Yokusia の問はず語り

写真担当: Olympus E-400 / Panasonic FZ5

トカゲはトカゲ?

2008-09-17 | Weblog

朝食を済ませた後、玄関を開けたら、ちびトカゲがすごい勢いで飛び込んできて、そのまますっと
下駄箱の中へ。涼しいし安全だし確かに居心地はいいだろうけど、こっちは落ち着かない。しかた
なく扉を開けっ放しにして様子を見ていたら、しばらくして外に出てきたものの、今度はラジエーター
の下へ直行。Fが宥め賺して(?)ようやくつかまえたけれど、近くで見ても本当に小さい。そのくせ
尻尾だけは一人前に長くて、もちろん「まだ」模様もついている。

あまりに可愛いので、ゴミとリ入院用に箱の中に詰めてあったカメラを大急ぎで取り出したのだけど、
ここでAFを使ったのがまずかった。ジーコジーコという電子音にびびったトカゲくんはFの手の間から
するりと逃げ出し、再び床の上へ。まだ子供のせいか、ものすごくおびえているようにに見える。
初めて外に出たみつばちハッチ(古い!)もこんな気分だったのかも。



MFに切り替えるとようやく落ち着いて、素直にFの手の中に収まった。おかしかったのはその後。
天気も良かったし、手に乗せたままの状態で外に出ると、手の平からトレーナーの袖の部分まで足を
踏み出し、肘の間から顔を出してなんとも満足そうな顔。布の心地よさが警戒心を解いたらしく、今度
は放そうにも離れない。この辺は天敵も多いし、こんなに無防備でうまくやっていけるのかなぁ。

・・・とここまで「トカゲ」と書いてきたけど、日本のブログを見ると「カナヘビ」と書かれていることが多い
ので、念のため辞書を調べてみた。

『カナヘビ=カナヘビ科のトカゲ・・・』 (広辞苑より) 

これによると、かね色で「トカゲ」よりスリムなものを「カナヘビ」と呼ぶみたいだけど、うぅん、なんとも
曖昧な説明。加えて「日本特有の種」と断り書きがあるから、フランスのはやっぱりトカゲなのか・・・。
誰か詳しい方、教えてください。

浮き沈み

2008-09-15 | Weblog

私にはどうも躁鬱の気があるらしい。
北杜夫さんのような躁鬱の「大家」に比べると、私程度で「躁鬱」なんて言葉を使うのはなんとも
おこがましいのだけど。こんな仰々しい言葉を使うより、単に「気持ちの浮き沈みが激しい」と書く
方が正確かもしれない。そもそも、よほど無神経な人か特別な修行でもつんだ人でない限り、
いつも同じ気分を保てる人なんていないんじゃないかなぁ。そうそう、すでに挙げた患者兼専門家
の北杜夫さんが、今は亡き遠藤周作さんのことを評して(?)「欝の時期がまったくない躁病患者」
と書いていた気がするけど、それが本当だとしたら、本人は幸せでも周りは相当大変だったと思う。

私の場合、街に出るか人と会うかすれば、たいていの場合、欝は治る。大変なのは最初の一歩。
無類のおしゃべり好きなくせに「出不精」「電話不精」「筆不精」と3拍子見事に揃っていて、欝に
なるとその傾向がますますひどくなる。そんな時はこっちから電話をかける勇気はとうていないし、
かといって外に出る気力もないからついついうちにこもって一日を過ごすことになる。こういう日に
限って、電話の一本すらかかって来ないことが多いから、気分はますます暗くなる。

身近な本を手に取ろうにも、横文字の本を読むエネルギーはないし、手元にある日本語の本は軒
並み読んでしまっているから、すでに読んでしまった本をぱらぱらとめくりながら時間をつぶすしか
ない。

今日もまさにそんな一日になりそうだったのだけど、幸い相棒のFから電話がかかってきた。
これまでお世話になったゼミの主任教授の退官パーティーがあるから来たらどうかとのこと。
夕食の献立さえ思いつかない状態だったから、文字通り「渡りに船」。レストランでの会食ではなく、
ビュッフェ式の立食パーティーだったのが残念(!)だったけど、周りで人の声が聞こえているだけ
でも気分は変わる。シャンパンを味見した後、お腹一杯食べ、好きなだけ話したら、ようやく気持ち
が上向きになった。バカンスも一段落したことだし、明日は誰かに電話をかけてみよう。


