メッタ斬りジャリズム

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FNS27時間テレビ、三宅さんの担当で期待出来る。最近滅多に無い生放送で、テレビ本来の魅力を取戻せ

2008年07月27日 08時21分41秒 | Weblog

さんまがメインと聞いて、すごい『今更感』がしたが、
プロデュースが三宅さんと知って、これは期待できると思った。

三宅さんだからさんまを使ったのね。
ジャニーズタレントを使って女子中高生に媚びた番組作りをやられるより、
お笑いのど真ん中を目指してもらった方がよっぽどいい。
…ちょっと古い昭和の笑いになる感じはするけど、
でも先端のイメージを狙ってキムタク使ったり、香取慎吾の「なまか」をやられるよりはよっぽどいいと思う。

三宅さんかもしくは片岡飛鳥さんが担当するなら、かなり期待できる。

女性視聴者に媚びない番組作りを期待する。


あと、やはり『生』はいいね。生放送。
最近のテレビはすっかり生放送が無くなったから。

生放送が無くなったのも、テレビが詰まらなくなった一つの原因ではないかと思う。

編集でゴテゴテに作り上げられた番組ばかりになって。自然さがない。

作り手のお仕着せの笑いや演出を強要されるような塗り固められた番組ばかりになり、それがテレビの主流になってしまった。
自由に伸び伸びと出来なくなった。視聴率から逆算し、編集で塗り固めた番組ばかり。

視聴者はいろんな見方をしてテレビを見る。何も作り手の思いを押し付けられるのがテレビではないはず。
つまり、生なら視聴者が自由な見方、切り口で番組を見ることが可能になる。
ここが生放送の醍醐味。テレビというメディア本来の魅力。視聴者側に主体があるとも言える。

例えば、出演タレント間のやり取りの中から、人間性や人間関係を垣間見たり。それぞれの心情を推察したり。

そういうのがゴテゴテの編集で固められると、全て死んでしまう。


「ここで笑うんですよ!」
というような、
作り手の思い一点だけを押し付けるような編集になり、見方が一点に集約され自由でなくなってしまう(=作り手側に主体がある)。

笑いの強要。
テレビの多面的な魅力を殺してしまっている。ゴテゴテの編集というものが。

最近のテレビは詰まらなくなったと言われる一因はこういう所にもあるのではないか。

自然さが全く無くなった。視聴者側が多面的な見方が出来ず、作り手のお仕着せを受けるだけになってしまった。

これを覆し、テレビというメディア自体が本来持つ魅力を取り戻してくれるのが、『生放送』なのだ。

この意味からもフジ27時間テレビは貴重。三宅さんの最後の大仕事ともなれば、なおさらである。




《メモ》


◆編集
映像特性…○
演者の人間的側面…×

◆生放送
映像特性…×
人間的側面…○



リモコン→ザッピング→単位時間あたりの情報密度を高める必要性→編集で固める、生放送はできない←間合いが空いてチャンネルを変えられるのが怖い


五味一男の功罪