安になるなあ。


自分は考えることをしないとかえってダメになるんですね。
最近ブルーレイレコーダーを買ったせいか、そればかりいじってテレビを見る機会が増えたが、反面深い部分の話で、頭を使って考えることが減ったせいか、刺激がなくなって結果的につまらなくなった気がするし、詰まるところ、これが過ぎれば自分自身に対して自信が持てなくなり自分自身に対して不安になっていく気がする。

つまりはある程度難しい環境に置かれた方が自分に取ってはいいと。ある程度難しい環境で、頭を使って考えることがあるような…。

ふだんの生活や遊びの面ではそんな深く頭を使う局面はないわけだから、やはり自ずと仕事でそういうのがないと苦しくなってくるのかなと思いますね。また、遊び・ふだんの生活でも完全に頭を使うことを遠ざけてしまうと、かえって自分には刺激がなくなり詰まらなくなる、ということですね。(そして自分が不安になる)


しかしここでいろいろ述べていることは、全て自分の中、自分の頭の中で起きていることを『失速した』とか『調子が良かった』とか言ってるわけで、周りから見た人見てる人には、
なんのこっちゃ
と思うでしょうね。

なんのこっちゃどころか
『ずっと失速してるだろ』
と言われそうだなーはたから見れば。


その辺のところも嫌ですね。内面のことは周りからの見た目には分からないからねぇ。
それでどうこう言われて、外形的に見える部分だけでどうこう言われたり判断されるのが一番嫌ですね。


しかし内面的なものが表に出る機会はなかなかないし、また出たとしてもそれを理解して良さを分かってくれる人というのは、そうそういるもんじゃない。


特に今の時代の風潮はそれとは正反対の、対局のところにある。

ホント、表に見えるもの、上辺だけのもので流れて行ってしまう、落ち着きのない深みのない時代が今の風潮だと思いますね。


これを顕著にしてるのがテレビメディアなんだけどね。
政治だって、本当は深い複雑な問題がいっぱいあるのに、そこには一切触れずに問題を単純化して、単純化に単純化を重ねて最終的には『二者択一』ぐらいの形まで単純にしてしまってから、視聴者の前に持ってくる。

『郵政民営化に反対ですか?賛成ですか?』

みたいに。


これほど深い部分を見ず上辺の表層だけの雰囲気で流れていくものはない。


そういうテレビメディアが作り上げる現代の風潮を、うまーくつかんで乗っかったのが小泉だったわけだが(郵政民営化賛成ですか?反対ですか?の二者択一も見事に成功。反対したら悪者扱いで事実上賛成しか選択できなくなった)、そういうことがいいたいんじゃなくて、今の時代は特に内面的な中身を見てもらうのは困難だねって話。
だから周りから見たら、ずっと失速してるみたいに見えるだろう。



そんなことで今年は年の最後になって失速したわけだが、6月から11月ごろまでは調子が良かった。

そう考えると、なかなかいい年だったように思う…。


しかしサブプライム問題に端を発し景気が急速に失速したように、最近の失速を立て直せるかな?自分を取り戻せるだろうか?

小さなことだが、この文章を書いてたら、だいぶ自分の奥底にある何かを少しずつ取り戻せつつあるような気がしてきた(笑)。

こういう小さなことすら、目先の娯楽やラクさにかまけて遠ざけていると、いつの間にか自分の奥底にあるものまで遠ざかってしまって、見失ってしまう感じがするなあ。


最近は文章すら書く気が起きなかったから。自分の奥底にある大事なものを見失って、刺激もなくなって意欲を失ってさらに目先のラクさに走るから自分自身を見失うみたいな悪循環。来年は断ち切れるかな?


これから帰省します!
よいお年を。

録っても出口なし。SONY のブルーレイ。なぜかMr.Children ばかり自動録画されていく…

2008年12月14日 03時49分21秒 | Weblog
先日買ったソニーのブルーレイレコーダー(X95)、先週から使い始めてるけど、自分の好みを類推していろいろ勝手に機械が録画してくれるのはありがたいが、そんなん見る時間がない。

なんか録ったものを見てる時間って、虚しい気がしてね。よほどの番組じゃないと。他にやることもあるし。
だから録っても出口がない…

しかも一度スカパー!お試し期間のMr.Childrenのスペシャルを録ったら、以降毎日のようにMr.Childrenのプロモーションビデオを勝手に録画しやがる(笑)

さらにはニュースを一度録画したら、変な深夜のNNN24とかスカパー!の朝日ニュースターのニュースとかBSニュースとか、いらんもんばっかり録ってきやがる。

もう少し使いこめば、学習して賢くなってくれるんだろうね?

