メッタ斬りジャリズム

これからは個人ジャーナリズム(ジャリズム)の時代!しがらみのない自由な立場から世の中をメッタ斬る!

道路特定財源の暫定税率問題を考える際のPoint of View

2008年05月01日 17時38分36秒 | Weblog
道路特定財源の暫定税率問題を考える際のPoint of View ~

(最近まともなコラムを書いてないので、
久々に本格的なコラム?を書き下ろしました(笑)。)

道路特定財源の暫定税率問題を考える際の視点。

ガソリン税に上乗せされている道路特定財源の暫定税率を廃止すべきか否かを考える際には、以下の例えを考えると参考になるであろう。



①送別者に、送別の品物をみんなでお金を少しずつ出し合って購入するシーン。

②夏休みの旅行のお土産を買い、組織のみんなに一人1個ずつ配って回るシーン。




①の場合は、個人が出し合うお金は数百円程度でいいが、みんなの分を合わせるので、結構いい品が買える。

②の場合は、旅行に行った人は結構高いもの(多くのお菓子が入っているとか)を買ったはずなのに、配ってみんなの手元に届くころには小さな小分けになり、みんなはあまり何を食べたか食べた気がしないというもの。



ガソリン税に上乗せされている現在の道路特定財源の暫定税率は、上の①にあたる。

これを撤廃することは、上の②にあたる。



道路特定財源の暫定税率を撤廃することは、ガソリンが25円/ 安くなり、さも喜ばしいことのように見えるが、そんなことで喜びを感じるのは、一瞬の小さなたわいもない出来事である。この一人ひとりの小さな喜びのために引き換えに大きな財源が失われ、他の税収を投入せざるを得なくなるなど、国家として大きな損失を抱えることになる。



つまり、②の例のように、国家が大きな損失を抱える割には、一人ひとりの喜びというのは、意外に小さなものになっている、ということである。大きなお土産を買ってきたのに、一人の手元に届くころには何を食べたか分からないかのような。

逆に今現在の道路特定財源は、一人ひとりが少しの金を出し合っているうちに、全体としては結構大きな送別の品が買える、というのに似てる。



つまり、このようなあまねく広く浅く税を集めてくる仕組みというものはかけがえのないものである、ということである。

この仕組みを一旦失ってしまったら、このような一人の負担はさほど大きくないなかで、広く浅くあまねくお金を集める仕組みを再び構築することはとてつもなく難しい。この仕組みを失ってしまう損失の方がいかに大きいか。そんなことと引き換えに得られる喜びは、個人が「ガソリンが安くなったなあ」と思う程度である。

そんなために、この良く出来た仕組みを失うことほどバカらしいことはない。



問題の本質は、道路の建設が必要・不必要うんぬんではなく、こうした個人の負担を最小限に抑えながら、広く浅く遍くお金を集める仕組みを、メインの税収以外に持っておくことこそがいかに重要であるかということだ。


その意味から考えると、特定財源の使途は、何も道路だけに使う必要はないと考える。要はこうした財源の仕組みこそが価値を持つものであり、道路の建設自体に価値があるものではないからだ。


従って私の考えは、「道路特定財源の暫定税率の引き下げ」には「反対」、「道路特定財源の一般財源化」には「賛成」というスタンスになる。(高速道路をこれ以上地方に作る必要は感じない)

これは、冒頭の送別の品を皆で出し合う例と、旅行のお土産を皆に配り歩く例を考えれば、自ずと見えてくることではないかと思う。

道路特定財源の暫定比率は維持すべきだ。しかし道路建設だけに使う必要は全くない。私はそう思う。