追記:

記事とは関係ないけど、数日前からローマ法王ベネディックト16世がフランスに来ている。
パリ、トゥールーズ、ルルドと周りながら、行く先々で信者との話し合いを続けているようだけど、
相変わらず、中絶も避妊器具使用も拒否。これ、どうにかならないのかなぁ。
いくら何でもあまりに時代錯誤。

確かに、中絶に関しては、絶対反対とは言わないけど、出来るだけ避けるべきだと思う。
第一、母体を傷つける。ただ、それには、避妊対策が認められていることが前提になる。養えない
子供たちを教会が全員、引き受けられるわけではないし、それ以前にエイズの問題もある。私が
ここで書いていることって、いまさら言うまでもないくらい当たり前のことだと思うのだけど、妻帯が
許されないカトリックの聖職者には理解を超えたことなのかな。ポーランド国民のアイドルだった
ヨハネ・パウロ二世もそうだったけど、宗教同士の対話を試みるなど、すごく寛容で幅広い視点を
持っているにもかかわらず、男女の問題になると突然堅物になってしまうのがなんとも残念な気が
する。あの年代の人にこの手の理解を求めること自体、無理な話なのかもしれないけど。

文豪の末路

2008-09-13 | Weblog

木曜日、ル・モンドを買ったら、ゴリオ爺さんの単行本(箱つきハードカバー)が丸ごとついてきた。
ネットさえあればどんな情報でも簡単に手に入る昨今、フランスの新聞社も大変らしく、名曲全集、
映画のDVD、世界の哲学者シリーズ、漫画フランスの歴史など手を変え品を変え付録につけては、
読者を釣り上げようとする。

ただしおまけが欲しい場合は、10€前後余分に上乗せするのが普通。
購読者のみの限定版だと思っていたら、大型書店で同じ値段で売っていてがっかりしたこともある。
だから今回もてっきりそうだろうと思い、それほどほしいわけでもなかったから断った。

キオスクのおばさんは不思議そうに私を見つめ、
「でも只よ只。只なのに断るなんてあなたが初めてだわ。」

私は耳を疑い、「えっ、だって普通、おまけ分上乗せするじゃないですか」と言うと、
「今回は本当に只なの。払ってもらうのは新聞の値段だけよ。」

現金な私は「只ならもちろんもらいます」と喜び勇んで受け取ったけど、ちょっとバルザックに同情して
しまった。新聞の売り上げ促進のため自分の本がただでばら撒かれるなんて、「人間喜劇」の作者も
想像してなかったんじゃないかなぁ。

「ゴリオ爺さん」(原題「ゴリオ親父」)、粗筋は知っているけどこれまでちゃんと読んだことなかったし、
せっかくだから読んでみようか。只でもらった上、本棚の肥やしにするのでは、偉大な原作者に申し
訳がたたない気がするし・・・。でも長い(汗)

あせらずに少しづつ読むことにしよう。

オマージュ

2008-09-10 | Weblog

日本時間6月24日未明、祖父が他界した。享年93歳。
私が成田行きの飛行機に足を踏み入れたのとほぼ同時刻だった。
去年、祖母が亡くなった時は、良心の呵責と後悔に苛まれ、あんなに激しく取り乱したのに、
今回は自分でも驚くほど冷静だった。表向きには・・・。祖父の死について聞いた瞬間、私自身
が黄泉の国に連れ去られてしまったような気分に襲われた。帰国後、旅行や家の雑事に追われ、
落ち着かない日々を過ごしていた時も、現実から遊離してしまったような感覚はそのままだった。

私は年寄りっ子だった。
性格も好みも感性も親や弟妹より祖父母に近かったという意味で。

子供の頃の読書の指南役は祖父。
お陰で小学校の頃から吉川英治とか江戸川乱歩とか古臭い本ばかり読んでいた。
「算術」の手ほどきも祖父。実家から電車で一時間弱の祖父母の家に行くと、決まって鶴亀算
の問題が出た。それ以外にも、二本の電車がすれ違う時間とか、小学校の文章題に出てくる
ようなものはほとんど。祖父の場合、孫の成績を上げたいとかいう意図は全然なく、まったくの
ゲーム感覚。大正浪漫の頃に生を受けた祖父には文学青年がそのまま大人になってしまった
ようなところがあって、昔の少年雑誌や夢二のイラストを、子供のように目を輝かせながら、幼い
私に見せたりした。旧字の本が曲がりなりにも読めるようになったのは、祖父の古い文庫本と
少年雑誌のお陰かもしれない。