しかしNHKのMr.Childrenの特集番組が自動で録れてたのは良かった。
こんな番組あったんだ!と思って。
ハイビジョンで高音質で綺麗に録れてたので、保存版になる。曲部分だけ取り出してアーカイブになるな。

おまかせ録画のキーワードとして、いきものがかりとチャットモンチーをまず設定した(笑)。

なんか音楽番組ばっかり見てるな。音楽は繰り返し視聴に耐えうるからなあ。

音楽とニュースと、あとはリンカーンとかヘキサゴンとかナイナイとか。

しかしいろいろ録っても出口がない。録ったものを見るのには時間が必要になるし、よっぽど他にやることのない時代ならまだしも、そんなことばかりしてらるるような時代じゃない。

こうして見ない番組が溜まっていき、いつもハードディスクをいっぱいにしてしまう自分…
しかし消すのももったいなく感じてしまうという変な癖がある…

出口なし。SONYのブルーレイ。

「視聴率とは、映像表現・映像文化を狭めるもの」…視聴率に自ら縛られて自由な発想が出来ずに閉塞感...

2008年11月15日 22時11分59秒 | Weblog
日経ITプラスの連載記事「テレビの未来」の江口氏が興味深い記事を書いていたので、コメントを投稿しました。
以下の通り↓


2008年上半期のゴールデンタイムの視聴率トップは、なんと民放ではなくNHKがトップだったということだが、
視聴率にあんなに血眼になっている民放局が、NHKに敗れ去るという現象は、なんとも皮肉ですね。

何のために民放は「なりふり構わず(低俗だと批判を浴びようとも)」視聴率を追いかけてきたのか・・・。



ひとえに、「視聴率とは、映像表現・映像文化を狭めるもの」だと私は思う。


前提として視聴率を追い求める必要のないNHKは、幅の広い視点から、自由な映像表現をしている。BSのNHKを見ても、自由な発想で新しい番組に取組んでいるも
のがある。いい味を出しているものもある。



一方民放では、視聴率に自ら縛られている。チャンネルを変えられるのが怖い。だからあれをしちゃダメこれをしちゃダメ…自らをあらゆるしがらみに縛り付けている気
がする。



チャンネルを変えられないように派手な効果音を入れて、テロップで画面中を書きまくり、山場でCMに行ってCM明けにあらすじを戻って繰り返し、VTR中に常にタ
レントの顔をワイプで抜いておく・・・などなど。

こうしなきゃいけないという、業界の常識のようなものを自ら作り、それに縛られて、自由な発想での番組作りが出来ない。皆が同じような番組になる。



「視聴率から逆算した発想」でしか番組制作が出来なくなった結果、現実の一般人の感覚からはどんどん”乖離”していき、「どうでもいい番組」が横行するようになる。

特に社会に出ている人間から見ると、民放の番組は社会感覚から大幅に乖離してしまっている。だから大人から見ると「くだらない」「どうでもいい」「取るに足らな
い」ものと映る。


いまどき民放の番組で喜んで見ているのは、小学生からせいぜい中高生ぐらいまでではないかと思う。


今や、インターネットによって、細分化されたこと細かな情報がいくらでもある。自分の興味・嗜好にあった「個人にフィットする情報」がいくらでも転がっている。

それぞれの詳細に細分化された嗜好に、それぞれ合うコンテンツがある。

画一的で、かつ視聴率から逆算されて作り上げられた「お仕着せのコンテンツ」など、価値がないのは明白だ。



まさに民放こそ「閉塞感」に覆われている業界であり、その結果、映像表現・映像文化を非常に狭めてしまっている。


自由な表現で、自由な発想から番組が制作できるNHKが、視聴率の面でもいい結果をもたらすというのは、ある意味当然の結果ではないかと思えてくる。



NHKの存在意義は、「視聴率という単一の尺度に規定されずに、映像文化の多様性を担保できる」こと。
多様性こそ意義があり、価値がある。視聴率により多様性が損なわれた民放は、価値を失っている。



視聴率を必死に追い求める民放がNHKに敗れるというこの皮肉な現象は、単に番組の良し悪しという側面だけではなく、業界全体の大きな”構造的な問題”が投影され
た結果であると、私は思う。


http://e_gucci.typepad.com/tv/2008/10/%EF%BD%8E%EF%BD%88%EF%BD%8B%E8%A6%96%E
8%81%B4%E7%8E%87%E3%83%88%E3%83%83%E3%83%97%E3%81%AB%E6%80%9D%E3%81%86%E3%81
%93%E3%81%A8.html?cid=136005095#comments

総選挙前でなりふり構わないTBS の偏向報道!あらゆる手段で国民を動かそうとする。カビの生えたまん...

