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渋谷区立松濤美術館へ〈明月記断簡〉1

〈SHIBUYAで仏教美術〉展で興味深かったもののひとつに〈明月記断簡〉がある。
『明月記』は平安時代末期から鎌倉時代にかけての公家であり歌人でもあった藤原定家(1162−1241)の日記で、
1180(治承4)年から1235(嘉禎元)年までの56年間にわたる克明な記録である。
定家はふたつの勅撰和歌集『新古今和歌集』『新勅撰和歌集』を撰進したことでよく知られている。
〈明月記断簡〉はいろんな博物館や大学、あるいは個人が蔵している。

奈良博物館の明月記断簡は建暦三年二月十一日・十二日条(1213年)

早稲田大学蔵の明月記断簡は嘉禄元年(1225年)

大阪府立中之島図書館蔵の明月記断簡

ワタシにとって定家の印象深い歌は

見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮

ということになる。
『新古今和歌集』に収められている。
無常観と簡単に言い切ることのできない複雑な構成をもった歌といえよう。
読者はまず〈花も紅葉も〉ということばに誘導されるようにこの国の伝統的な美意識に浸るのだが、
その感情は〈なかりけり〉という鋭い否定に続く〈浦の苫屋の秋の夕暮〉でみごとに覆される。
安東次男は『日本詩人選11 藤原定家』(筑摩書房/1977年)のなかでこの歌について、
人に思われる姿は尽くしているが、人を思う実情のうすい歌だ、と言えば酷に過ぎるか〉と手厳しい。

また塚本邦雄は『定家百首 良夜爛漫』(河出書房新社/1977年)でこの歌を冒頭に挙げて、次の詩を献じている。

はなやかなものはことごとく消え失せた
この季節のたそがれ
彼方に 漁夫の草屋は傾き
心は非在の境にいざなわれる
美とは 虚無のまたの名であつたらうか

『明月記』の一節の「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」をワタシは堀田善衛の『定家明月記私抄』(新潮社/1988年)で知った。
続編である『定家明月記私抄続篇』と合わせてこの二冊の本は、
堀田善衛が戦時中に『明月記』の「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」という一節に出会い、
「自分がはじめたわけでもない戦争で」死ぬかもしれない、
「戦争などおれの知ったことか」と延々と『明月記』に付き合うなかから書かれた。

『日本詩人選11 藤原定家』の口絵に収められた明月記断簡。1180(治承4)年9月。天理図書館蔵
3行目に〈紅旗征戎非吾〉の文字

のちに筑摩書房から文庫化されたさいの紹介文は下記の通りである。
紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ―源平争闘し、群盗放火横行し、天変地異また頻発した、平安末期から鎌倉初期の大動乱の世に、妖艶な「夢の浮橋」を架けた藤原定家。彼の五十六年にわたる、難解にして厖大な漢文日記『明月記』をしなやかに読み解き、美の使徒定家を、乱世に生きる二流貴族としての苦渋に満ちた実生活者像と重ねてとらえつつ、この転換期の時代の異様な風貌を浮彫りにする名著
なによりもこの本で堀田善衛はこの国の天皇制、貴族政治にたいする激しい批判を語るのだが、
それは文化の領域にも及び伝統芸能と化した世襲制の〈芸術〉とも言える領域への批判も含まれる。
(世襲制によって芸術が)家のものとなったりしたのでは、爾今独創を欠くものとなることは当然自然であり、存続だけが自己目的化して行く。(中略)俳諧、連歌、茶、能、花道等々、すべてがこのパターンを取る。存続だけが自己目的化することにおいて、天皇制もまた例外ではない
という堀田善衛の言葉は、現在でも残る伝統文学(俳句や短歌)の歴史意識の希薄さへのするどい批判になっている。
言うまでもないが天皇を中心とする貴族たちの〈文化・芸術・美学〉など、
奴隷のような苦しい生活を強いられた庶民にとってなんの関係もない。
花モ紅葉モ吾ガ事ニ非ズ」である。
支配階級の圧政、搾取、天変地異の多発など生きて行くことで精一杯だったのである。

〈続く〉

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