肺がん余命宣告されてからの日々

母が肺がんになり余命を宣告された日からぼちぼちと記して行きたいと思います。

叔母二人

2012-01-23 16:35:21 | ホスピス

昼過ぎて母の所に行きました。
すでに叔母二人が来ていたのですが姿は見えませんでした。
寝ていたのですが突然「あっこ」と大きな声で言い叔母の名前を呼びました。
何処に行ったんだろうと思ったら戻って来ました。
今呼んでいたよと伝えたら母の所に行き「来たよ、居るよ」と母に声を掛けていました。
もう一人の叔母も側に行き名前を言って声を掛けてうつろな顔の母を見ます。
叔母たちが着いた時には母は寝ていた様でお昼ご飯を買いに売店に行っていた時の事でした。
呼び声に反応し少し頷きます。
でも目は遠くを見ています。そんな母を見て叔母は涙を流していました。
もう会話は出来ず頷くか気持ちを伝える為や人を呼ぶ事しかしません。

叔母達は目を覚ました母に声を掛けやっと目を覚ましたと喜んでいました。
今日はちょくちょく目を覚ましていたのですがあーと何度も大きく唸り苦しい様で先生が来てくれました。
朝と夜の点滴の他のモルヒネを5に増えました。
先生がお話があると言い廊下に出て話しました。
少しウトウトが増えるかもしれませんがなるべく意思の疎通が出来るようによっぽど悪くならない限りは
薬を調整してくれると言ってくれました。
父が母の状態はどうなのかと聞くとやはり急変する事はあり2,3日、このまま落ち着いても2,3週間は
無いとの事でした。
奥さんはとても頑張っておられます、でもギリギリの所にいますので何が起きるか分かりません。
胸を掴まれた様な苦しさがまた出ました。
今日の母の手は温かかったです。でも相変わらず足は靴下をはいても冷たいです。
そして顔や頭に汗を掻いて熱そうにしているのでお布団をバスタオルにしてアイスノンをしたら
落ち着いたようでした。

父が着物の事を叔母達に話しました。
家には着物以外に見当たらなく長じゅばんや帯などは用意してくれるみたいで安心しました。
最後の事は考えたくないけれど着たい着物を着れずに旅立たせるのはやはり可哀相です。
嫌だけどやらなくてはいけない事がこれからも増えていくのでしょう。