私の歩く旅 

歴史の背景にある話題やロマンを求めて、歩く旅に凝っています。ねこや家族のこともちょこっと。

歩く旅、屋根のない病院~軽井沢

2012年05月23日 | 旅日記

新緑の季節ですね。
学生時代はよく、この季節、軽井沢に行きました。
大きな別荘の間の森の道を自転車に乗って走る、
爽快でした。この頃から若い人が旧軽井沢にはあふれ、
夏の一時期はとても活気がありました。

軽井沢銀座には「茜屋珈琲店」があり、
ひとりひとりに合わせて、お店の人がカップを選んで珈琲を注いでくれるのです。
おしゃれでした。
珈琲1杯500円。
今では、普通かな、と思う値段ですが、35年ほど前の500円ですから
『高いな~。』と思っていました。
でも、せっかく軽井沢に来たのだからと、茜屋の珈琲は見栄でもなんでも
1回は味わいたいたかったものです。

そんな軽井沢もシーズンを外せば、
明治の外国人たちが避暑地として愛した静けさをあちこちに見つけられるのではないでしょうか。

スコットランド系カナダ人アレキサンダー・クラフト・ショーは、
リゾート地軽井沢を明治時代に紹介(開拓?)した人です。

ショーは1846年、カナダ(当時の英領カナダ)のトロント市に生まれました。
トロント大学で学び、在学中に聖公会聖職を志しました。
そして1869年に執事に、1870年に司祭となります。
同年、イギリスに渡り、ロンドンの教会に勤務するようになりました。

当時、英国聖公会は近代化のすすむ日本にキリスト教を広め、宣教師を送りたいと考えていました。
その宣教師に任命されたのがショーでした。
1873年(明治6年)、ロンドンから大西洋、アメリカ大陸横断を経て、横浜に到着し、
宣教師としての第一歩を踏み出したのです。

しかし、ショーが来日した当時、外国人にはまだ多くの制約が課せられていました。
日本人への宣教をしたくても、宣教師が居留地以外に住むことはできず、
日本人との交流を持つことができなかったのです。


そんな状況に苦慮していたショーですが、彼にあるチャンスがやってきます。
日本人の家に住み込み、英語の家庭教師の仕事をしないか、という誘いでした。
それに併せて、ある学校で「倫理学教授」に就任することになったのです。

それが「天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズ人ノ下ニ人ヲ造ラズト云ヘリ」と
著書『学問のすゝめ』の中に書いた福沢諭吉の家です。
彼は諭吉の子どもたちの家庭教師になります。
そしてそれが縁で慶応義塾の教師に採用されたのです。

つまり、福沢諭吉の家族は明治時代で最初に外国人と共に生活したということになります。
逆に考えても面白いですね。
また、明治時代、ミッションスクール以外で、
公式に聖書を教えることを許可したのは慶応義塾大学だったということです。

ショーは本国に送った手紙の中で、
「日本宣教に赴いた者が教師になるとは何事だとの批判はあるかもしれないが、現状ではこれが最善の策。
私は学校で『倫理』、その実『聖書』を青年たちに教えている」と報告しています。

その後、1876年(明治9年)、ショーは東京・三田に最初の宣教拠点として聖保羅(パウロ)会堂を設置。
後に芝に移転して現在の聖アンデレ教会を創設し、その活動は発展していきました。

さて、話を軽井沢に戻しますが、
明治19年4月、ふたりの外国人が軽井沢にやってきました。
彼らはここで足を止めます。

ひとりは、東京・芝のアンデレ教会のアレクサンダー・クラフト・ショーです。
そしてもう一人は彼の友人で、当時、東京帝国大学で英文学を教えていた
ジェームズ・メイン・ディクソンです。

ふたりは軽井沢に魅せられます。
故郷のスコットランドに似た軽井沢の景観、そして、スコットランドや北ヨーロッパのように
霧が多く、昼夜の温度差が大きい、という気候。

『屋根のない病院』、ショーは軽井沢をそう呼んだそうです。

その2年後、彼は旧軽井沢の大塚山に別荘(現在のショーハウス記念館)を建てました。
また、ショーは、夏でも冷涼な気候の軽井沢をイギリス大使館の職員や宣教師ら、
日本の文人などに紹介し、
彼の勧めを受けた人々がここに別荘を持ち始め、いくつもの教会も建設されました。

考えてみれば、
人にとって異国で暮らすということは、特別で、異常なこと
(今までいた環境と異なるということ)です。
文化や習慣も違い、ストレスが溜まるでしょう。
軽井沢の自然の中を『屋根のない病院』と、ショーは述べていますが、
そこで、自分の心や身体を休め、次の活動へのエネルギーを蓄える時間が
彼らには必要だったのでしょう。
『歩く』そして『少し』『止まる』、休む。
まさにこの『歩く』という漢字は人間の活動を振り返り、次につなげるための大切な漢字だと思います。

その後、明治26年には、信越本線が全通して東京と直結。
交通の利便さから、次第に避暑地としての軽井沢が注目されるようになりました。


さて、さて、軽井沢ですが、
もう何年も行っていません。
新幹線で行けば、ショーが歩いて軽井沢を旅した時と異なり、
東京から1時間ちょっとでしょうか。

大病院で診察を1日かけて受けるより、
『屋根のない病院』に行き、ゆっくりとストレスを回復した方が
時にはよいのかもしれません。




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参考文献
http://kazeno.info/karuizawa/4-kyuu/4-kyuu-1-11.htm
http://ja.wikipedia.org/wiki/学問のすゝめ