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鎌倉近郊を歩く19.走水神社

2012-01-29 10:56:35 | Weblog
鎌倉近郊を歩く 19
            走水神社

(写真はクリックして見てください)

 日本武尊命(やまとたけるのみこと)と弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)が祀られた
走水神社(はしりみずじんじゃ)を訪ねてみました。古事記に、武尊命の御子(みこ)の一人が
足鏡別王(あしかがみわけのきみ)で鎌倉別(鎌倉郡長か)の祖だとあります。

 歩く:京急線馬堀海岸駅下車 観音岬行きバスで走水神社前下車

 敗戦まえに初等教育を受けた人は、文部省教科書に描かれた弟橘媛命の入水の挿絵を忘れ
得ないと思います。房総半島に渡ろうとしたとき大嵐に遇い、媛が嵐を鎮めようと逆巻く
海原(うなばら)に船べりから身を翻す姿は感動的でした。

 バスを降りると、小さな走水湾が眼前にありました。古代の丸木船には、天然の良港だった
のでしょう。天気がよくて、対岸の房総半島がよく見えました。防衛大学校のカッターが一艘
浮かび、メガホンの声に合わせて漕いでいました。沖に出て一天にわかにかきくもり、陸地が
見えないほど風雨が激しくなれば遭難することも考えられます。

 走水は馳水とも書かれ、浦賀水道は干満のとき流れが急となります。海神を鎮め無事に渡海
できることを願って神社ができたのでしょう。走水神社の鳥居の先に砂浜があった違いありま
せんが、今は道路と人家が鳥居と海を隔てています。

 境内に井戸があって、水脈が富士山に繋がっているといわれたほど湧水が豊富だったそうです。
案内書によると、明治初期に横須賀造船所の用水として7キロの距離を送水し、現在も市営水道に
地下水を供給しているのだそうです。神社に参詣のあと、背後の岡に上ってみました。
今は一部が畑になっていますが、茂った保水林がありました。

 古東海道は藤沢から鎌倉を通り、葉山から走水へでました。天気がよい日は房総半島がみえます。
旅人は走水神社に無事渡海を祈って、小さな丸木船に乗ったのでしょう。対岸の上総国に上陸して、
下総国千葉から常陸國石岡へと北上しました。

 平安時代になって、藤沢から品川へ出て江戸の湿地帯を通り松戸から石岡へ行く東海道が開け
ました。走水は船乗り以外の人には忘れられたのでしょう。徳川家康が幕府を開き(1600年)
江戸の人口が急増すると船輸送が盛んになり、走水奉行所が置かれました。のちに、奉行所は浦賀に
移り(1720年)江戸湾を出入りするすべての船舶を取り調べるようになりました。

 境内には航海の安全を祈る舵の碑と、包丁塚の碑があります。案内書によると昭和48年包丁への
感謝と鳥獣魚介類の慰霊のために、大伴黒主が日本武尊命に料理して献上した故事により建立された
とあります。走水が古東海道として栄えていたころ、多くの船宿が神社の周辺にあったのでしょう。

 バス待ちのため、走水港の辺りを散策しました。海水がきれいで透き通って、小魚の動きがよく
見えました。対岸の房総半島を眺めていると、ここに古事記に記されている日本の原風景がある、
と思いました。