メッタ斬りジャリズム

これからは個人ジャーナリズム(ジャリズム)の時代!しがらみのない自由な立場から世の中をメッタ斬る!

【性教育】「真の性教育」とは何か~決してコンドームを配ることが性教育ではない~

2004年11月28日 06時26分48秒 | 政治批評
11/28日本テレビ「ジェネジャン・”性”スペシャルを見て思うこと。

★先進国で日本だけが突出して性病やエイズが激増している…っていうグラフが、番組の中で示されていた。あのグラフが頭から離れない。日本人として恥ずかしいと思う。

★男とヤルことしか考えられない猿頭の女が増えてるからだ…。そんなことしか考えられんのか!もっと広く人として何をすべきかを考えろよ。バカ女たちめ。思考の範囲が非常に狭い。
★コンドームをつければいいとか、ピルを後で飲めばいいとか、そんな問題じゃないだろ。妊娠を防ぐ、性病を防ぐことだけを考えればいいんじゃない!
★「人」として、そんな社会、そんな日本になっていいのかということだ。ヤルことばかりしか頭にない国に成り下がっていいのか!動物とは違う「人」としての存在―恋愛以外にも大切なことがある、人としての深み・広がり―こうした視点が、今の性教育にはない。

★ヤルこと以外にも、「人間」には大切なことがたくさんある。その人間としての広がり・深みを教えるのが、「真の性教育」のハズ。単にコンドームの使い方を教えるのは、妊娠や性病を防ぐためだけの対処療法であり、それは真の性教育ではない。
動物とは違う人間としての存在や在り方を同時に教えていくことこそ、本当の性教育。 
なのに、今の性教育はコンドームの使い方ばかり教えようとする。笑い者。

★ヤルとかヤラないとか、セフレとかそんなことばかりしか頭になくて、猿と同じ脳しか持ってない日本の女たちは、世界からの笑い者だな。
★まず頭を人間に戻せ!恋愛も確かに大切だろう。しかし、人間はそれだけが全てではない。そこが動物と人間の違うところ。ヤルことばかりではなく、もっと広い視点を持て!大事なことは他にもあるだろ!それが人間の存在意義。人としての広がり、深み、高貴さを日本の若者には分かって欲しい。

★まあ分かろうと思っても、これだけ荒れた情報ばかりに囲まれた日本では、なかなか難しいだろうし、またまわりがそういう荒れた情報に毒されてる中では、自分だけ正しさを貫くというのも、なかなか難しいだろう。だから処女であることに恥ずかしさや罪悪感を感じて、焦って処女を捨ててヤラなきゃと思ってしまったり、多くの男とエッチしたことが、さも何か自慢であるかのようなとんでもない滑稽な勘違いになってしまうんだろうね。それで、「ヤッた人数競争」になってしまって対抗して焦ってセックスフレンドを作ったりとか、そんなレベルの低いことばかりの頭になってしまう…。

★そういう意味ではまずこの国の若者を取り巻く情報環境から改善していかなくては、この国の若者は再生していかないだろう。
★今の時代、一人の人間は「教育」だけでは育たない。教育だけでの解決は出来ない。寺子屋の時代じゃないんだから…。

ジェネジャン「性」スペシャルについての感想

2004年11月28日 04時00分02秒 | テレビ界の動向
<ジェネジャン「性」スペシャルの感想。>
11月28日(日)0:50~2:50 日本テレビ
大激論セックス女100人杉田かおる&インリン&安田美沙子も大胆告白主婦もOLも女子高生も本音をさらけ出す…▽潜入(秘)女性専用風俗出張ホスト
・・あまりの荒れぶりに見てて疲れました・・・。


★ピルを飲めばいいとかコンドームを付ければいいという問題じゃない!軽々しくエッチばかりしかやること考えられないバカ女の猿と同レベルの頭の中身が問題だろ。
★こいつら頭スカスカ。そんな事しか考えられないのか。先進国で日本だけ性病が激増してるのは、性教育がないから、コンドームをつけないから…じゃないだろ。エッチばかりしか頭になくて、簡単にエッチばかりするからだろ。
★性教育のせいにするのは完全に左翼。
★さっきまでセックスフレンド別にいいじゃん!といってたやつらの顔の変化が笑える。性病とエイズの話になって。セックスフレンド自慢をしていた杉田かおるなんて、急に青ざめてて、アップでカメラに抜かれてたし(笑)。

