散歩と俳句。ときどき料理と映画。

アラン・ドロン

アラン・ドロン亡くなったのか。
先日のジーナ・ローランズに続き、懐かしい名前の訃報が届く。
まあ、そういう年齢にワタシもなったということである。

アラン・ドロンといえば1967年の『冒険者たち』を思い出す。ワタシが16歳になったばかりのころ。
リノ・ヴァンチュラ、ジョアンナ・シムカス。
監督はロベール・アンリコ。

『太陽がいっぱい』(監督ルネ・クレマン 1960年)や『サムライ』(監督ジャン=ピエール・メルヴィル 1967年)もいいが、『山猫』(監督ルキノ・ヴィスコンティ 1963年)も忘れ難い。

『サムライ』

マリアンヌ・フェイスフルとの『あの胸にもう一度』(監督ジャック・カーディフ 1968年)をどきどきしながら(笑)観たのは17歳の時。

『あの胸にもう一度』

1972年のジョセフ・ロージー監督の『暗殺者のメロディ』もあった。
トロツキーを演じたのはリチャード・バートンだった。
原題は『The Assassination of Trotsky』(トロツキー暗殺)である。
このころ洋画の邦題に『〜のメロディ』と付けるのがはやったのだろう。

ゴダールの『ヌーヴェルヴァーグ』には驚いたけど、それももう34年前か。
そのゴダールもいない。

フィルモグラフィーを見てると、1990年以前の作品はほとんど観ていることに気づいてちょっとびっくりした。

〈類まれな美貌〉という二枚目として評価されたわけだが、どこか表情に粗野な部分や背徳的な雰囲気ももつ俳優だった。

ゴダールは『ヌーヴェルヴァーグ』にアラン・ドロンを起用したさいに、〈生まれながらに固有の悲劇を抱え持っている人物〉と評したが、たしかに単純な美男子というわけではなかっただろう。

1968年に起きたアラン・ドロンのボディガード殺害事件では実行犯としてドロンと親しかったマフィアのひとりを逮捕する。
ドロンも重要参考人として召喚されたが、事件はうやむやのまま時効が成立するという怪しい話しもある。

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