Yokusia の問はず語り

写真担当: Olympus E-400 / Panasonic FZ5

ポーランド版 追記

2007-09-25 | Weblog
↑VOLGA(ソ連製)

ある友人(ポーランド人)は、子供の頃、悪さをするたびに、
「そんな子はヴォルガに乗せて連れて行かれるよ」と母親
に脅されたそうです。外装はなかなか貫禄あるでしょ(笑)

ちなみにこれは個人用ではなく、観光客相手の展示用に
Kazimierz地区の一角に置かれたもの。


というわけで、長々と続いたポーランド編もこれで終わり。
明日からはフランスの日常に戻ります。

ポーランド編 10

2007-09-25 | Weblog
↑ワルシャワで見た青い空


映画は、アンジェイ・ヴァイダ監督の新作、「カティン」の封切りが9月17日と聞いていた
ので、ポーランドで見られるかも、と楽しみにしていたのですが、残念ながら、一部の
人のみを対象にした特別公開。実際のロードショーは、私がフランスに発つ三日後の
22日でした。残念。

この映画は、1943年、ロシア西部スモレンスク近郊の森、Katyńでポーランド兵がソ連兵
に大量虐殺された史実を元にしたものなのですが、ヴァイダ監督のお父さんもこの時に
殺されていて、この映画は亡き父親へのオマージュでもあるそう。最近のヴァイダの映画
にはあまり興味がないけど、このエピソードのせいで見たくなったと話してくれた友人も
いました。今は一般公開も始まっているはずですが、反応はどうだったのでしょうか。

フランスでも公開されればうれしいけど、ポーランド映画の新作が上映されることは滅多
にないので、かなり望み薄。

ヴァイダを見そびれた代わりに、クラクフの友人が勧めてくれたチェコ映画、「私は英国
国王の給仕をした」(Obsługiwałem angielskiego króla)を見てきました。

クラクフでは時間が取れず、半ばあきらめていたのですが、ワルシャワの友人二人も
この映画は見ていて、「面白いよ」と言うので、まだ見ていないというもう一人の友達と
二人で行ってきました。ハシェックの伝統のお陰か、チェコ人のユーモアはすごいです。

人間くささと皮肉っぽさはポーランド人と似てるけど、ポーランド映画によくある悲壮感、
昂揚感がないんですね。事態が深刻でも、さらっと受け流すようなところがあります。

この映画は、ウェイターとして働きながら億万長者を夢見る青年の話ですが、旧東欧
映画の常で、単純なハッピーエンド、一攫千金と言う形では終わりません。後は見て
のお楽しみ。問題は日本で上映するかどうかですね。

ポーランド編 9

2007-09-25 | Weblog
↑本当に見かけ倒しでした


ポーランドに来ると、コンサート、映画、演劇を最低ひとつは見ることにしています。
コンサートは、ここ数年、チェンバロのエルジュビエタ・ステファンスカさんの演奏会に
行くのが習慣になっているのですが、今月8日にヴィエリチカで行われたコンサート
は、これまでの演奏と比べても格別でした。バッハが中心だったのだけど、あんなの
は初めて。

音楽について言葉を並べても虚しくなるだけなのでやめますが、偶然、同じコンサート
に来ていた知り合いの音楽家夫婦も、口を開くなり、「すごかったぁ。偉大な演奏家は
年を重ねても進歩し続けるんだね。こんなに感動したのは久しぶり」と言っていました。

期待はずれだったのは演劇。
劇場で勤めている知り合いに只で手配してもらった券なので文句は言えませんが、
ちょっとびっくりです。

と言うのも、ポーランドは昔から演劇国として有名で、パリにまで、ポーランドの劇団が
ちょくちょく来るくらい。これまで、この友人に勧められて見た劇も質の高いものばかり。
だから、今回もかなり期待していたのですが。

ピアッツォーラのタンゴを背景に、アルゼンチンを舞台にした恋愛ストーリーが繰り広げ
られるというミュージカルなのですが、これがクサい。ポーランド人が南米人を演じると
聞いた時から嫌な予感はしていたのだけど。

ピアッツォーラは嫌いじゃないけど、いい加減に弾くとただ甘いだけになってしまう。
これがずっとバックに鳴り続けているのだから、バランスを取るためにも、セリフは渋くて
深みのあるものにしてほしかったのに、誰彼かまわずKocham Cię(愛してる!)を連発
する芸のなさ。