★先進国で日本だけが突出して性病が激増している…っていう、あのグラフが頭から離れない。日本人として恥ずかしいよ。ヤルことしか考えられない猿頭の女が増えてるからだ…。そんなことしか考えられんのか!もっと広く人として何をすべきかを考えろよ。バカ女たちめ。コンドームをつければいいとか、ピルを後で飲めばいいとか、そんな問題じゃないだろ。妊娠を防ぐ、性病を防ぐことだけを考えればいいんじゃない!「人」としてそんな社会、そんな日本になっていいのかということだ。ヤルことばかりしか頭にない国に成り下がっていいのか!動物とは違う「人」としての存在―恋愛以外にも大切なことがある、人としての深み・広がり―こうした視点が、今の性教育にはない。★ヤルこと以外にも、「人間」には大切なことがたくさんある。その人間としての広がり・深みを教えるのが、「真の性教育」のハズ。単にコンドームの使い方を教えるのは、妊娠や性病を防ぐためだけの対処療法であり、それは真の性教育ではない。
動物とは違う人間としての存在や在り方を同時に教えていくことこそ、本当の性教育。なのに、今の性教育はコンドームの使い方ばかり教えようとする。笑い者。

★ヤルとかヤラないとか、セフレとかそんなことばかりしか頭になくて、猿と同じ脳しか持ってない日本の女たちは、世界からの笑いもの。
★まず頭を人間に戻せ!恋愛は確かに大切かもしれないが、人間はそれだけが全てではない。そこが動物と人間の違うところ。ヤルことばかりではなく、もっと広い視点を持て!大事なことは他にもあるだろ!それが人間の存在。人としての広がり、深み、高貴さを日本の若者には分かって欲しい。

★まあ分かろうと思っても、これだけ荒れた情報ばかりに囲まれた日本では、なかなか難しいだろうし、またまわりがそういう荒れた情報に毒されてる中では、自分だけ正しさを貫くというのも、なかなか難しいだろう。だから処女であることに恥ずかしさや罪悪感を感じて、焦って処女を捨ててヤラなきゃと思ってしまったり、多くの男とエッチしたことが、さも何か自慢であるかのようなとんでもない滑稽な勘違いになってしまうんだろうね。それで、「ヤッた人数競争」になってしまって対抗して焦ってセックスフレンドを作ったりとか、そんなレベルの低いことばかりの頭になってしまう…。
★そういう意味ではまずこの国の若者を取り巻く情報環境から改善していかなくては、この国の若者は再生していかないだろう。
★今の時代、一人の人間は「教育」だけでは育たない。教育だけでの解決は出来ない。寺子屋の時代じゃないんだから…。


恋愛に過剰な妄想を抱き、そんな事ばかりに頭でっかちになっている最近のバカ女をメッタ斬りにする!

2004年11月21日 06時27分52秒 | ひとり言・雑談
最近の若者の恋愛なんて、
①愛だの恋だのという、そんな類いの情報ばかりがメディアによって偏って氾濫してるから、そんな方面にばかり頭がいって異常に幻想を抱きすぎてるか、
②またはマジョリティ(多数派)に属せないという不安からの逃避のためか、
③もしくは性欲だけでくっついてる「仮面カップル」か、
大半はそんなもんなんじゃないの??

だから、異常に「恋は素晴らしい」っていう妄想が広がりすぎて(特にバカ女)、
先日の雑誌ananの特集「恋がしたいけど好きな人がいない」みたいな、本末転倒なこっけいな事を言い出すんだよね。好きな人がいないんなら、無理やり恋しようとする必要はねェだろ!・・・ってそんなこと当たり前なんだけど、こうして誰かがツッコんでやらないと、本当に最近のバカDQN女は分からないから・・(社会的ツッコミの必要性)。
恋は素晴らしい!みたいな幻想が過剰に広がりすぎてるから、こんなananみたいな記事が出ちゃうんだろうね。あきれたよ。

そんなことばかりに頭が行って、「恋は素晴らしい!」と異常に妄想が広がりすぎて、さらにそれが出来ないと「負け犬」だの「負け組」だのと言われて・・・・。ホント、忙しいね~。
そして、「わたし、もっと恋愛体質にならなきゃ~」とか「わたしって、おとこ運がないのよね~」とか、そんなことばかり言う。なんじゃい?恋愛体質って。そんなもんに体質があんのかいな(藁)。

全く、本当に今のバカ女って、オメデタイ頭をしてますね・・・。お前ら北朝鮮にでも行って頭を冷やして来い。メディアによって、変な方向にばかり熱せられた頭を!変な方向にばかり頭でっかちになってるその頭を!!

