父が用事の為に遅くなるのでお昼御飯に間に合うように行きました。
母はなんだか元気がありません。
お正月から帰って来てから歩く事も座る事も出来なくなり自信が無くなったのかもしれません。
すぐに叔母も来てくれました。
かま揚げシラス、こんにゃくのピリ辛、ブロッコリーとトマト、マグロの佃煮、パン数種、です。
私は手羽とお芋の煮物、エビとホタテのソテー、グラタンです。
でもおかずは何?と興味を出してくれベットを少し起こしました。
つまんだりしたのでお昼ご飯も持って来て貰い皆で食べました。
ご飯は良く食べたのですがやっぱり言葉少なめです。
今日は看護婦さんに2カ月経ったので家に帰ってみたらと言われたそうです。
母は歩けないのに帰るなんてと不安そうに言っています。
私と叔母は週末の一時帰宅だと思っていたので良いじゃない、心配なら先生と話してごらんと
言っていたのですが後から来た父にも母が話している内容を聞いていたら退院だと分かりました。
ホスピスに入る時の面談の時に調子が良いと退院して貰う事があると言っていた事を思い出しました。
もしかしたら追い出されるのかと心配していたのでしょうか。
担当の先生は火曜日までお休みなので直接お話しが出来ていない状態です。
あれやこれやと私達で話していても仕方ないのですが母の心配はそこかもしれません。
良い状態だから返してくれるんだよ、調子が悪かったらすぐに戻れるよ、家に帰れたらまた歩けるよと
母に皆で言いました。
早く火曜日になり先生にお話しを聞きたいです。
状態の悪い人に帰れとは言わないよ、安定して良いからだよと励まし退院祝いをしよう、
好きな物を食べようと話し、大好きなチラシ寿司を作る事にしました。
母は父の為にいつも具沢山なチラシを事ある事に作っていました。
それまでは父が好物だからと思っていたのですが母も好きだと知りました。
それなら叔母と具を半分づつ作れば大変じゃないねと話し作ると話したら楽しみが出来たと
言ってくれました。
母は私に、いつもチラシで軽蔑してたでしょ?と言いました。
突然で何を言っているか分かりませんでした。
お料理上手でいつもお友達を呼んでもてなしていた母は周りからも一目置かれる程でした。
それなのに軽蔑って?なんだろうと思い軽蔑って別の意味があるのかとも思いました。
でもそうではありませんでした。
どうしてそんな事を言うのか分かりませんでしたし、そんな事を一度だって思った事もありませんでした。
どうして?とても手間が掛かって大変だから凄いしお祝いぽくって良いと思っていたよと答えました。
自分で作るのは大変だからお手軽の物を買っても美味しく無いし手作り以上の物はありませんよね。
母の物は岡山のお寿司で珍しいものが沢山入っていて材料を集めるのも大変です。
お雑煮などは母の味を一生懸命教わったりしていたのに寿司に関してはそうゆう事をしなかったから
気にしたのでしょうか。繊細になった母の気持ちを新たに感じました。
帰り道に叔母は母が童女に感じると言いました。
叔母はそんな母を見ると涙が出てきてしまうと言っていました。
どんどん純粋で可愛くなり邪心が無くなっていると感じていたのは私だけでは無かったのです。
それがどんな事なのか言いませんでしたがお互いに心の奥で思っている事は同じなのでしょうか。
叔母は今でも奇跡を信じている、絶対に良くなる気がすると言っています。
私とはちょっと違うと思いますが母をとても大事に思い少しでも一緒に居られる事を望んでいるのは
間違い無く一緒だと思います。