退屈のあまり胃が痛くなるくらいだったのに、ポーランドの観客はまんざらでもないよう
で、大きな拍手がたびたび沸き起こっていました。脇に座っていたたおばあさんが、
「こんな素晴らしい音楽は聴いたことがない。あの女優さんの歌の上手だったこと!」
と感動の面持ちで叫ぶのを聞き、思わず殴りたくなったくらい。

私としては、この先、ポーランドの演劇が、あの路線に進まないことを祈るばかりです。

ポーランド編 8

2007-09-25 | Weblog
↑ワルシャワ蜂起博物館内のレストラン。過ぎた日を思わせるデザインです。


ワルシャワに住む友人の話によれば、ガサツなツーリストが増えたのは、文化都市として
のみではなく、娯楽都市としてアピールし始めたクラクフの政策にも問題があるということ
だけど、もしそれが本当なら残念ですね。

この町の中心地、Rynek(中央市場)で友人たちとよく待ち合わせるのですが、学生を対象
にした気軽なレストランやミルクバー、昔ながらの喫茶店が次々と姿を消し、ホテルと高級
レストランが増えていくのを見るのはとても残念です。

クラクフとワルシャワで一番違ったのは交通費。
ワルシャワでは、三日乗り放題(72時間ではないので、三日目の夜中に期限切れになる)
のチケットが12ズウォティで買えるのに、クラクフの24時間券が10ズウォティ以上もする。
少なめに見ても、ワルシャワより2倍は高い計算になります。

クラクフの場合、Rynek周辺まで出てしまえば徒歩でも大丈夫なので、回数券と1時間券の
使い回しでもどうにかなるのですが、ワルシャワでは、地下鉄、トラム、バスをフルに使う
生活になるので、その辺の差が出ているのでしょうか。

以前は、ワルシャワに出るたびに、物価の高さに驚かされたものですが、今回、それほど
感じなかったのは、クラクフの物価がそれだけ急騰しているということなのかも。外国人
ツーリストの増加と無関係ではないのでしょうが、昔からの住人はやりきれないでしょうね。


ポーランド編 7

2007-09-25 | Weblog
↑ザコパネの舞踊団。実はこれも去年のだったりします。


ポーランドがEUに入った頃から、行くたびに、観光客が増えたなあと感じていたけど、
今回、目立っていたのはドイツからのツーリスト。

いつも集団行動しているせいかもしれませんが、一言で言ってうるさいので、いやでも
目につきます。カメラを向けている人の前を通る時、普通の観光客なら、身をかがめたり、
回り道したりするものなのだけど、彼らは別。記念写真を撮っている人たちの間でも、大声
でしゃべりながら平気でずかずか通って行きます。新しい一眼を首から下げ、恥ずかしい
くらい観光客していた私も、これにはちょっとむかつきました。私が住んでいた頃もドイツ人
は多かったけど、もっと控え目で文化的だった気がするなあ。

今回は、歩いているとまず聞こえるのがドイツ語と英語と言う感じでした。
お陰でクラクフが豊かになるのはうれしいけど、これはちょっと行き過ぎですね。

この話を友人たちにすると、一斉に口を揃えるのが、ドイツ人ではなくイギリス人の素行の
悪さ。集団でやってきて飲み歩き、女性にちょっかいを出すイギリス人観光客にクラクフの
喫茶店では手を焼いているとか。ある友人の話では、酔っぱらってウェイトレスのスカート
を引っ張る観光客もいたとか。集団で押し掛けて騒ぐイギリス人観光客を、彼は皮肉っぽく、
英国独身男性ツアーと呼んでいました。これでは、イギリス紳士も形無しです。

ただ、その背景には、イギリスがポーランド人の出稼ぎ労働者をいちばん多く受け入れて
いるという現実があるので、この問題も一筋縄ではいかないようです。
パリのポーランド語教室でこんなジョークを読んだことがあります。

戦時中のポーランド政府はイギリスにあったが、ポーランド人はポーランドに住んでいた。
戦後のポーランド政府はポーランドに戻ったが、ポーランド人はイギリスに住んでいる。