まあ、メディアに取り囲まれている現代では無理はないのかもしれないが・・。メディアがバカ女に変な幻想、いや妄想を作り上げてるんですよ(藁。


恋愛過剰妄想女たちよ・・・、頭を冷やせ。


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テレビ等のメディアによる悪影響の“本質”を探る~性・暴力表現の制限で済むような浅い問題ではない

2004年11月21日 06時02分22秒 | テレビ界の動向
『テレビ等のメディアによる悪影響の“本質”を探る』

~性・暴力表現の制限で済むような浅い問題ではない!~


2000年11月29日、ついに「おネプ」(テレビ朝日系)の”ネプ投げ”と、「めちゃX2イケてる!」(フジテレビ系)の”しりとり侍”が、具体的な番組名を公表されて、社会に悪影響を与えているという指摘を、NHKと日本民間放送連盟とでつくる「放送と青少年に関する委員会」によって受けたことが、新聞やテレビなどでも大きなニュースになっていたが、

こうした具体的な名前を公表することは、非常に大きな前進ではあるが、その悪影響と指摘される部分が、例のごとく暴力表現・性表現がよくないのだ、という理由にとどまっており、本質的なテレビ・情報過多の問題というものをとらえていない点が非常に気になった。


正すべき問題の本質は、もっと大きく深い問題であり、そうした表面的な表現の問題ではないと私は考えている。私の思うには、メディアによる情報過多の問題の本質というのは、テレビなどのメディアによる一面的で偏った大量の情報の洪水が、人間(とくに若者)の価値観や社会の風潮を大きく変えていっているという点、
具体的に言えば、落ち着きや真面目さや人間らしさというものを失い、ガチャガチャとした表面的な刺激のみが先行する深みのない享楽的な世の中、という社会の「風潮」というものを、メディアによる日々の大量の情報が雰囲気的形成して行き、その結果、現代人(特に若者を中心として)が、人間としての「原点」「本質」というものを忘れ、見失いつつある、ということと同時に、表面的な情報や言葉だけが先行し、物事の「本質」というものが見失われつつあるという点、これこそがテレビ等のメディアによる情報過多の招いた最大の問題点・悪影響であると私は考えている。



その結果、現代人(特に若者)は、人間らしさや人間が本来もつべき大事なことを失いつつあり、心の安寧や社会の秩序を失って、ガチャガチャと落ち着きがなく、精神的にはさつばつとした飢餓感が感じられ、そうした社会的もしくは精神的な背景のもとに、昨今の急激な少年犯罪の増加、児童虐待、学級崩壊、モラルハザード、学力低下…などの、ここ数年で急激に顕著になった社会問題・社会現象が表面化してきたのだと思う。

したがって、こうした少年犯罪や、学級崩壊等のここ数年の若い世代を中心とした一連の社会問題も、このような社会の風潮を背景として、メディアなどの情報過多というものが大きく影響を与えているのだ、ということは否めないものだと私は考えている。



こうして考えていくと、このメディア・情報過多という問題は非常に大きく、深い社会や人間に関する本質的な問題であると言え、単に暴力・性表現などの表面的な規制で済むというような浅い問題ではないということを強く指摘しておきたい。



つまり、この問題はもっと「人間とはどうあるべきか」「社会とはどうあるべきか」というような問題にまで関わっていくような、大きく深い問題であって、メディアのあり方、放送のあり方といったものを根本から考え直さなければならない問題であると思う。

たとえば、実際問題として若者には特に影響力が絶大な「テレビ」というものが、商業主義の赴くまま、無秩序・無責任に情報を大量に垂れ流していいのかということなども考えていかなくてはならないだろう。21世紀は、多チャンネル化時代の到来や、パーソナルキャスティングの実現(一億総ブロードキャスティング時代)など、ますますさらなる情報の無秩序な氾濫を招く恐れがあり、今こそ「放送とは」「情報とは」「メディアとは」といった問題をしっかりと、そしてより深く広くマクロ的に考えておく必要があろう。



しかし、こうした具体的な番組名を公表し、ニュースになって世間に広く知れ渡るということは、この規制に敏感な日本にしてはなかなか思い切ったことをしたといえ、大きな進歩であることには違いない。それだけテレビなどのメディアの影響が問題視されているのだ(もっと言えばここ数年のテレビがどれだけゆがんだ偏った情報を流すようになって来たか)ということの証明であろう。