2008年10月05日 17時37分28秒 | Weblog
TBSの偏向報道がひどい。

もうなりふり構わないぞって感じ。


中山大臣の発言を捉えて、まだある麻生内閣の問題人物と題し、いろんな人の過去の問題発言をひっぱってきて、ニュース23にて大々的に特集してた。

麻生のアルツハイマー発言とか、鳩山大臣の友人がアルカイダ発言、中川(酒)の核武装発言など。

さらには野中までわざわざ引っ張り出してインタビューしに行き、麻生批判を長々させていた。

わざわざ野中まで引っ張り出してこなくていいのに。そこまでやるか。

野中は麻生が嫌いで、昔から批判を散々してる。
戦争をしないような人に総理になってもらいたい、とか言ってた。


わざわざ引っ張り出してくるTBS。ニュース23後藤の発言も毎日ひどい。

総選挙前だから、もうなりふり構わないTBS。あらゆる手段を使って国民を煽動しようとする。


しかし
ニュース23は来年春に無くなるんだってね。

筑紫も帰ってこれない状況で、筑紫が消えてから視聴率も極めて下降しているという。

最近では村尾のニュースzeroが好調だ。最初は村尾は人気がなかったのに…。

そこで、みのもんたの『夜ズバ!』としてリニューアルするようだ。

朝もやって夜もやるのか、朝ズバはやめてしまうのか…
朝ズバをやめたら朝の視聴率は下がってしまうな。


こないだカビの生えた高遠まんじゅうを食べてしまった。
カビをあんこだと思い、半分ほど食べて様子がおかしいので半分を残した。
残した半分を翌日以降見たらみるみるうちにカビが広がっていった。

まだ食べてない未開封の高遠まんじゅうも、同様にカビだらけになった。


表面に黒い斑点があちこちにあったので変だとは思ったが、あんこが滲みだしているものだと思って食べてしまったが、内部もカビていたのだと思う。

食べた直後から熱が出たかのように額が熱くなり、気持ち悪くなった。

体内の免疫機構が働いて、体内に入ってきたカビを捕食してたにちがいない。


TBSの偏向報道にも、免疫機構が働いて捕食してほしいもんだ。

『社会を仕掛ける側』から得られる醍醐味は、用意された娯楽を消費する側よりとてつもなく大きく、人...

2008年10月05日 14時55分42秒 | Weblog
やはり一次企業(直接サービスを手がけている)と、
うちのような二次企業(下請け)では全然違う。

なんか悔しいです。


サービス企画、サービス開発なんて、本気でやろうと思ったら、そうそう普通の思考の延長では出来るようなモンじゃないと思う。


ある種、特殊な思考を必要とすると思う。

だからそれに向いた人っていうのは限られていて、
普通のサラリーマンとは違う資質を求められるものだと思う。


「常にビジネス感覚を研ぎ澄まし、」とか「発想力が豊かであること。」とか
書いてある部分がそれに該当する部分だと思うけど、
こんな文字でかけるほど簡単なもんじゃないと思う。
(本気でヒットするサービス企画を求める場合は)


