以前、Villefrancheの名所を取り上げた際、大鍾乳洞をご紹介しましたが、今回、ご紹介するのは、
巨大な玄武岩群。前者が地下の驚異なら、後者は地上の驚異とでもいうところでしょうか。
訪れたのは、旅行の最終日に当たる1月3日。お世話になったファーブルさんに別れを告げ、8時55分
Prades発のバスで、玄武岩群のあるIlle sur Têtへ向かいました。10日間過ごしたRiaの街を離れる
のは感慨深かったです。
心配だった荷物は、丸一日、駅の構内に置かせてもらうことができたので、ほとんど手ぶらで観光を
楽しめました。パリだとすぐお金をとられるけど、ここは無料の上、交渉中のトラブルもなし。
田舎の駅はいいですね。
↑ Ille-sur-Têt駅構内。カタロニアの民族衣装を来た少女の絵が架けられています。
↑ こちらは男の子。
ずっと好天に恵まれてきた今回の旅でしたが、最終日はさすがにちょっと愚図りがち。
明け方からどんより曇り、空の色は真っ白。手始めに街の中を散策することにしたのですが・・・。
↑
物理学者、アンペールの名を冠した通り。
彼の名にちなんでつけられた電流の単位、「アンペア」は英語読みだったんですね。
教会による貧民救済の場として使われていた聖ジャック救済院(Hospice Saint Jacques)。
今は、Hospici d'Illa(カタロニア語ですね)と呼ばれ、内部は宝物殿になっています。
残念ながら、この時期は閉館。
↑ Hospici d'Illa
気を取り直し、次に向かった中世の古い教会は、工事中で入場禁止。泣きっ面に蜂とはこのこと
でしょう。加えて、雨も降り出し、仕方ないので、12時半に予約してあったレストランへ早めに行く
ことにしました。閉まっていて当然の時間に入れてくれた店長さんに感謝。
↑ ギリシャ風の前菜。手前はぶどうの葉に包んだお米、左端はアーティチョーク
さて、ここから、食べ物編の最終回です。
今回、行ったのは「薔薇色の人生」(La vie en rose)というレストラン。
もちろん、ピアフの有名な歌から取られたものです。中にはなんと蓄音機が置いてあって、往年の
大ピアニスト、パデレフスキのレコードが載せられていました。もちろん今では、単なる室内装飾に
過ぎないのですが・・・。
↑ 南仏名物の鴨の脂漬
正直、最初に見たときは、メニューもいまいちだし、前菜はセルフサービスとあまりいい印象では
なかったのですが、実際、食べてみると、鴨は熱々、前菜も、よく冷えている上、酸味が適度に
効いていて、なかなか美味でした。ワインつきの日替わりセットが、11.5ユーロと言うのも破格の
値段です。
↑ デザートのケーキ
閑話休題・・・本題の玄武岩群に入ります。ひとまず、見ていただいた方が早いですね。
こんな具合に、巨大でへんてこりんな岩柱や岩壁があちこちに立ってます。
嵐が来そうだったので不安でしたが、幸い、雨模様になる直前に、見学を終えることができました。
今だから言えることとは言え、凄みのある青灰色の空を見られたのはよかったかな・・・なんて。
夕飯まで間があったので、お次は、古い修道院を見に行くことに・・・。
天気も崩れてきたし、正直、あまり気が進まなかったのですが、その修道院がCasesnovesだと知り、
俄然、行く気になりました。と言うのも、絵葉書で、ここの修道院にあるというフレスコ画の写真を見た
からで、それが見たくて、小雨の振る中を必死で歩いたのですが・・・
↑ 見られたのは建物だけ。扉はしっかりと閉められていて、びくともしません。
それもそのはず。中のフレスコ画は、すでに Hospici d'Illaに保管された後だったんです。
考えれば、価値あるフレスコ画をそのままにしておくはずがないですよね。
お陰でまったくの無駄足でした。
天気はその後も悪くなる一方。
大急ぎで街の中央に戻り、お昼にお世話になったレストランに飛び込みました。時間は6時前。
さすがに店長さんは渋い顔でしたが、「7時までは注文しない」事を条件に中へ入れてくれました。
下の写真が、今回、最後の食事で食べたクレープです。
南仏カタロニア紀行の記事はこれでお終い。長い間、お付き合いありがとうございました。