したがって、こうしたことを契機にもっと、こうしたメディアの情報過多の問題への関心が高まれば…と思うが、先ほども述べたように、その関心の向かう先が、従来型の性・暴力表現の規制の有無の議論に終始するようでは、この問題の本質的な解決には程遠いといえるだろう。より広く、少年犯罪等の一連の青少年の問題から社会の風潮、人間のあり方、社会のあり方まで幅広くとらえて、テレビなどのメディア、情報過多・情報氾濫の問題について議論していただけたら、と願う次第である。


(※本記事は、ホームページ公開用として2001年初頭に書いたものです)



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成果主義の負の側面(富士通の失敗)/社内業務知識の重要性と普遍的な知識について

2004年11月21日 05時31分43秒 | ひとり言・雑談
【Q】今回の講演者に何かご質問や聞きたい話の内容がありましたらお書きください。

成果主義の負の側面の一つとしてよく指摘されていることですが、例えば過剰な成果主義の導入により、地道な要素をもつ仕事よりも、派手な目立った成果の上がる仕事にばかり組織の関心が誘発され、組織の中で不協和音が生じたり、正しく成果が評価されないなどの、よく取り上げられる負の側面というものがあると思うのですが、この辺についてもお伺いしたい。
富士通はこの成果主義の導入によって、社内に不協和音が生じたときくが、それは本当かぜひ伺いたい。


また、業務上必要となる実務的な「業務知識」の重要性についても聞いてみたい。
社内で業務を遂行する上で必要となる細かい業務知識(専門知識=自社製品のマニュアル規定や社内システムの知識等)は、仕事上必須の知識ではあるが、その社内、もしくはその所属している組織内でしか通用しない限定的な知識であり、組織の異動や担当する仕事が変われば、全く通用しなくなる知識です。
こういう業務知識を深く勉強しても普遍性がないため、私はつい意味がないように感じてしまいます。しかし、当座の業務遂行には必要ですし、その知識量の有無により組織内での評価が変わってくることもまた事実です。
しかし、あまりに狭い範囲内での業務知識を追求するより、むしろどの企業、どの組織においてでもある程度適用できる普遍的な知識を深めておきたいと私は考えてしまうのですが、これは間違っているでしょうか?この点についてもぜひお伺いしたいと思います。

「テレパソ」で、ダウンタウンの濃縮版ネタ集DVDを作りたい!~動画編集の変った使い道

2004年11月21日 03時33分57秒 | クリエイト関連
◆「テレビパソコン(テレパソ)」の用途提案がいまいちだと思う。パソコンでテレビが見れますよ、というのは分かるが、その他の使い道が示されてない。ただテレビが見れるんなら、「テレビ」だけでいいし、録画ならDVDレコーダーと同じ。「動画編集」となると、すぐワンパターンで「CMカット」と「画面の切り替わり目のトランジッション効果」ばっかり。
全くワンパターン。CMカットなんかして楽しいか?それが動画編集という売りになるのか?そんな程度の売りで、各社「テレパソ」として売っている。

もっと楽しい動画編集の例を提案しようよ。

例えば、自分ならダウンタウンのネタ集とかを作りたいね。カット編集で、「ヘイヘイヘイ」とかのダウンタウンのトークで本当に面白い部分だけを短くテンポよくつないでいって、取って置きだけのネタだけが集まったDVDを作りたい。
テンポのよさというのがポイント。短くつないで濃縮させる。ナイナイでも爆笑問題でもいいんだけどね。集めるのはオチの所だけでいい。自分だけがわかればいいから。一度見てれば話の筋はわかるんだし。

でも、こういう使い方をしようと思うと、なかなかそれに合うパソコンが無い。録画した動画を見ながら、イン点とアウト点を簡単にポンポンと指定していくような編集がしたいのだけど・・。
なかなかこれにあった機能のものがないね~。トランジッションとか別にいらないから。だいたいプロの作るテレビ番組見て田って、そんなトランジッションなんて多用されてない・・。トランジッションとかCMカットとか、そんなのだけが動画編集、テレビパソコンじゃない!!・・・と思う(笑)。


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【CM】au「着うたフル」(orange range)、ニンテンドーDSのCMが不評らしい!