それで、往々にして普通の思考の延長でサービス企画をした場合、
表面的には新しいもの・ニーズのあるもののように見えるけれども、

実際には「ニーズの本質」とはかけ離れているもの、
そして世の中に出してみたら全然売れない・・・
みたいなものになりがち。特にドコモのような古い大企業は。



形だけいい感じのサービス企画ではヒットを狙うのは無理で、

その奥底にある本当のニーズの流れ、消費者の心理を読むのは、

並大抵のことじゃないと思う。



ああ、でも自分もそういうのに関わりたかった。


この世の中では、そういうのがごろごろ転がっている、いくらでも求められているというのに。


直接世の中に仕掛けを仕掛けられるという可能性があらゆるところに転がっていながら、

自分はそれに一つも携われて居ない。


前にも書いたとおり、仕事というのを通じて、人間の幅を大きく超える活動が出来る。

奥深い活動が出来る。

社会全体を直接自分の考えで相手に出来る。


そうした醍醐味が、仕事を通じて感じられる。


本来、仕事はそういう可能性があるものなのに、
何にも携われていないという大いなる損失がある。



最近思うのは、あらかじめ用意された「消費者として利用できる娯楽(エンターテイメント)」

なんて、実は全然表層にある狭いもので、

実は消費者としては全然得ることの出来ない、すごく大きな醍醐味というものが、

「社会に何かを仕掛ける側」

に回ることによって得られるのではないか、

それは消費者として得られる楽しさよりも、ずっと大きな醍醐味や楽しさのあるものなんじゃないかって、
すごく最近そう思う。



だからただ消費者としての目先の娯楽で満足していては全然ダメで、

もっと大きな、醍醐味が世の中には転がっている、そちらを求めていかなくては、

せっかく生まれてきても損失であると思う。



しかし、そちらの醍醐味は、「目に見えにくい」ものであると同時に、

「ある程度の社会的な規定(学歴等)によって規定される」「ある程度の能力が前提となる」

ことなどから、通常はあまりクローズアップされない醍醐味である。



通常、クローズアップされる「楽しさ」というのは、
消費者としての、「用意された楽しさを消費する行為」ばかりである。

これはテレビなんか見てたらよく分かりますね。

テレビでクローズアップされる側はこちらばかり。

でもそれに惑わされていたら、目に見えない大きな醍醐味・社会を仕掛ける側としての醍醐味は、
そういう世界があるということも分からずに終わってしまう。

これは損失である。


つづく

自分が考える「直感」とは、「理論的に思考しているけど、それがまだ自分自身で認識できていない状態...

2008年10月05日 14時43分40秒 | Weblog
自分は、「直感」とは、

「論理的に正解を導いているんだけど、その論理の過程が、自分ではまだ認識できていない状態」

・・・だと思うなあ。



ちゃんと理屈が通っていて正しいことを導き出してはいるんだけど、

その時点ではまだ自分ではその筋道が見える状態になっていない。

だから「感覚」みたいに見えるけど、

実はちゃんと脳の中で理論的な裏づけがある。



だから直感で「これ!」と思って、

その後冷静に分析をしても、ちゃんと理論が通っていたりする。


その時は理論の筋道が見えなかったけど、

後で考えると、「こうだからあの時こう思ったんだ!」ということがある。



だから「理論的に思考しているけど、それがまだ自分自身で認識できていない状態」

これが直感だと自分は思う。



だから結構、直感って正しかったりする。

裏では論理が出来ているのだから。それはあとで見えてくるもの。



その瞬時の、かつ無意識の理論構築の大元は、やはり日々の積み重ね(バックボーン)が背景になっており、

日々の中で、いかに「持論」(自分なりのものの見方、ポイントのような)
を溜めて持っておけるか、ということが元になるものだと思う。



以前にもこんなことをブログに書いたような、数年前に。



参考までに↓

-----

【書評】人生のすべてを決める鋭い「直感力」(リン A・ロビンソン著、三笠書房)


 「直感力」というものを意識したことはあるだろうか。私自身は直感人間とは言わないまでも感覚的に判断することが多い。そんな自分を肯定してもらったような内容
に感じる。著者の言葉を借りると直感とは、「知識や経験に裏付けされた瞬間的な判断の表出」だという。

 「ヤマカン」「いい加減」「行き当たりばったり」「当たるも八卦当たらぬも八卦」。直感と聞いてこう連想する人も多いのではないだろうか。ある人材関連企業の
調査では、企業経営者の45%が事実や数字よりも直感に頼って経営しているという結果が出たという。事実や数字を分析することが重要なのは言うまでもないが、ビジネ
スの有効なツールとして直感が役立っているのもまた事実なのだ。

 直感とはどこからくるのだろうか。考えられることとして1つは過去の知識の集積、2つ目は「天の声」である。1つめの考え方によれば、どう行動すればいいかを
示すパターンや手掛かりを過去の知識に照らし合わせて瞬間的に見極めているという
ことになる。2つ目の天の声とは、結局は内なる導きだと考えている人も少なくない。

 直感の正しい感じ方の目安として、身体感覚がポイントになるという。正しい判断
をした時に感じるサインは、安堵や情熱、意欲などがある。良くない判断の時は、胃が「キュー」と痛むこともある。

