ぐうたら嫁と万能姑サマの同居生活

万能な姑サマと同居しながら、楽しいこと美味しいこといっぱいのぐうたら生活です。
良かったら足跡残してくださいね♪

それから…

2013-01-12 22:21:35 | 姑サマ

 

以下、覚え書きのつもりで書いたものです

今まではノートに書いていたけど、今後何かの検索ワードに引っかかり、参考になるかも…と思いアップすることにしました。

 (かなり長いです…)

 

18日の緊急入院の記事はこちら

 それ以前は「姑サマ」カテゴリで見てください

 

18日 

緊急搬送 ICUにて肺に管をいれ胸水を抜く処置

19日

一般病棟に移動(個室502号)

オムツはしているものの、ポータブルトイレ使用

502号室が北側なので寒いと訴え

他の部屋が空いたら移動するとのこと

看護センターのケアマネさんに現状を連絡す

20日 

朝、水が足りないとお義姉サマにTEL

ナースコールを押しても来てもらえず、ポータブルに座ったまま30分放置されたと訴えあり

お義姉サマが病院から出た直後、“部屋の引っ越しをします”とナースより連絡あった、と私にTEL

「家族の付添はいらないと言われたけど…」と言うも不安そうなので来院

お昼ご飯まで付き添ったが引っ越しはなし 食事歯磨き介助

美容院の予約あったので引き上げる

21日 

病棟詰所よりTEL

夜中にトイレに移ろうとして転倒 後頭部を打ったとのこと

異常がないが連絡した…と(午前10時半頃)

何故今頃?

引っ越しは済(517号)

夕方来院 食事歯磨き介助

22日 

お義姉サマよりTEL

転倒後、一人でトイレに行こうとするのはやめたとのこと

足元がおぼつかず、支えなしではトイレにも座れないと…

夕方来院 食事歯磨き介助

夕食時、ベッドの背もたれを起こし支えがないと座れなくなった

食事の時家族がいなかったらお願いします、と詰所に頼んだ

23日

お休み

24日

お義姉サマよりメール

吐き気あり・食欲なく声も途切れがち…

昼ご飯は食べられず体力の低下がわかる…と

ただ、翌日の検査結果次第では年内に退院の可能性もあり!?

夕方旦那サマと来院

昼ご飯を食べなかったので、夕ご飯はほぼ完食

吐き気も収まってきた様子

25日

レントゲン&採血

朝、看護センターにTEL

退院後すぐにサービスを受けられるように契約をしておきたい旨伝える

退院して必要になった時点ですぐに看護に入る準備は出来ている、契約もその時でOKとの回答

退院後の介護の不安を話すと、退院時み病棟看護師&ケアマネさんとカンファレンスの場を設けてくれると。

往診医についても院内の地域医療サービスで相談できる

夕方来院

主治医より詰所にてカンファレンス

レントゲンの結果、胸水はまだ減ってきていない

採血の結果、腫瘍マーカーが10月診察時405→今回3161と上昇

断定はできないが転移の可能性あり

食欲増進の点滴もしているが体力が戻らず、今後は下降のみだろう

お正月なので一時帰宅は出来るが、退院はもう不可能

26日

お義姉サマよりメール

昨日夜中より便に血が混じり、朝から絶食でCT検査を受けた

昼もそのまま絶食、終始ウトウトしている

夕方来院

夜もまだ絶食、点滴にて栄養補給

看護師よりポータブルトイレに移動するのも難しくなってきたので、テープ式の紙おむつを購入してくださいとのこと

主治医よりCT結果について説明(病室にて)