2004年11月21日 03時23分58秒 | テレビ界の動向
◆auのCMがかなり不評らしい。オレンジレンジの曲を使ったやつ。
泣き止まない赤ん坊に、auの着うたフルをヘッドホンで聴かせて泣き止ませるというもの。
これがかなり不評。「真似するバカ親が出てくる」「バカなDQN女の母親が真似して、赤ん坊が難聴になる」とか・・。
まあすぐバカ女はマネするんだろうね。女っていうのは基本的にバカだから。


◆ニンテンドーDSのCMも不評。宇多田ヒカルの声が不評。「バカ丸出しで知性のかけらも感じられない」という声が目立った。最後の「ニンテンドーDS!」っていう声ね。でもインパクトは大。しかし、DSときくとドコモショップと思ってしまうのは私だけだろうか?(笑)。

トリビアの泉「満開禿げしくきぼんぬ!」発言で2ちゃんねるが祭り/「社会的ツッコミ」の必要性

2004年11月17日 22時28分23秒 | テレビ界の動向
◆フジテレビトリビアの泉・高橋克巳の「満開禿げしくきぼんぬ」発言で、2ちゃんねるがお祭りになった。
2ちゃんねるは「裏と思ってる表のメディア」。そのギャップがこの祭。


◆anan特集「恋がしたいけど好きな人がいない」
こんなこというバカ女は殺せ。本末転倒もいいとこ。
「社会的ツッコミ」の必要性。
間違ったことを正してやる奴がいない。そのまま垂れ流しになっている。
社会でツッコんで、正してやる必要がある。
恋は無理矢理するもんじゃないでしょ、って。


◆テレ朝浮上の訳は「アンチ日テレ式」。単位時間あたりの情報密度否定、ロケのワンパターン捨てスタジオ中心。
トリビアの泉も同じ。それプラス、娯楽の中の知的スパイス。見ても何も残らないくだらな番組と、NHK教育の中間。


◆レジ接客全国選手権(トリビアの泉)に思う。
あまりの過度の「お客様満足」「お客様第一主義」の成れの果てがこのありさま。滑稽。
でも会社にいると誰もつっこめない。誰も否定出来ない。やる側は大まじめ。
お客様満足度を極めたらこんな姿か?これが「CS」か?やる側は真面目に本気でお客様満足高めてるつもりだろうが、タモリに「吉本新喜劇か?」とまで言われていたぞ。
お客様第一主義ももっと現実に即して考えろよ。



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放送と青少年に関する委員会へ提言~フジテレビ「めちゃイケ」のはりせんコーナーについて

2004年11月14日 08時53分56秒 | テレビ界の動向
【BPO・放送と青少年に関する委員会へ寄せた意見】

11/6放送の「めちゃめちゃイケてる」の中で「スタンプ8」というコーナーが放送されたが、非常にひどい内容だったので、今後内容について検討して欲しい。
サイコロを振って目が出た人が、メンバーの仲間からはりせんで次々に叩かれて、最後に一番大きい特大のはりせんで思いっきり叩かれるというコーナーだが、ただただはりせんで次々に一人を叩いていくだけの内容で、イジメ以外の何物でもない。
あまりにひどい内容で、見ていて殺伐とした気持ちになった。
この殺伐としたご時世に、テレビという社会的影響の強いものでこうした内容を流すのはやめて欲しい。ただ「マネをするからダメ」というよりも、「人の心を荒らす」という点が問題だ。子どもだけでなく、大人も含めて社会全体の人心を荒らし、おだやかな気持ちややさしい気持ちを失わせるもので、こういうものが放送されているから現代は人心が荒れ、風紀は乱れ、世相が殺伐としているのだ。
面白ければ何をやっても良いわけではないし、嫌いな人は見なければいいという問題でもない。テレビの社会的な役割、位置付けというものを制作側は考慮しているのか。
番組によると、このコーナーは8年ぶりに復活したそうだが、この時世で何故、また復活させたのか制作の意図を聞きたい。
以前、同番組の「しりとり侍」というコーナーに意見が付いて、取りやめになった経緯があったが、このコーナーも内容的には全く同じではないか。一人のものを仲間でいじめ抜くというメッセージ性は。
復活させた制作側の背景としては、この放送と青少年に関する委員会やBPOの役割が軽んじられているということも一つはあると思う。意見のついた当時はコーナーを打ち切ったが、じわじわと密かに復活させてきているのを見ると、BPOの役割がいまいち機能していない、俗的に言えば「なめられている」ともとれ、BPOにおかれては本来の役割を強く果たしていただくことを切に希望する。

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中国の領海侵犯に、毅然とした姿勢で臨むのは当然である。 それが何故いけない?