 また直感は自分に対する正しい質問によって導かれるという点も重要で、心静かにくつろいだ状態で「どうすればできるか」「~するにはどうしたらいいか」と想像力
を引き出す自問をするとよいという。

 直感は訓練をすれば磨かれるもので、鍛え方なども本書で紹介されている。採用面接や営業、創造的なアイデア出しやブレーンストーミングなどにも直感を活用する方
法が事例として紹介されている。

[2008年9月19日]


http://it.nikkei.co.jp/digital/news/index.aspx?n=MMIT1h000019092008

FNS27時間テレビ、三宅さんの担当で期待出来る。最近滅多に無い生放送で、テレビ本来の魅力を取戻せ

2008年07月27日 08時21分41秒 | Weblog

さんまがメインと聞いて、すごい『今更感』がしたが、
プロデュースが三宅さんと知って、これは期待できると思った。

三宅さんだからさんまを使ったのね。
ジャニーズタレントを使って女子中高生に媚びた番組作りをやられるより、
お笑いのど真ん中を目指してもらった方がよっぽどいい。
…ちょっと古い昭和の笑いになる感じはするけど、
でも先端のイメージを狙ってキムタク使ったり、香取慎吾の「なまか」をやられるよりはよっぽどいいと思う。

三宅さんかもしくは片岡飛鳥さんが担当するなら、かなり期待できる。

女性視聴者に媚びない番組作りを期待する。


あと、やはり『生』はいいね。生放送。
最近のテレビはすっかり生放送が無くなったから。

生放送が無くなったのも、テレビが詰まらなくなった一つの原因ではないかと思う。

編集でゴテゴテに作り上げられた番組ばかりになって。自然さがない。

作り手のお仕着せの笑いや演出を強要されるような塗り固められた番組ばかりになり、それがテレビの主流になってしまった。
自由に伸び伸びと出来なくなった。視聴率から逆算し、編集で塗り固めた番組ばかり。

視聴者はいろんな見方をしてテレビを見る。何も作り手の思いを押し付けられるのがテレビではないはず。
つまり、生なら視聴者が自由な見方、切り口で番組を見ることが可能になる。
ここが生放送の醍醐味。テレビというメディア本来の魅力。視聴者側に主体があるとも言える。

例えば、出演タレント間のやり取りの中から、人間性や人間関係を垣間見たり。それぞれの心情を推察したり。

そういうのがゴテゴテの編集で固められると、全て死んでしまう。


「ここで笑うんですよ!」
というような、
作り手の思い一点だけを押し付けるような編集になり、見方が一点に集約され自由でなくなってしまう(=作り手側に主体がある)。

笑いの強要。
テレビの多面的な魅力を殺してしまっている。ゴテゴテの編集というものが。

最近のテレビは詰まらなくなったと言われる一因はこういう所にもあるのではないか。

自然さが全く無くなった。視聴者側が多面的な見方が出来ず、作り手のお仕着せを受けるだけになってしまった。

これを覆し、テレビというメディア自体が本来持つ魅力を取り戻してくれるのが、『生放送』なのだ。

この意味からもフジ27時間テレビは貴重。三宅さんの最後の大仕事ともなれば、なおさらである。




《メモ》


◆編集
映像特性…○
演者の人間的側面…×

◆生放送
映像特性…×
人間的側面…○



リモコン→ザッピング→単位時間あたりの情報密度を高める必要性→編集で固める、生放送はできない←間合いが空いてチャンネルを変えられるのが怖い


五味一男の功罪

《オタク文化考察》オタク文化が「表」で扱われると、オタクは急に冷める。オタ文化は「裏社会」が大前提

2008年06月22日 07時00分37秒 | Weblog
オタクが「表」で扱われると、オタクは急に冷める。
オタクネタは裏社会(アングラ)だからこそ、存在価値がある。

それがテレビという「表」舞台に出てしまったら、一気に冷める。
よく2ちゃんねるの反応でそれが見て取れる時がある。テレビでオタクのネタやネットで話題になっていることが取り上げられると、急に冷めた反応が増える。