反面、ドイツ人の話をするとポーランド人がよく言うのが、「あれは東独人だよ。西独人は
もっと文化的だ。」これってかなり偏見に満ちている気がするのですが。共産党時代の
東独のイメージがいまだにこびりついたままなんでしょうね。

ポーランド編 6

2007-09-25 | Weblog

今回の滞在中、クラクフは雨ばかりでした。もう、これでもかと言うくらい。
パリ近郊とは対照的に、今年の夏、この辺は猛暑で、40度近い日もあったというけど、
その反動もあるのでしょうか。

今回、お世話になった「ママ」の話では、気温が高くなりすぎて、ついに温度計が壊れて
しまったとか。「一番上の目盛りまで上がった後、そのまま下がらなくなっちゃったのよ。
もっと目盛りがあれば正確な温度がわかったかも。40度は優に超していたわね。まあ、
50度はいってないと思うけど。」本当かなぁ…。

フランスでは、革のコートをクリーニングに出すとコートの値段より高いクリーニング代を
請求されるので、今回はバックスキンのコート3枚とウールのコート(これはおまけ+実用)
をトランクに詰めて持ってきました。空港に降り立つと、冷夏だったパリよりもはるかに寒い。
人々はすでに、コートやセーターをしっかり着込んでいます。翻って私の方は、枚数だけは
あっても、すぐ着られるような洗いたてのコートが一着もない。

仕方ないので、「ママ」のうちに荷物を置いてすぐ、一張羅のカシミアセーターを着込み、
町の中央にあるクリーニング屋に向かいました。ここのクリーニングは一日で出来るのが
いいところ。とは言っても、革製品はやはり時間がかかるようで、三日前後は見てほしい
とのことだったので、翌日、とりあえずウールのコートだけを取りに行き、その後は毎日、
このコートで出歩くことになりました。クラクフで晴れたのは、結局、最後の二日間だけ。

その後に訪れたワルシャワが好天続きで、半袖Tシャツ一枚で歩けたのとは対照的でした。
あまりに暖かかったので、クラクフであれだけお世話になったコートを、友達の家に忘れて
きてしまったくらい。クラクフにいた時の気温は10度前後、ワルシャワにいた時の気温は
20度近くだから、ほぼ10度の気温差。とても同じ国とは思えませんでした。

ポーランド編 5

2007-09-25 | Weblog

去年ようやく、クラクフ中央駅前の改装工事が終わり、Galeria Krakowskaという巨大な
駅ビルが出来たのですが、これについても運ちゃんがグチっていました。

「車で女房の買い物に付き合うだろ。これがAuchanとかTescoだと、まあ時間はかかるが
収穫もあるわけで、付き合いがいもあるわけさ。でもGaleriaは高い。高いがシックでいい
物が置いてあるから、女房はショーウィンドウの前から動かない。俺はと言えば、その間、
手持無沙汰に待っているだけだ。何も買わない買い物に付き合わされるこっちの身にも
なって欲しいよ。」このおじさん、奥さんが買ったら買ったで、またグチるんだろうなあ(笑)

このGaleria Krakowska、私もコンサートに持っていく花や友達へのお土産を買うのに利用
しましたが、本屋から食材まで、クラクフの主要な店は軒並み揃っているので、あまり時間
がない時や雨の時などは重宝しそうです。建物の外観は今一。ワルシャワならともかく、
古都クラクフにはそぐわない気がします。

そぐわないと言えば、グロツカ通り沿いにある諸聖人広場(Plac Wszystkich Świętych)
に出来たヴィスピアンスキ博物館(?)も、煉瓦の平べったい建物だけど、どこか場違いな
感じですね。外見だけで、内装はまだ見ていないのですが…。

ポーランド編 4

2007-09-25 | Weblog

ポーランドのタクシーは、電話予約すると料金が安くなるので、お気に入りのWawel
タクシー(Tel : 9661)に電話を入れようと思ったのですが、空港前は、タクシー乗り
場や駐車場のせいで、待ち合わせ場所を決めるのが難しい。かと言って、タクシー
乗り場に入っているタクシーは高いし…。

去年は、偶然、入ってきたWawelタクシーにうまく便乗出来たけど、今年はどうだろう
などと考えていると、9622と書かれたタクシーが目に入りました。ここのタクシーも
安いから、妥協してもいいかと思いつつ運転席を見ると誰もいません。車の前で若い
男の子が煙草を吸っているので、運転手かと聞くと違うと言う。