屁理屈を厭わず、嫌なことは頑として受け入れないという頑固な面もあって、祖母はかなり閉口
したらしい。それでも結局、祖父の主張が通ってしまうのは、末っ子らしい温和で甘ったれな性格
と天真爛漫な笑顔、加えて、祖父がこねる屁理屈のあまりのむちゃくちゃさに聞き手が圧倒され、
説得するのをあきらめてしまうせいだった。こんな祖父の「名語録」は山ほどあって、お通夜に泣く
暇がないほどだった。

戦時中のどたばたで小学校しか出られなかった祖父はすごい読書家で、知識も広かった。
そんな祖父も、議論ではいつも祖母に負けていたように思う。私よりずっと記憶力のよかった祖母
は、好奇心が強く、物事を理論的に考えられる人だった。見た目や目先の先入観にとらわれること
なく、直感的に事の本質を言い当てるので、びっくりすることもよくあった。日本好きだけどとても
日本的とはいえない相棒のFを一番自然に迎えてくれたのも祖母。気さくでもてなし上手で、どんな
人でもリラックスさせてしまう人だった。

亡くなる前はさすがに気弱な面を見せることもあったけど、物事に対する興味は最期まで失わず、
電話口でフランスの大統領選を話題にして私を驚かせたりした。天文好きのFと一緒に望遠鏡で
木星の衛星を見た話を電話口ですると、「ああ、確か四つあるんだよね」と言う答えがすかさず
返ってきて、びっくりしたこともある。おじが子供の頃、小さな望遠鏡を買って天体観測をしたこと
があり、その頃の記憶がよみがえったらしい。近所の動物園に行った話をしてくれた時は、見た
動物の名前をよどみなく挙げていく祖母の記憶力に舌をまいたものだ。

実験好きの祖母は、どんな種でも見つけるとすぐまいてみるので、庭もベランダも鉢植えの野菜や
花があふれていた。うちで飼っていたスズムシを引き受け、飼育していたこともある。

直感的に本質を悟ってしまうような人と書いたけど、それで忘れられないのは私がカトリックの洗礼
を受けた時のこと。祖母は私がキリスト教に惹かれていることを知ると、あの分厚い旧約聖書を丸々
読み、率直に聞いてきた。「自分の意向に沿わない者を皆殺しにするような神をどうして信じられる
のか」と。その時は確か旧約の神はキリスト教の神とは違うとか説明した記憶があるけど、その後、
ヨーロッパ史を知れば知るほど、あの時の祖母の言葉は当たっていたと思うようになった。

宗教がらみの話が続くけれど、エホバの証人の勧誘を受けた時、「信じなければ世界の終焉と共に
滅びるが、信じればあの世で永遠に生きられる」と言うような話の後、祖母はすかさず「友達も家族も
いないところで一人だけ生き残るくらいなら、他の人と一緒に死ぬ方がずっといいですよ」と言いきって、
勧誘者を唖然とさせたらしい。

祖父母の言動を思い返すたび、あれほど大変な時代を生き、満足な教育すら受けられなかったのに、
どうしてあんなに大らかで広い視点をもてたのだろうと不思議に思うけど、その一番の理由は、戦中
と戦後を生き抜き、それまで価値があった思想や価値観、通貨などがまったく否定されてしまうという
経験をしたからなのかもしれない。以前、よく祖父が言ってたことを思い出す。

「子供の頃は、毎日、教育勅語を唱えさせられ、天皇の名前を初代から全部暗誦させられたものだ。
それなのに戦争が終わったとたん、学校で学んだことはどれも間違いだったと言われたんだ。これで
動転するなという方が無理だ。」

絶対的な価値観が根底から覆されるような強烈な体験をしたからこそ、柔軟な視点で周囲の変化を
見つめることができたのかもしれない。