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〈めぐりあう大津絵〉展 その1〈鬼の念仏〉 

大津絵といえば〈鬼の念仏〉が有名である。

初期から中期にかけての大津絵の画題は神仏を描くものが多かったが、
中期から後期にかけて、神仏を描くものは少なくなり、
風刺を含んだ世俗画や戯画が中心となっていく。
それはそれで面白いのだが、やはり初期の大津絵の神仏画は面白い。

そういった神仏画の後退の中で、
〈鬼の念仏〉はいつの時代でも描かれ、人気の高い画題だった。

僧侶の姿をした鬼の絵は、念仏を唱え布施を求める姿として描かれる。
右手には撞木を持ち、左手には奉加帳、
首からは鉦を下げ頭の角の片方が折れているのが典型的な姿である。

左右の牙がそれぞれ逆向きだったり、雨傘を背負う図も多い。
また足の爪が二本だったり三本だったり、爪のない人間のような足のこともある。
足の爪が二本というのが初期の大津絵の特徴らしい。

〈鬼の念仏〉がなにを意味するのかは、書かれた〈道歌〉がなければわかりずらい。
「慈悲もなく情もなふて念仏をとなふる人の姿とやせん」の道歌がなければ、
慈悲深そうな見かけとは違った偽善者を風刺したものだとはすぐにはわからない。
別の解釈もある。
鬼のような人でも心の角を折って念仏を唱えて修行すれば成仏できることを表している。

どのような解釈でもよいが、やはりこの〈鬼の念仏〉のユーモラスでありながら、
圧倒的な絵の力の前では解釈はあまり必要ではないように思われる。
むしろ江戸後期にはこの〈鬼の念仏〉が、
子どもの夜泣き除けの護符として買い求められたという事実が興味深い。

上の写真は〈めぐりあう大津絵〉展に出品された〈鬼の念仏〉。
初期大津絵の傑作と呼ばれるものだが、たしかに完成度が高い。
作者はもちろん不明である。
こういった絵を描く無名の職人が存在し、
この絵を旅の土産物として買い求める庶民がいたということは
江戸期の文化の高さを象徴するのだろうか。
そういった〈文化の高さ〉を保障する経済的な背景には
虐げられた百姓農民の収奪があったことを忘れてはならない。

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