このお兄ちゃんには見事に騙されました。(と言うと人聞き悪いけど)
タクシー会社に電話しようか迷っていると、「空港のタクシーを使えばいいじゃない」と
言うんです。「高いから…」と言うと、「それほど変わらないと思うけど、どこまで行くの?」
行き先を告げると、「それなら、高くても30ズォティも払えば大丈夫。請け合うよ。」

たぶん彼は本当にそう思い込んでいたのだと思うけど。30ならいいか、と乗り場の
タクシー(9191)に乗り込んだのが運のつき。実際の料金は69ズウォティでした。
運ちゃんはいい人だったけどね。

とは言え、値段が跳ね上がった理由は、タクシー会社のせいだけでもないようです。
運ちゃんによれば、ポーランドでは、最近、ガソリンの値上げに伴って、タクシー代が
11パーセント上乗せになったとか。ガソリンに限らず、小麦も50パーセントの値上げ。
煽りを食ってパンも値上がり、給料は据え置き、と文字通り泣きっ面に蜂。

ある友人の話では、ポーランドの小麦が、干ばつでダメージを被った西側に流れた
せいで、国内の小麦の値段が高騰したとか。

このところズォティ高が続いているので、経済的にも良くなっているのかと思ったけど、
そう単純ではないようで、「西側に追いついたのは物価だけ」とポーランド人がぼやく
状況がまだまだ続きそうな気配です。

ポーランド編 3

2007-09-25 | Weblog

今回もLOTでクラクフに飛びましたが、行きはパリからの直行便があったのに、帰りの便
はワルシャワ経由のみ。国内便を乗り継ぐのも面倒なので、ワルシャワ訪問を最後に回し、
そこから直接パリに発つことにしました。クラクフ‐ワルシャワ間のチケットは、クラクフで
簡単にキャンセルできたのでよかったです。

クラクフは、一年の見ない間にずいぶん変わっていました。まず、空港から鉄道の中央駅
に直結する電車ができたこと(あっ、これは去年からかな)。安くて乗り心地もよく、なかなか
快適だという話を聞きました。中央駅だけでなく、塩鉱で有名なWieliczkaや今は亡きヨハネ・
パウロ二世の生地、Wadowiceに行ける線もあるみたいですね。

去年、おととしと二年続けてお世話になった友人が、今年はイタリア旅行でいないので、
別の友人のママのところに泊めてもらうことになりました。ポーランドでは家族ぐるみの
付き合いが多いので、あちこちにママがいます(笑)

駅からも空港からも離れているし、大きなトランクを持ってトラムに乗るのも落ち着かない
ので、新しい電車を試すのはやめ、例年通りタクシーで行くことにしました。

運ちゃんと交わす会話は、最新ポーランド情報をてっとり早く手に入れられる最良の手段
なので、ポーランド入国時のイニシェーション代りになっています。

ポーランド編 2

2007-09-25 | Weblog
↑この写真、実は去年のです。


ポーランドでのエピソードを書く前に、出発時の体験談。

テロの頻発のせいで、空港のコントロールは厳重になる一方ですが、そのお蔭(?)
で、空港職員と何ともユーモラスな会話を交わす羽目に...。

液体もペーストも刃物も入れてなかったのに、リュックサックで引っ掛かり、中身を
すべて見せなければならなくなりました。審査係のおじさんは、私が日本人である
ことと、拙いながらもフランス語を話すことで気を良くしたらしく、ものすごく上機嫌。

「せっかくの機会だし、ゆっくり中身を見せてもらおうか。楽しみだなぁ…」と鼻をうご
めかします。「そんなに面白いものは入ってないと思いますよ。」と私。「まあ、いい
じゃないか。あっ、これ何だ?」とおじさんが指さしたのは○○用品用のポーチ。

「これは殿方に見せるようなものじゃないんですけど」とやんわり断っても、「まあまあ
そう固いことを言わずに…」と暖簾に腕押しの状態。面倒なので、思い切って中身を
開けて見せると、このおじさん、ニヤッと笑って、「マダム、心配することはありませんよ。
私もだてに年を重ねているわけじゃない。こういうものが世の中に存在することくらいは
知っています。」