2004年11月11日 02時35分48秒 | 政治批評
11月11日付・読売社説(1) (読売新聞) - goo ニュース

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11月11日付・読売社説

 [原潜領海侵犯]「領域警備の態勢を強化せよ」
 
領海侵犯は、国家主権を侵害する不法行為だ。毅然(きぜん)とした姿勢で臨むのは当然である。

 中国海軍所属とみられる原子力潜水艦が沖縄県・宮古列島近くの領海を侵犯した。潜水艦の国籍が最終的に中国と確認されれば、政府は、直ちに中国に厳重抗議しなければならない。

 中国原潜の侵犯だとすれば、日本周辺で、中国が現実の「脅威」になってきていることを端的に示すものだ。


さすが読売だ。あたりまえのことを当たり前に述べている。
どこかのテレビ局の妄言を吐くじじいとは、全く質が違う。
さすがである。

あとは、町村外相に期待する。

「視聴率に代わる新しい番組評価基準」は、人類で一番難しい問題か?

2004年11月10日 03時35分03秒 | テレビ界の動向
ちょう昨年の今ごろは、日本テレビの視聴率操作事件があった頃だ。

あのころは、いろいろ「視聴率に代わる新しい番組評価基準を作るべきだ」とか
「過剰な視聴率競争を防ぐにはどうしたらいいか」など、いろいろな議論がなされていたが、
今となっては何にもあとかたもない。

「視聴率に代わる新しい番組評価基準」なんてムリだと思うんだよなあ・・。
これは人類で一番難しい問題なんじゃないの?実は。

人類が寄り集まって考えても見つかるものではないではないかと思うほどだ。
有識者が集まったって生み出せるわけ無いと思っていたら、案の定何の結論も出ないまま、そのまま解散となった。

とにかく、この問題を風化させるな!という思いで再びこの問題を取り上げてみました。

◆テレビの悪影響は、「マネするマネしない」「嫌なら見なければいい」というレベルの問題ではない。

2004年11月07日 05時09分13秒 | テレビ界の動向
テレビの悪影響をめぐる議論では、すぐに「真似する真似しない」「子どもに影響がある(大人は関係ない)」「嫌なら見なければいい」という議論に陥りがちだが、それはいづれも間違っていると思う。

まず「マネするマネしない」の議論だが、これはそのレベルで話しをしていても意味が無いということだ。マネするから止めるのではなく、どういうメッセージ性が番組から社会へ発せられているかが問題であり、直接的な表現が問題なのではなく、殺伐とさせるとか人心を荒らすとか、そうしたことが問題なのだ。
よく「やさしい気持ちが失われている」とかニュースでは言うが、その逆になっているということが問題。

次にすぐ「子どもが・・・子どもが・・・」と、子どもばかりへの影響から論じられるが、影響を与えるのは社会全体であり、子どもも大人も年よりも関係ない。ただ子どもは直接的に影響を受けやすいというだけであり、人心を荒らす、世相を殺伐とさせる、人としての大切さを失わせる、素朴なよさを見失わせる・・などの悪影響は、何も子供だけの問題ではない。

さらに、「見なければいい」という議論も、違う。 これは、テレビの社会的位置付けというものが強く関わってくるが、何千万人もの人が同じものを見るという状況において、一人一人が消せば良いというのはおかしい。それだけの公共性のあるものなのに、なぜ消すことで「逃げ」なきゃいけないのか。そんな消さなきゃいけないものを流すほうがおかしい。

◆”テレビの低俗化”に歯止めをかけている、絶妙な政治的力関係~「自助努力」を盾に

2004年11月07日 04時55分23秒 | テレビ界の動向
2000年当時、自民党は「社会環境対策基本法案」なる法案を準備していた。俗に言う「メディア規制法案」である。当時、青少年を中心に世相が乱れていたため、メディアを含めた社会環境を正そうというもので、何も政治的にマスコミを規制するものでも何でもないのだが、当然メディアは大反発で、規制反対の大運動を展開(城山三郎のニュースステーションでの大反対キャンペーンなど覚えている方も多いのではないだろうか)。そして、法案はついに提出されなかった。

ここで大事なのは、政治的な駆け引き。法案への反発時のメディアの言い分は「メディアも自助努力をしている。だから規制は反対」であった。これを言う以上、メディアも自ら「自助努力」を少しは見せなければ、それ以上の反論が出来なくなる。ということで、メディア側も自らそれこそ”自助努力”を(表面上は)せざるを得ない状況に自ら陥っていった。

これが絶妙なバランスを生み、テレビの”荒れ具合”は、2000年ごろから急速に改善、深夜のエロ番組も全て跡形無く姿を消していった。(トゥナイト2などもこの時に消滅)
要は法制化しなかったことがかえって、自助努力という盾をめぐって、いい力関係を生んだと言っていいだろう。法制化されたらかえってマスコミは開き直り、「法に触れてなければ何をやっていてもいい」となったかもしれない。法案を出すぞ出すぞと見せかける自民党側と、法案を通さないためには、自ら「自助努力」を盾にしなくてはいけなくなった、政治的な絶妙な力関係が、ここ数年のテレビの低俗化に歯止めをかけていた。

