京都には何度も行きました。
特に南禅寺や哲学の道、四条、五条の街並などは大好きな場所です。
今回、たまたま所用で京都を訪れることになり、前泊しなければならないので、
それならと、前の日の朝6時半の新幹線に乗り、京都に入りました。
所用の前にひと歩きです。
今回の歩く旅のテーマは「ちょっと古くて新しい京都を歩く」です。
まずは京都駅上のホテルに荷物を置いて、そのまま三条通りへバスで向かいました。
京都市バス一日乗車券、500円を購入です。
三条通は京都の近代建築が何軒も続けて建てられています。
河原町三条の方角から烏丸通の方に向かって歩き始めました。
⬇ スタート地点
まずは1928ビル(今はレストランが数軒、入っています)
建築の年がとってもわかりやすいビルの名前です。ここは旧毎日新聞社京都支局ビルでした。⬇
設計は関西建築界の父と呼ばれる武田五一です。
武田五一は明治5年生まれ、ヨーロッパに留学して新しいアールヌボーなどの様式を
学んできました。
1928ビルは毎日新聞の社章である星の形が窓にデザインされていますが、、、
私が撮った写真ではちょっと見にくいですね。
⬇ 旧家邊徳時計店 登録有形文化財 明治23(1890)年の建築 煉瓦造2階建、 瓦葺
この建物は日本で最古の煉瓦石造洋風商店建築で
建築資材は煉瓦、その他すべてをドイツから輸入したそうです。
いい味わいのでている明治のちょっと古いビルディングです。
⬇はSAKURAビル。(旧不動貯金銀行京都支店)富小路道
このビルは、日本近代建築の基礎の部分を担った辰野金吾の作品です。
(http://blog.goo.ne.jp/yoshimotokeiko/e/5e31f89c1aba6b3f0e83296955176df6
「プリンセストヨトミと辰野金吾の遺産」5/21のブログを参考にしてください)
辰野金吾はジョサイア・コンドルの弟子であり、東京駅などを作りました。
⬇このがっしりとした造りを見てください。「辰野堅固」とあだ名されたように
重厚な玄関です。
⬆ビル中の階段、1906年の建造です。
この建物は煉瓦と木造のハイブリッド構造の珍しい建物だそうです。
SAKURAビルからちょっと歩くと日本生命京都三条ビルがあります。柳馬場通
1914年の建物で、内部に鉄骨が入っており、耐震性のあるれんが造りとなっています。
⬇
京都文化博物館別館はもともとは旧日本銀行京都支店でした。
「私は東京駅、日本銀行、国会議事堂を作ってみたい。」と語った辰野金吾の設計です。
竣工は1906年。
⬇赤い煉瓦に白い石のラインがトレードマークの辰野式です。
正面玄関に特徴がありますよね。扉の厚み、聞くの御門をあしらった金具などもあるそうです。
⬇(残念ながら当日は月曜で、休館日でした!)
⬇東洞院通の中共郵便局です。
1902年、明治時代に第一次、第二次国会議事堂をドイツ人建築家のアドルフ・ステヒミューラー
と共に設計した吉井茂則の作った建物で、現在も郵便局として
使われています。「ファサード保存」という外観を残し内側を改築する特殊な
施工をされ、大切に保存活用されています。
途中、こんな古い建物も三条通に発見!創業1864年
⬇分銅屋足袋
最後は烏丸通を越えたところにある文椿(ふみつばき)ビルヂング
1920年の竣工です。ビルヂングやふみつばき、という名がレトロな感じですね。
⬇
フミツバキビルヂングの正面はお茶の伊右衛門の喫茶店でした。
おしゃれな感じです。
⬇
三条通は明治大正期には、金融機関、保険会社が立ち並び、重厚な厳めしい感じが漂っていたようですが、
現在は近代建築物の宝庫として、
「人が歩く街」として整備されているようです。
ただ、残念なのは電線が多く、建物の写真を撮るのに苦労します。
今後、電線を地下に通すなどの整備が行われるといいのですが、、、。
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涙が出るほど懐かしい( ̄▽ ̄)
明治時代の京都もなかなか興味深いですね。