出血箇所の特定には至らず、明日から食事は可能

ただ今後突然の大出血などの可能性はあり

帰宅後、ムスコたちに現状を伝える

会える時に会っておいた方が良いかも…

時期についてはそれぞれに任せることに

27日

夕方来院 食事歯磨き介助

状況を聞いた長男が休みを取って帰省、同席した

食事は8割食べたが、座っている姿勢が辛く、ゆっくり食べられないので何度かむせる

横臥にて歯間ブラシ

食べると少し元気そうに見える

28日

14:00~合同カンファレンス

病棟担当看護師・相談員・ケアマネージャー主任・担当ケアマネージャー・訪問看護師

こちらは私とお義姉サマ

現状について看護師より説明あり 未だに1日1Lの胸水が出ている

帰宅についての意思確認

お義姉サマから、“本人が不安が大きいのでこのまま病院にいたい”と言っている旨伝える

家族としては、本人の気持ちを第一に尊重したいと思っている

なので現状では訪問看護等のケアは不要となる

「もし家での看取りという事になれば、サポートしますよ」と言っていただき、感謝

この状態が長く続けばホスピスという選択肢もあるが、現状から言ってあまり現実的ではない

夕方再来院 食事介助

本人希望によりおかゆ→軟飯を少量に、おかずを多めに変えてもらった

粉薬が自分で飲めなくなった(首を上に向けられない)ので介助

横臥にて歯間ブラシ

29日

旦那サマとお義姉サマ宅訪問 今後について話し合い

一時帰宅について、姑サマが望んでいないのでこのまま病院いる、ということで一致

もちろん本人が望めば帰宅は可能→“いつでも帰れるよ”と姑サマには伝え済

夕方旦那サマと来院

食事はもう終わっていた 

私が席を外している間に「私に何かあったら自宅には戻らす、直接斎場に行ってね」と旦那サマに言ったとのこと…

旦那サマが同席すると、“伝えたいことは言っておかなきゃ”という気持ちが働くのか、しっかり会話が出来る

カンファレンス時の看護師さんに家族の意向(自宅には帰らない)を伝えた

30日

お義姉サマからメール

昼に来院した時に血の付いたパジャマが3枚…

何の血か説明はナシ

夕方来院 食事介助

ドレーンから出る胸水が真っ赤になっている(血性胸水?)

看護師に確認したところ、夕べより少しずつ胸水に血が混じるようになった

主治医には連絡済みで、止血剤の投与をしている

原因については自分が説明は出来ないとのこと

昼間の出血とは無関係(痔の出血だったらしい)

異常に暑がるので毛布を外しエアコンを22度に設定し直した(入院時は27度設定+電気毛布)

31日

夕方旦那サマ・長男・次男と一緒に来院 食事介助

声が出にくい様子 食事は完食 食事後はすぐに横臥 

胸水の色が黄色に戻っていた 点滴はしていなかった

食事後、息子たちと少し長めの会話

「これからこういう大人になって欲しい…」などの話をしてくれた

不覚にも病室で泣いてしまった私…

年を越せたことに感謝

1月1日

夕方来院

話すのもしんどそうなので、会話もあまりなく過ごす

食事介助

この日は完食! 最後のプリンのみ半横臥で食べた

スプーン使うのも辛いようなので後半は私が口に運んだ

2日

夕方旦那サマと来院

鼻に酸素チューブが入っていた

詰所で確認 酸素量が少ないので昼過ぎより酸素を入れることになったと

食事介助するも(最初から100%介助)ご飯・おかずそれぞれ一口ずつしか食べられず

「点滴で栄養取りたい…」と姑サマ…

薬だけは頑張って飲んだが、座る姿勢はもう無理かも…

3日 

お義姉サマからメール

朝も食事は取らず、昼も少し口に運んでみたがすぐにむせてしまって終了

薬も出ておらず、鼻からのチューブは継続

夕方旦那サマと来院

食事はヨーグルトのみ

胸水が真っ赤だった

4日

お義姉サマからメール

昼はヨーグルト半分食べた

主治医の指示により外科の先生が呼ばれお尻の処置をしたとのこと

(痔が悪化してオムツ交換の際痛がったのかも…)

夕方旦那サマと来院

主治医とカンファレンス

(お義姉サマは「これ以上辛い話は聞きたくない…」と来院せず)