しかし、それが最近また薄れつつあるのではないか。そんな気がする。めちゃイケの8年ぶりの”はりせんコーナー”復活も、その象徴の一つとして捉えていいだろう。
自民党もう一度、メディアを含めた情報環境や社会環境の浄化という問題を、再度真剣に考えるときに来ているのかもしれない。

「めちゃイケ」の”はりせんコーナー”を、BPO・放送と青少年に関する委員会に抗議した。

2004年11月07日 04時44分01秒 | テレビ界の動向
昨日の「めちゃイケ」の「スタンプ8」とかいうコーナーが余りにひどかったので、これは何とかしないとと思って、BPO・放送と青少年に関する委員会に投書した。内容は以下のとおり。


【BPO・放送と青少年に関する委員会へ寄せた意見】

11/6放送の「めちゃめちゃイケてる」の中で「スタンプ8」というコーナーが放送されたが、非常にひどい内容だったので、今後内容について検討して欲しい。
サイコロを振って目が出た人が、メンバーの仲間からはりせんで次々に叩かれて、最後に一番大きい特大のはりせんで思いっきり叩かれるというコーナーだが、ただただはりせんで次々に一人を叩いていくだけの内容で、イジメ以外の何物でもない。
あまりにひどい内容で、見ていて殺伐とした気持ちになった。
この殺伐としたご時世に、テレビという社会的影響の強いものでこうした内容を流すのはやめて欲しい。ただ「マネをするからダメ」というよりも、「人の心を荒らす」という点が問題だ。子どもだけでなく、大人も含めて社会全体の人心を荒らし、おだやかな気持ちややさしい気持ちを失わせるもので、こういうものが放送されているから現代は人心が荒れ、風紀は乱れ、世相が殺伐としているのだ。
面白ければ何をやっても良いわけではないし、嫌いな人は見なければいいという問題でもない。テレビの社会的な役割、位置付けというものを制作側は考慮しているのか。
番組によると、このコーナーは8年ぶりに復活したそうだが、この時世で何故、また復活させたのか制作の意図を聞きたい。
以前、同番組の「しりとり侍」というコーナーに意見が付いて、取りやめになった経緯があったが、このコーナーも内容的には全く同じではないか。一人のものを仲間でいじめ抜くというメッセージ性は。
復活させた制作側の背景としては、この放送と青少年に関する委員会やBPOの役割が軽んじられているということも一つはあると思う。意見のついた当時はコーナーを打ち切ったが、じわじわと密かに復活させてきているのを見ると、BPOの役割がいまいち機能していない、俗的に言えば「なめられている」ともとれ、BPOにおかれては本来の役割を強く果たしていただくことを切に希望する。



・・・という内容で投稿したが、まあ、めちゃイケがこういうコーナーを復活させたというのは、要はBPOとか放送と青少年に関する委員会とかがナメられてきてるんですよ。どうせ何もできないだろうと。

めちゃイケの「しりとり侍」や、おネプ!の「ネプ投げ」に、青少年委員会の見解がついた当時(1999年)は、他の局もみんな急速に”萎縮”していったが、最近、また勢いを復活してきて悪さをじわじわと取り戻しつつある。 特にTBSの深夜帯なんかは、2004年の秋の改編で深夜帯の編成に合田隆信が関わるようになってから、急速に悪くなっている。 合田隆信というのは、もとTBSのプロデューサーで、あの「ガチンコ!」や「学校へ行こう!」などの悪名高き番組を世に送り出していた人である。 まあ、言い換えれば合田隆信の色が出ているということだが。

こういう状況を招いたのは、BPOや放送と青少年に関する委員会らが、本来の役割をなしてないということだ。ナメられている。

まあ、もっと裏には政治的な駆け引きもあるのだが。
2000年当時、自民党は「社会環境対策基本法案」なる法案を準備していた。俗に言う「メディア規制法案」である。当時、青少年を中心に世相が乱れていたため、メディアを含めた社会環境を正そうというもので、何も政治的にマスコミを規制するものでも何でもないのだが、当然メディアは大反発で、規制反対の大運動を展開(城山三郎のニュースステーションでの大反対キャンペーンなど覚えている方も多いのではないだろうか)。そして、法案はついに提出されなかった。

