散歩と俳句。ときどき料理と映画。

Y・Tくんの通知表 その1

骨董市にはおかしなものが売られている。戦前の小学校の通知表などいったい誰が買うのだろう。
こんなものにお金を出すおかしなヤツがいるかもしれないと、業者は思っているのだろうか。
つい買ってしまったワタシは、きっとおかしなヤツなのだろう。

左右360ミリの三つ折り、天地195ミリ。昭和7年生まれのY・Tくんは現在89歳である。
まだ元気にお過ごしかもしれない。個人情報にかかわることでもあり、生徒名と保護者印はぼかしている。
東京市第二日野尋常高等小學校とは、現在の品川区にある第二日野小学校のことだろうか。
通知表には住所の表記がないので、確定はできないが、おそらくそうだろう。
現在の第二日野小学校は、施設一体型の公立小中一貫教育を日本で最初に導入した学校らしい。

小学校と書いたが正確には、尋常高等小學校である。
買ったのは、東京市第二日野尋常高等小學校のY・Tくんの、昭和14(1939、第一學年)年と
昭和18(43、第5學年、次回掲載)年の通知表である。
このあいだの昭和16(41)年に國民學校令の施行により、尋常高等小學校は國民学校となっている。
同時に成績の評価も「甲乙丙丁」から、「優良可」に変わる。
同年は対英米開戦(太平洋戦争)の年でもある。 昭和7(32)年8月19日生まれのY・Tくんの成績を見てみると、おおむね乙である。
算術は学年末の評価が甲。注目すべきは手工の項目である。
第一學期から三學期までいずれも甲の評価。
手工とは、今で言う工作のことである。おそらく手先の器用な少年だったのだろう。だが圖畵は乙が並んでいる。
絵を描くことよりも、手先を使った工芸的な才能があったのかもしれない。
國史の欄が空白なのは、一年生では歴史の授業はなかったということだろう。
總評は乙、操行は良が並んでいる。操行とは日頃の行いのことだろうか。
それが良だとすると、真面目な少年だったのだろう。 身体検査を見てみると、平均的な体格だったことがわかる。
胸囲がやや少ないところから、瘦せ型の少年だったのだろう。眼疾に「フリクテン」とある。
フリクテンとはアレルギーによる結膜と角膜の小発疹で、
多くは角膜縁に近い球結膜に充血を伴う小円形の白色結節を生じ,潰瘍となる。
従来は腺病質の小児や思春期の女子に多かったらしい(ブリタニカ国際大百科事典より)。
「本人ニ對スル注意事項」に「要治療」とゴム印が押されている。治療はうまくいったのだろうか。

「出缺席表」に目をやると、病欠は12月と2月にそれぞれ1日ずつの計2日。
皆勤賞はもらえないものの、立派なものではないだろうか。  (以下次回へ続く)

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