メッタ斬りジャリズム

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「視聴率とは、映像表現・映像文化を狭めるもの」…視聴率に自ら縛られて自由な発想が出来ずに閉塞感...

2008年11月15日 22時11分59秒 | Weblog
日経ITプラスの連載記事「テレビの未来」の江口氏が興味深い記事を書いていたので、コメントを投稿しました。
以下の通り↓


2008年上半期のゴールデンタイムの視聴率トップは、なんと民放ではなくNHKがトップだったということだが、
視聴率にあんなに血眼になっている民放局が、NHKに敗れ去るという現象は、なんとも皮肉ですね。

何のために民放は「なりふり構わず(低俗だと批判を浴びようとも)」視聴率を追いかけてきたのか・・・。



ひとえに、「視聴率とは、映像表現・映像文化を狭めるもの」だと私は思う。


前提として視聴率を追い求める必要のないNHKは、幅の広い視点から、自由な映像表現をしている。BSのNHKを見ても、自由な発想で新しい番組に取組んでいるも
のがある。いい味を出しているものもある。



一方民放では、視聴率に自ら縛られている。チャンネルを変えられるのが怖い。だからあれをしちゃダメこれをしちゃダメ…自らをあらゆるしがらみに縛り付けている気
がする。



チャンネルを変えられないように派手な効果音を入れて、テロップで画面中を書きまくり、山場でCMに行ってCM明けにあらすじを戻って繰り返し、VTR中に常にタ
レントの顔をワイプで抜いておく・・・などなど。

こうしなきゃいけないという、業界の常識のようなものを自ら作り、それに縛られて、自由な発想での番組作りが出来ない。皆が同じような番組になる。



「視聴率から逆算した発想」でしか番組制作が出来なくなった結果、現実の一般人の感覚からはどんどん”乖離”していき、「どうでもいい番組」が横行するようになる。

特に社会に出ている人間から見ると、民放の番組は社会感覚から大幅に乖離してしまっている。だから大人から見ると「くだらない」「どうでもいい」「取るに足らな
い」ものと映る。


いまどき民放の番組で喜んで見ているのは、小学生からせいぜい中高生ぐらいまでではないかと思う。


今や、インターネットによって、細分化されたこと細かな情報がいくらでもある。自分の興味・嗜好にあった「個人にフィットする情報」がいくらでも転がっている。

それぞれの詳細に細分化された嗜好に、それぞれ合うコンテンツがある。

画一的で、かつ視聴率から逆算されて作り上げられた「お仕着せのコンテンツ」など、価値がないのは明白だ。



まさに民放こそ「閉塞感」に覆われている業界であり、その結果、映像表現・映像文化を非常に狭めてしまっている。


自由な表現で、自由な発想から番組が制作できるNHKが、視聴率の面でもいい結果をもたらすというのは、ある意味当然の結果ではないかと思えてくる。



NHKの存在意義は、「視聴率という単一の尺度に規定されずに、映像文化の多様性を担保できる」こと。
多様性こそ意義があり、価値がある。視聴率により多様性が損なわれた民放は、価値を失っている。



視聴率を必死に追い求める民放がNHKに敗れるというこの皮肉な現象は、単に番組の良し悪しという側面だけではなく、業界全体の大きな”構造的な問題”が投影され
た結果であると、私は思う。


http://e_gucci.typepad.com/tv/2008/10/%EF%BD%8E%EF%BD%88%EF%BD%8B%E8%A6%96%E
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