癌自体がかなり大きくなり転移もあるため末期の状態

血性胸水や痔からの出血など、出血傾向にあるが、血液検査の結果貧血は特になし

腎機能が低下しているので脱水状態 → 点滴を倍増して対処する

胸水が多いと低たんぱくになってしまうので、水分は尿で排出するのが望ましい

利尿剤を増やしてみるが、効果があるかは不明

薬について 今後薬を飲んでも肝臓機能が良くなることはないので服用を中止する

必要な分は点滴で補う

食事について もう無理に食べさせる必要はない

食事を取ることによって肝臓には負担がかかる → 本人がしんどい

一番身体への負担が少ない、薄いブドウ糖やたんぱくの点滴で栄養は補う

延命治療について説明を受け、用紙をもらった

お義姉サマと電話

延命治療について確認

5日

夕方旦那サマと来院

延命治療の用紙を提出(痛みなどの軽減のみで、それ以外の延命処置は無し)

看護師より、心拍数が極端に下がることがあると言われた

ミカンを3粒口に含む

「長男が日本酒を飲むのは、おばあちゃんの遺伝子だね」というと微笑む 何日ぶりかの笑顔


6日

夕方5時過ぎに詰所から電話

意識はあるが心拍数が極端に下がることがある 夜中に呼び出しするかもしれない…と

ちょうど出るところだったので、すぐに旦那サマと来院

ますます声が出なくなったが、意識ははっきりしてる

ヨーグルト数サジ食べたが直後に嘔吐

自分で寝返りが打てず、何度か身体を動かす

「ベッドを上げて…」「下げて…」を繰り返す

身体がしんどくて、身の置き所がないのだと思う

「もう帰って…」を繰り返すので退室

9時まで談話室にいたが落ち着いていたので帰宅

リビングのソファで携帯と電話の子機を手元に置いて就寝することにした

7日 

朝4時33分 病院から電話

血圧が計れなくなった 病院に来てください…と

お義姉サマに連絡

5時15分病院到着

お義姉サマもすでに到着していたが、最期には立ち会えなかった

5時5分 死亡確認

死因は特定せず、肝細胞癌による全身状態悪化にて死亡とのこと

旦那サマが葬儀社に連絡

午前7時半ごろ、姑サマ自宅に到着

8日

自宅にて親族のみの通夜

9日

山手会館にてお別れセレモニー

芦屋斎場にて荼毘

再び自宅に戻った

 

  

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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (テオテオ)
2013-01-13 08:15:41
亡くなられたんですね
きっとかなり最期は辛かったでしょうね
今は苦しみから解き放たれて、天国でラクになられてますよね
私の父も朝の5時頃亡くなりました

心より、ご冥福を、お祈り申し上げます

そして、お疲れ出ませんように・・・
返信する
Unknown (ぐうたら嫁)
2013-01-13 11:52:38
>テオテオさん

ありがとうございます。

姑サマも、やっと病気の事を忘れてゆっくりできてると思います

テオテオさんのお父様のようにキップの良い逝き方、
遺されたものに心の準備をくれた姑サマのような逝き方、
色々ですが、その人らしい最期じゃないのかな…と思いました。

テオテオさんも奈良の往復、大変ですね…
落ち着いたら追悼焼肉しましょ♪
返信する
お疲れ様でした (えり)
2013-01-13 19:13:20
いつもブログ拝見しています。
色々大変でしたでしょう。
うまく言葉にできませんが、ついコメントしてしまいました。
返信する
Unknown (やじきた)
2013-01-14 10:35:40
お姑さん、お亡くなりになったのですか!
詳しく書き記されているので様子がよくわかりましたが、
大変でしたね!
看病も疲れたことだと思いますが、
看病疲れを残さないように体に気を付けてください。

姑さまのご冥福をお祈り申し上げます。
返信する
Unknown (ぐうたら嫁)
2013-01-15 08:54:48
>えりさん

ありがとうございます。
いつも前向きに病と闘った姑サマはホントに立派でした。

ブログ見ていただいてるとのこと、
その言葉が励みになります
しばらくはボチボチの更新になると思いますが
また遊びにきてくださいね。

返信する
Unknown (ぐうたら嫁)
2013-01-15 09:01:02
>やじきたさん

ありがとうございます。

急に…と言うわけではなかったので
その時のための準備は出来ていたつもりでしたが…
もっと出来ることはなかったのか、未だに自問自答しています。
それからやっぱり寂しいです

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