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鎌倉近郊を歩く4.護良親王の首洗い井戸

2008-12-01 12:31:46 | Weblog
鎌倉近郊を歩く 4
           護良親王の首洗い井戸


 旧東海道の案内地図に、護良(もりよし)親王の首洗い井戸が載せられているので出かけてみました。場所は戸塚駅の近くです。

歩く:JR戸塚駅下車、東口へ。駅を背にして左側、国道1号に出る→国道1号を右側(東)→ 駅を出て約30分で吉田大橋→さらに1号線を20分歩いて不動坂交差点→その先を右の道へ入る。

 柏尾川に架けられた吉田大橋のたもとに、広重の絵と案内板があります。鎌倉道と東海道と八王子道が交差した所で、昔も今も交通の要衝です。

 首洗い井戸は住宅街に囲まれて見つけにくいので、歩いてる人に聞きましょう。江戸時代には宿場町のはずれで、寂しい処だったのでしょう。東海道を往く人たちが、「あの辺りに護良親王の首洗い井戸があるのだよ」と話しながら旅を続けたに違いありません。

 太平記巻十三には、護良親王(28)が鎌倉の土牢から引きずり出され首を刎ねられるとき、刀の切っ先に噛みついたとあります。脇差で斬首され、首は竹薮へ投げ捨てられました。建武2年(1335)7月の中先代乱のどさくさに、急ぎ処刑されました。

 親王を世話していた女房・南の方が藪から首を拾いあげてみると、「刀の鋒(きっさき)、未だ御口の中に留て御眼なお生きたる人の如し」という状態でした。近くに在った理致光院の長老が葬礼を営み、南の方は「髪を被落とて、泣々京へ上り給ひ」とあります。

 護良親王は後醍醐天皇の第三皇子。叡山・天台座主でしたが楠木正成とともに鎌倉幕府軍と戦い、その功を足利尊氏と争いました。天皇は座主に戻るよう諭されましたが皇子は聞かず、身柄を尊氏に渡されました。鎌倉に連れ去られ、幽閉されていました。

 庶民感覚としては、「それでは皇子が可哀そう」です。皇子を救出しようと柏尾の里に隠れ住んでいた人たちが首を持ち帰り、井戸で洗って、南の方が京へ持ち帰ったという伝説が生まれたのでしょう。そのあたりのことが、井戸の横の石碑に刻まれています。

 首の行く方はどうであれ、鎌倉で斬殺されたのは確かです。薄幸だった若い皇子にしばし黙祷です。