これには参りましたね。

ポーランド編 1(9月6日~19日)

2007-09-25 | Weblog
↑フランスには「ポーランド人のように飲む」という表現があるそうです(笑)


さて、ここからポーランド編。

フランスに戻ってから十日余りたった九月の六日、恒例のポーランド旅行に出発しました。
去年に続き、今年も私だけの一人旅。実を言うと、言葉の問題もあって、ポーランド滞在は
相棒抜きの方が気楽だったりします。

言葉のわからない相手がそばにいると思うと、気兼ねして、おしゃべりにも身が入らないし、
友達も気にして、一生懸命、英語で話そうとしてくれたりするので、かえって落ち着かない
んですよね(笑)

考えたら、このブログを始めたのは、去年、ポーランドに里帰り(?)した頃。
あれからもう一年経つなんて。月日が経つのって本当に早いですね。こんな調子で年を重ね、
気づいた時にはすでに老人…なんてことになるのかも。

ポーランドでは、議員選挙を控え、政治談議が盛り上がっていました。
「こういう時こそ、誰が親友かよくわかるわね。本当の友達なら、政治的見解が違うだけで
袂を分つようなことはしないもの」というのはある友人の弁。

日本編 10

2007-09-24 | Weblog
↑これが福井名物のおろしそば


空木岳の頂上についた後はひたすら降りるだけ。
無事、登山口を出て、駒ケ根のユースに戻ったのは、山に入った日から数えて4日目の
午後でした。

荷物を置いてすぐ温泉に行き、名物の信州そばを食べた後、ゆっくりお湯につかって、
これまでの垢を落としました。本当、気持ちよかったです。露天風呂もあって、湯船で
文字通り裸の付き合いをしてしまいました。相手は60すぎの女性。ご多分にもれず、
出身地の話から始まりました。「どちらからですか」と尋ねると「福井です」と言う答え。

この後、松本、富山経由で、福井に住む相棒の星友を訪ねる予定だったので、その話
をすると、「それならぜひ、おろしそばとお刺身を試してみてちょうだい。」

この人曰く、「信州そばが有名って聞いて、一度くらい食べてみようと思って来たけど、
慣れているせいか福井のおそばの方がおいしくて」とのこと。

このおばさん、二十年前から、ご主人と二人で登山を始めたそうです。
年齢にして四十過ぎからですね。

これまでは北アルプスばかりだったから、中央アルプスに来られてとてもうれしい、
山を下りて最初につかる温泉ほど気持のいいものはないと話していましたが、不惑
を過ぎてから夫婦で登山を始めるなんて素敵ですね。

というわけで日本編はこれまで。
次はポーランドの話題です。

日本編 9

2007-09-24 | Weblog

面白かったのは、この時、隣の布団に寝ていたオジサンが一緒についてきたこと。
隣の人の鼾のせいで、眠れぬ夜を悶々と過ごしていたらしく、「どうせ寝付けないから
ご一緒させて下さい」と言って来たのだけど、私同様、こんなにたくさんの流れ星を一度
に見たのは初めてだったようです。大地に、直接、寝転がって見た満天の星空は、天然
のプラネタリウムの趣でした。

この話にはまだ続きがあります。
翌日、山小屋から空木岳(うつきだけ)に向かったのですが、その途中で会った人が、
開口一番、「昨日、山小屋に泊まられたフランス人の方ですか」と相棒に尋ねるんです。
同じ山小屋にいた人かと思い、「あなたもあそこに泊まられたんですか」と聞くと、「いや、
僕は逆側から来たんだけど、ついさっき、山小屋で会ったフランス人のお陰で流れ星が
見られたと喜んでいる人を見たもんだから、この人がそうかなと思ったんですよ」という
返事。

ベレーをかぶり、シャツの襟元からスカーフを覗かせた小粋な人で、今年、定年を迎えた
ばかりだそう。山小屋が満員で足の踏み場もないくらいだったことを話すと、「そんな話を
聞くと責任を感じてしまうなあ。最近、旅人口が増えたのは、僕たち団塊の世代が定年
になったからと言う説もあるくらいだからね。」思わず笑ってしまいました。おじさんなんて
呼ぶのが失礼なくらいスマートな人でした。本当、格好よかった!