ここで大事なのは、政治的な駆け引き。法案への反発時のメディアの言い分は「メディアも自助努力をしている。だから規制は反対」であった。これを言う以上、メディアも自ら「自助努力」を少しは見せなければ、それ以上の反論が出来なくなる。ということで、メディア側も自らそれこそ”自助努力”を(表面上は)せざるを得ない状況に自ら陥っていった。

これが絶妙なバランスを生み、テレビの”荒れ具合”は、2000年ごろから急速に改善、深夜のエロ番組も全て跡形無く姿を消していった。(トゥナイト2などもこの時に消滅)
要は法制化しなかったことがかえって、自助努力という盾をめぐって、いい力関係を生んだと言っていいだろう。法制化されたらかえってマスコミは開き直り、「法に触れてなければ何をやっていてもいい」となったかもしれない。法案を出すぞ出すぞと見せかける自民党側と、法案を通さないためには、自ら「自助努力」を盾にしなくてはいけなくなった、政治的な絶妙な力関係が、ここ数年のテレビの低俗化に歯止めをかけていた。

しかし、それが最近また薄れつつあるのではないか。そんな気がする。このめちゃイケの8年ぶりの”はりせんコーナー”復活も、その象徴の一つとして捉えていいだろう。

この活力は何物にも代えがたい。

2004年11月07日 01時20分41秒 | Weblog
最近、しきりにやり甲斐とかを考えるようになってしまった。どうせならやり甲斐のある仕事を!こういうのは入社前の学生のときには、考えもしなかった考えだ。むしろ逆で、やり甲斐より安定とかを求めていたが、実際に社会にでてみたらそれが変わった。
そしてさらに最近は、それを強く思うようになった。それは、こないだの三年目研修も多分に影響しているのだろうが、やはり先月企画に移ってからのあまりの虚無感から来ているのが大きいかもしれない。
他人には見せていない『裏ブログ』にはこのことを赤裸々に書いたが、朝は頑張ろう!と思って席についても、あまりの周りのまったりとした空気(まったり感)と、あらゆる意味でのレベルの低さにすぐにげんなりとしてしまうし、考えてしまう。
まぁ、自分の場合は頑張ろうというよりも、いろいろと創意工夫をしたいだとか、色んなアイデアを生かしたいとか、深い考えを伴った仕事をしたいとか、そういう意味での「頑張りたい」なのだが、たとえそう思ったとしても、それをどこに持って行ったらいいか、持って行き場が無い。
単にのんびりやればいいじゃん、金さえもらえればいいじゃん、と考えれば、それで済むことかもしれないが、どうしても自分はそうは思うことは出来ないのだ。
いろいろ創意工夫を懲らしたくなる。これが一番かもしれない。頑張るというタイプではないため、頑張るという言葉は語弊が生じるかもしれない。創意工夫という言葉が一番的を得てるかもしれない。
だから、最近はかなり惰性で漫然と仕事してる。
そんな中、昨日は本屋でITベンチャーの特集雑誌を見て目が覚めた。頭が活性化した。こんな世界があるんだということ、世の中はこんなにいろいろなことが起きているのに、自分は漫然と毎日をやり過ごすだけでいいのかということ、さらにはそれで満足しかけていた自分に気付いて驚くと共に、そのギャップに頭が活性化した。
この活性、活力は何物にも代えがたいと思った。例えば、物では代えられない。
常にこういう問題は付きまとうのだが、いろいろ悩むなあ。
世界を知るというのは、大事だと思った。そんな世界があったんだ、という驚き。今の世の中の傾向って、知ってる世界だけで価値観を作ってしまうんだよな~。で、どんどん直情的で単純化されたものばかりになり、むしろ世界は矮小化されてゆく。それを加速させているのは、テレビを中心としたメディアなんだけどね…と書くと、いつもの自分の持論であるメディア論に話が進んでしまうので、この辺で止めておくが。そういう意味で、自分はテレビのことを「世界を広げるようでいて、むしろテレビというものは世界を小さくしている」と呼んでいる。まあこの辺は意味がよく分からないと思うが…。

かなり悩むなあ。来週が思いやられる。一週間越せるだろうか…。朝からむなしさがあるんだろうなあ。何か創意工夫がしたい。でもそれは単に趣味の中よりも、仕事として生かされた方が数倍いい。
仕事の方が大きなことが出来るんだよなあ。趣味でやってることなんかよりも。今日は改善活動の南関東大会の聴講に行ってきたけど、ここでもやり甲斐とは…について考えてしまった、内容よりも。いろんな仕事があるんだなあと思って。

ご清聴ありがとうございました。