例えば「萌え~」なんてのも、以前はネットで良く使われていたが、それをテレビが頻繁に取り上げるようになったら、途端に萌え~なんてネットで見かけなくなった(笑)。

つまり、オタクネタはアングラであることが大前提。
これが表舞台の象徴であるテレビに乗ってしまったら、急速に萎えてしまうのだ。

テレビに乗った時点で、そのオタク文化は潰れる。

しかしこれを逆手に取って、敢えてオタク文化やネット文化を潰す意図を持って、テレビ側が仕掛けることも出来る。

今日放送されたTBSの「ランク王国」新MCもそのひとつかなと穿って見てしまう。

敢えてオタク設定のキャラを新MCに持ってきて、オタを萎えさせる。
TBSによるオタ攻撃、ネット文化攻撃じゃないかなと(笑)。


真偽は不明だが、ネット文化やオタ文化は裏社会であることが大前提。
表に出た時点で存在価値を失うということは事実だ。

逆の側面から言うと、それだけテレビというものは、今の時代でもまだ「表舞台」のど真ん中であるということだ。
もうテレビが中心の時代は終わった、なんて言われていても、実態はまだまだテレビが土壌になっている面があるのは変わらないのかもしれない。

道路特定財源の暫定税率問題を考える際のPoint of View

2008年05月01日 17時38分36秒 | Weblog
道路特定財源の暫定税率問題を考える際のPoint of View ~

(最近まともなコラムを書いてないので、
久々に本格的なコラム?を書き下ろしました(笑)。)

道路特定財源の暫定税率問題を考える際の視点。

ガソリン税に上乗せされている道路特定財源の暫定税率を廃止すべきか否かを考える際には、以下の例えを考えると参考になるであろう。



①送別者に、送別の品物をみんなでお金を少しずつ出し合って購入するシーン。

②夏休みの旅行のお土産を買い、組織のみんなに一人1個ずつ配って回るシーン。




①の場合は、個人が出し合うお金は数百円程度でいいが、みんなの分を合わせるので、結構いい品が買える。

②の場合は、旅行に行った人は結構高いもの(多くのお菓子が入っているとか)を買ったはずなのに、配ってみんなの手元に届くころには小さな小分けになり、みんなはあまり何を食べたか食べた気がしないというもの。



ガソリン税に上乗せされている現在の道路特定財源の暫定税率は、上の①にあたる。

これを撤廃することは、上の②にあたる。



道路特定財源の暫定税率を撤廃することは、ガソリンが25円/ 安くなり、さも喜ばしいことのように見えるが、そんなことで喜びを感じるのは、一瞬の小さなたわいもない出来事である。この一人ひとりの小さな喜びのために引き換えに大きな財源が失われ、他の税収を投入せざるを得なくなるなど、国家として大きな損失を抱えることになる。



つまり、②の例のように、国家が大きな損失を抱える割には、一人ひとりの喜びというのは、意外に小さなものになっている、ということである。大きなお土産を買ってきたのに、一人の手元に届くころには何を食べたか分からないかのような。

逆に今現在の道路特定財源は、一人ひとりが少しの金を出し合っているうちに、全体としては結構大きな送別の品が買える、というのに似てる。



つまり、このようなあまねく広く浅く税を集めてくる仕組みというものはかけがえのないものである、ということである。

この仕組みを一旦失ってしまったら、このような一人の負担はさほど大きくないなかで、広く浅くあまねくお金を集める仕組みを再び構築することはとてつもなく難しい。この仕組みを失ってしまう損失の方がいかに大きいか。そんなことと引き換えに得られる喜びは、個人が「ガソリンが安くなったなあ」と思う程度である。

そんなために、この良く出来た仕組みを失うことほどバカらしいことはない。



問題の本質は、道路の建設が必要・不必要うんぬんではなく、こうした個人の負担を最小限に抑えながら、広く浅く遍くお金を集める仕組みを、メインの税収以外に持っておくことこそがいかに重要であるかということだ。


その意味から考えると、特定財源の使途は、何も道路だけに使う必要はないと考える。要はこうした財源の仕組みこそが価値を持つものであり、道路の建設自体に価値があるものではないからだ。


従って私の考えは、「道路特定財源の暫定税率の引き下げ」には「反対」、「道路特定財源の一般財源化」には「賛成」というスタンスになる。(高速道路をこれ以上地方に作る必要は感じない)

これは、冒頭の送別の品を皆で出し合う例と、旅行のお土産を皆に配り歩く例を考えれば、自ずと見えてくることではないかと思う。

道路特定財源の暫定比率は維持すべきだ。しかし道路建設だけに使う必要は全くない。私はそう思う。

視聴率のために、人目を引くために事実が歪められたり、一部を誇張して取り上げられたりする。

2008年04月06日 07時03分29秒 | Weblog
クイズ番組で歴史ねつ造? TBSに関係者激怒!
http://www.zakzak.co.jp/gei/2008_03/g2008032906_all.html


