散歩と俳句。ときどき料理と映画。

多摩境へ 札次神社と絹の道

境川が京王相模原線と交差する手前を右折して
再び町田街道を越え、ガード沿いに歩く。

左に石柱が見える。
近づくと〈指定村社 札次神社〉の文字が彫られている。

おそらくこの先にその〈札次神社〉があるのだろう。
坂道をテクテク登って行く。

前方に鳥居が見えてくる。
木製の鳥居で注連縄が左右に掛け渡してある。
その奥が拝殿である。
この鳥居の造りが面白い。
下部に鳥居を支えるようにヒカエバシラがある。
この様式の鳥居をなんと呼ぶのだろうか。

札次神社の創建の年代不詳だが、
常陸国一之宮の鹿島神宮を勧請。
主祭神は武甕雷命(タケミカヅチオ)。

社殿は宝暦6(1756)年に再建され、
現在の本殿は覆屋(1999年の建替え)で、
中に当時の社殿が残されている。

小山内裏公園尾根緑道の高台にあった
津島神社と田端の八坂神社とともに
1964年ころに合祀された。

境内右手に石造の鳥居がある。
そこに石柱と丸石、石祠が見える。
石柱は合祀された津島神社の名が刻まれたもの。

無銘の石祠。

〈子種石〉

木札の文字はもう判然としない。

丸石は〈子(蚕)種石(こだねいし)〉として祀られている。
子種石は繭の形をしたものが多いらしいが、
ここの石はそうでもないようだ。
この地方に養蚕が盛んだったころの名残である。

というか、町田街道は江戸後期から明治期にかけて養蚕のさかんな
多摩・甲州・上州などと横浜との交易に用いられた
絹の道・八王子街道(神奈川往還)の一部である。

かつて町田街道の左右には桑畑が広がっていたという。

町田市に隣接する八王子は桑都と呼ばれるように
八王子宿は繭や生糸、織物の集散地として栄えた。

今八王子は桑都というキャッチフレーズが叫ばれ、
少々ウンザリもするのだが、
この国における養蚕業の歴史の中にあっては
重要な地域であることは間違いない。

縄文時代のストーンサークルから、
養蚕業が生み出した子種石信仰まで
なかなか有意義な半日の散歩だった。

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