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アンソニー・クイン 10 『ナバロンの要塞』とカール・フォアマン

1960年の『バレン』に出演したあと、アンソニー・クインは翌1961年にイギリス・アメリカの合作戦争映画『ナバロンの要塞』(監督J・リー・トンプソン)に出演する。
ワタシより上の世代の映画好きであれば誰でも知っている戦争映画である。
ワタシはこの映画を劇場で観たのだろうか。10歳の頃である。
たぶん後年テレビ放映で観たのだろう。
1972年に『土曜映画劇場』で初放映されている。

『ナバロンの要塞』オリジナルポスター。

『ナバロンの要塞』右からグレゴリー・ペック、デヴィッド・ニーヴン、そしてアンソニー・クイン。

主演のグレゴリー・ペックはよく憶えているのだが、アンソニー・クインの記憶がない。
他に出演していてかすかに記憶があるのはデヴィッド・ニーヴンくらいか。

監督のJ・リー・トンプソンはこの映画を撮ったあと1962年にやはりグレゴリー・ペック主演の『恐怖の岬』を作っている。
グレゴリー・ペック主演と書いたが、むしろ主演は出獄した性犯罪者役のロバート・ミッチャムであろう。
この映画は恐ろしかった。
劇場で観たわけではない。
初めてテレビ放映されたのは1968年の「日曜映画劇場」だからそのときかもしれない。

『恐怖の岬』のロバート・ミッチャムとグレゴリー・ペック。

1991年には『ケープ・フィアー』というタイトルでリメイクされている。
監督はマーティン・スコセッシ、執念深い性犯罪者役にはロバート・デ・ニーロがキャスティングされている。
ロバート・デ・ニーロもたしかに恐ろしい演技だったが、やはりあの眠たげな眼をしたロバート・ミッチャムには及ばない。

デ・ニーロは力み過ぎである。

『ナバロンの要塞』の製作と脚本を担当したのはカール・フォアマンだが、彼は1949年のカーク・ダグラス主演の『チャンピオン』(監督マーク・ロブソン)の脚本で一躍注目されるようになる。

『チャンピオン』のカーク・ダグラス。

しかしイリノイ大学に入学したさいに共産党員になった過去もあり、1952年の『真昼の決闘』(監督フレッド・ジンネマン)の撮影中から赤狩りの対象となり、完成後、英国へ亡命した。

『真昼の決闘』はテレビで何度か観たがとてもよくできた映画でなによりもおもしろい。

『真昼の決闘』のゲイリー・クーパー。

1957年にはデヴィッド・リーン監督『戦場にかける橋』の脚本も手がけるが、赤狩りでノンクレジットとなっていた。

ここでもやはり赤狩りのが深い影を落としている。
アメリカ映画を語るときに吹き荒れた赤狩りの嵐は避けて通ることができない。

〈続く〉

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