歴史を知らないんじゃなくて、視聴率のために人目をひくインパクトのあるネタを持ってきたいという思いが強すぎて、こういうことになってしまうんだよね。

視聴率のために事実が歪められたり、一部だけが誇張されてセンセーショナルに扱われたりする。これは怖いことだ。

秘密の県民ショーも同じようなことを感じる。
視聴率のために、ことさら誇張されて取り上げられている。
地方に対するイメージが変わってしまう。テレビによってかき混ぜられてしまう感じがする。

構造的に、そうやって誇張してセンセーショナルに取り上げないと番組が成り立たない仕組みだから怖い。地方の風習を普通に取り上げてたのでは、全然番組にならないからね。

視聴率のために事実が歪められたり、一部が誇張されて取り上げられる怖さは、何もTBSのこの番組だけではない。

国民は目先のことしか考えない。ガソリンが安くなれば嬉しい。しかし国全体の視点で見てそれでいいのか。

2008年03月31日 03時22分02秒 | Weblog
町村氏「また25円上げさせて」
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=446042&media_id=2


貴重な財源が失われてしまったのは残念でならない。

このように広く浅くお金を集める仕組みを確保しておくということは重要。

何も道路にばかり使う必要はないが、こういう広く浅くあまねく集められる財源の確保は重要だ。

一刻もはやく復活させて欲しい。

国民は、安ければ嬉しいに決まっている。ガソリンだけでなく、何でもそうだ。
だからそんな国民に意向を聞いても、それは民意でも何でもないよね。

安ければ嬉しいに決まってるんだから。


しかし問題は幅広い全体的な視点が持てるかだ。

国民なんて、国全体の視点なんてあるわけがない。結局は自分が得をすればいい。だから安ければ喜ぶだけ。しかし国全体を考えたらそれでいいのか。

だから、民意なんて気にしていたら、真に国家のための政治なんて出来ないってことだ。


最近のマスコミを中心とする、民意の過剰な尊重傾向は、こうした国家全体を考えた幅広い視点というものを失わせる危険性をはらんでいる。


民意と言えば聞こえはいいが、弊害がある。
耳あたりのいい「民意」という言葉にだまされてはいけない。



◆元記事・毎日新聞
町村信孝官房長官は29日午前、東京都内で開かれた自民党の会合で講演し、揮発油(ガソリン)税にかかる暫定税率などを含む租税特別措置法改正案に関し「4月1日から(25円)下がるであろうガソリンの値段が長続きしてもらいたくない。一刻も早く参院で否決でも、可決でもいいからしてもらい、また25円上げさせていただきたい」と述べ、衆院で同法改正案を再可決してガソリンの値段を元に戻すべきだとの認識を示した。その上で、「そうしないと国の財政も、地方財政も、温暖化対策も何もできない」と強調した。【坂口裕彦】 http://mainichi.jp/

【毒餃子】結局は日本に責任を押し付けてきた中国に、福田総理が「前向きに評価」発言でネットで批難轟々

2008年03月03日 00時24分29秒 | Weblog
福田がバカな発言をしたらしい。中国毒餃子について。

中国は案の定、結局は自分たちのせいじゃないと言い出して最終的には日本に責
任を押し付けてきたが、それに対しバカの福田がそれを「前向きに評価する」と
いうコメントをしたため、ネットでは相当な福田バッシングが起きている。
しかしテレビでは全くそのようには取り上げられてないらしい。

中国の責任じゃないということを「前向きに評価したい」とか言ったようだ。

福田はとんでもないな。一部では村山富市以下だとも言われている。
しかしあまりマスコミからはバッシングされない。安倍は何もしてないのにあん
なに毎日のように叩かれたのに。

日本は日本として、主張すべきことは毅然と主張すべきで、それを単に日中友好
だけを考えてしまって何も言えない状態になってしまっている。警視庁だか警察
庁だかが、あれだけ毅然と中国に対し抗議の姿勢を示したというのに。

