肺がん余命宣告されてからの日々

母が肺がんになり余命を宣告された日からぼちぼちと記して行きたいと思います。

過去と今

2012-01-29 22:10:11 | ホスピス

街中を歩いていると殆どが母と一緒に歩いた場所です。
日常で出かける所は勿論ですがちょっとした買い物をするデパート、前は良く洋服や物産展など
行きました。
朝、母と駅で10時頃に待ち合わせると必ず夕方の4時頃まで遊んでいました。
父は良くそんなに遊べるねといつも言っていました。
私は友達と出掛けるのも好きですが母との時間の方が親子だったので楽だったせいか良く誘いました。
デパートで働いていたせいかセンスが良くていつも素敵な女性でした。
なぜか母の周りには人が集まり楽しい雰囲気がありました。

先日、母の病室での事ですが父が母に言いました。
○ちゃんの周りにはいつも人が集まるね、皆に好かれているねと。
でも誰にも言って無いからね、言ったら忙しくて大変になるから呼んでないんだよ。
母の病気の事を知っているのは本当に数人の人達だけです。
今でも心配してくれ手紙やらを送ってくれて励ましてくれています。
母は一冊のノートに子供達に綴ったノートがあると以前記しましたが父にも沢山の事を残している様です。
一度、まだ治療の病院の時に枕元におぼつかない字で父に対して走り書きがありました。
内容は余り見なかったのですが病気になってごめんね、とか大事なパパへと熱い思いが書いてあり
見てはいけない様な気がして知らないふりをしました。
ホスポスと違い泊まれない病院での相部屋でも一人ぼっちと感じ夜は淋しかったのだと思います。
お葬式は家族だけで誰にも知らせないでやって欲しいなど何もかも残った人が困らない様に癌との
不安の中でずっと考え残していました。

いつも綺麗にしていてはつらつしていて笑ったり怒ったりと喜怒哀楽をはっきりとしていながら
可愛らしく映る母は凄いなぁと思っていました。
笑う時は豪快に大きな声で笑いこちらまで楽しくなりたいして面白くなくても大笑いで母の周りは
笑いが絶えない事が多かったです。
でもそれは私が一部の部分しか見ていなかった事でもあります。

仕事をしていれば色々あります。
良く胃を壊して夜中に胃痛で苦しんだり胃カメラを飲んだり救急車を呼んだりとそれなりにストレスからと
思われる症状も抱えていました。
綺麗好きで心配性で家の事、子供達の事、父の事、癌になった叔母の事などいつも何か心配を
抱えていたのです。
自分の事より人の事ばかり考え病気が分かってからは何故自分がという事に対して後悔と不安ばかり、
初めて自分の事を人の事を考える事は癌の事だったかもしれません。

今日、電話で母の様子を父に聞き11日も食べていないのだと話しをしていました。
返事をする事すら大変だろうねと話します。
栄養も水分も取らずに自分の体重が減っていく感じは分かると思います。
それを見ているしか出来ない父はいつも母に声を掛けていますが最近は泣けてきそうなるそうです。
可哀相で可哀相でそれを何もしてやれず見ているしか出来ない。
今日は38,2度の熱があったそうです。
汗をいつも沢山かいています。熱も微熱が出たりしてます。
それを今の衰弱した体から消費しているのです。
どんどん体の力は弱っていくに決まっています。

蛾死をされる方が今の世の中にもまだいます。
その方達はどんな思いでいたのでしょうか。
お腹は空いていたでしょうが最後の辺りでもお腹が空いたり喉が渇いたりしたのでしょうか。
もうそんな事は分からなくなっていたのでしょうか。
母はお腹空かない、喉乾かないと頷きます。
では何を望んでいるのでしょうか。
もう何もそんな難しい事は考えずにふわっとした気持ちで過ごしているのでしょうか。
どうせならば後者であって欲しいと思うばかりです。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