イージス艦の被害者に涙を流すパフォーマンスをしたらしいが、ならば餃子の被
害者にも涙を流せばいいではないか。
福田もマスコミもそんなに中国が怖いのか。



記事は以下の通り↓

★ナメられる日本…親中派・首相“毒ギョーザ”どう対応

・中国産“毒ギョーザ”事件について、中国公安当局が中国での混入の可能性を否定し、
 日本の警察の対応を批判したことで、親中派とされる福田康夫首相の対応に注目が集まっている。「消費者重視」を掲げる福田首相だが、対応を誤れば内閣支持率のさらなる下落は必至の情勢だ。

 「まだ聞いていない。発言内容を詳しく確認しなくてはいけない」
 町村信孝官房長官は28日午前の記者会見で、中国側の発表について言及を避けた。

 ギョーザ事件をめぐって福田首相は「消費者重視という内閣の大きな方針からいっても、しっかり取り組まなければならない」と語り、21日夜には中国の唐家セン国務委員と首相官邸で会談し、原因究明のため意思疎通を図っていくことを確認した。にもかかわらず、中国側は一方的に責任を日本側に押しつけてきた格好だ。

 警察庁出身でもある自民党の平沢勝栄衆院議員は「(日本の)警察は100%、中国で混入したと考えている。
しかし、北京五輪もあり、それを絶対に認めないのが中国という国だ」と解説。別の自民党ベテラン議員は「中国側は『胡錦涛主席の訪日が近いほか、福田首相をはじめ、日本には自分たちに近い議員が多くいる。輸入禁止措置など、厳しい反応はないだろう』となめきっている部分はある」と憤る。

 政治アナリストの伊藤惇夫氏は「福田首相の発言は、消費者本位と言いながら目線が下りていない。中国に配慮をしすぎてあいまいな決着をすれば、国民は納得せず政権にとって大ダメージとなる。危険水域に入っている支持率を上げようとするなら毅然とした
 対応をすべきだが、期待は薄い」と指摘した。

 http://www.zakzak.co.jp/top/
2008_02/t2008022823_all.html



しかしこの後…↓


2008/02/28(木)
★福田康夫首相は28日夜、中国製冷凍ギョーザ中毒問題で
中国公安省が同国内での毒物混入の可能性は低いと発表したことについて
 「(中国側は)これからも日本と共同して、しっかり調査したいということを言っていたのではないか。非常に前向きだ」と述べ、今後も中国と協力して原因究明に
 当たる考えを示した。
 首相官邸で記者団の質問に答えた。

 また、首相は「中国側も原因をしっかり調査し、責任をはっきりさせたいという気持ちは十分持っていると思う。日本側も協力してやってもらいたい」と語った。
 http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2008022800884


日本に責任を押し付けた中国を「前向きだ」と評価してしまった福田に、ネットでは怒りが爆発している。
結局は日本のせいにしてきた。毅然とした態度で主張しなければならないのに福田は・・・。
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他の記事・【日刊ゲンダイ】福田首相 イージス艦事故「うっかり」発言に非難ゴウゴウ このボンクラ老人首相もクビにするべきだ(日刊ゲンダイ)
福田首相が呆れた失言をやらかした。
福田は最初から他人事だった。発生から4時間経って記者団の前に現れ、
事故について聞かれたときの第一声は、「おお、そうだね大変だ」。
 その後も「まあ、遺憾であるということです」と面倒くさそうで、改善策を聞かれて
も「(防衛相が)自分で考えてやるでしょ」と、トップの自覚ゼロ。とにかく、この男
の危機感のなさはハンパじゃない。
 さらにビックリするのは、その日の夜のことだ。厳冬の海では親子2人の必死の捜索
活動が続いているのに、福田首相はホテルの高級中華料理店で日本酒をグイグイあおり
、ご機嫌だったというのである。



gooブログに苦情を投入―タイトルの字数制限を緩和して欲しい。

2008年02月24日 06時40分33秒 | Weblog
以下の内容を送りました。利便性向上のため、改善要望いたします。


gooブログ(アドバンスではない)のタイトルの文字数の50字制限を緩和して欲しい。
他のブログもいろいろやっているが、いまどき50字の制限を設けているのはgooぐらいだ。
こういう柔軟性のなさが、さすがNTT系列だと思う。これでは競争から遅れてしまう。ネットは柔軟性やカスタマイズ性が重要なのだから。
NTTらしさの悪いところは捨てなければいけないと思います。

タイトルの字数制限を緩和して欲しい。タイトルで内容をズバリ表わすことで、読み手を引き付けたいのに、それがgooだけはできません。