↑ 道すがら見たChirachの古い教会。
このところ、雨ばかりで、外に出る気力が失せているので、ブログばかり進みます。
今回の旅では、この地方の主要な修道院を三ヶ所ほど周ったのですが、今回、ご紹介するのは、
RIAの街から徒歩で一時間半くらい(だったと思う)の距離にある、聖ミシェル教会。
フランス語の正式名称は、Abbaye Saint-Michel de Cuxa。
Cuxa は、いまいち読み方に自信がないのですが、地元の人の発音を小耳に挟んだ感じでは、
「クジャ」と読むようですね。
↑ 土台は974年、鐘楼とクリプトは11世紀、それ以外は12世紀の建立。
この修道院を訪れたのはクリスマスの日。
その前日、イヴの深夜ミサについて聞いた際、ファーブルさんが薦めてくれたのがここだったのです
が、例の生誕劇で、十分、満足してしまったので、翌日、ゆっくり訪問することになりました。
ここは、ミサが朝の11時、見学は午後の2時以降。
それで、せっかくだからと、朝のミサに顔を出し、その後、近場を少し散歩して、から、午後、修道院
に再び舞い戻ることに・・・。
↑ この辺りは、ほんの少し足を伸ばすだけで、古い時代の廃墟に出会います。
↑ この近くの小村、Taurinia の語源は「雄牛」。 古い教会の鐘楼にまで
↑ こんな彫刻が・・・
↑ 通りのプレートにも牛がいます。(カタロニア語で「教会通り」(?))
この辺は桃の産地で、あちこちに桃畑があるのですが、ここもそうで、修道院の周りに、ぎっしりと
桃の木(苗?)が植えられています。中世以来、ヨーロッパの修道院は、新鮮な食材、お酒、薬草
の宝庫。ここにも秘蔵の桃リキュールとかがありそうですね。
入り口でCDを売っていたので、カタロニア語のクリスマスソングがはいったものを買ったのですが、
ここにいたおじさん(修道士さん?)も、イヴの名残か、ほんの少しだけ、お酒の匂いが・・・。
↑ 修道院の前方に広がる赤味がかった部分が桃畑
正直、パリでは、街中に鳴っている「プチ・パパ・ノエル」と「ジングルベル」にうんざりしていたので、
ミサではこの地特有のクリスマス聖歌が聞けるかなあと思ったのですが、さすが歴史のある修道院
だけあって、ラテン語のグレゴリアン聖歌が中心でした。
ミサは南仏方言とカタロニア語。
これは面白かったです。カタロニア語がフランス語と違うのは当たり前だけど、南仏方言とパリ近郊
のフランス語もかなり違っていてびっくり。
例を挙げると、Matin(朝)が「マテン」(北方では「マタン」)、Pain(パン)が「ペン」(北では「パン」)
という具合で、一番のカルチャーショックはMaintenant(今)と言う言葉。こっちでは、「マントゥノン」
に近い発音ですが、南仏方言では「メンテナン」。ちなみに、パリ付近で話されているフランス語は、
鼻音や微妙な母音が多いせいで、カタカナにするとかなり無理があるのですが、南仏のフランス語
なら、まったく問題なし。日本人にはこっちの方が楽かもしれません。
南仏でフランス語を学んだ外国人が、何も知らないまま北に出ると、私とは逆の意味でカルチャー
ショックを受けるかもしれませんね。お陰でようやく、フランス語の綴りが表音表記ではなく、歴史的
表記である理由がわかった気がしました。
ここから、肝硬変・・・じゃなくて、観光編に入ります。
まずは教会から・・・
ちなみに、974年に建立された土台の部分は、ローマン様式以前の建造物として、かなり貴重なもの
なのだそう。ちなみに、11-12世紀に建てられた部分は、ローマン様式初期のものとして分類されます。
鐘楼の部分には、ローマン様式の特徴であるアーチ型の小窓も。
↑ お御堂にあった「オリーブ山のキリスト」(15世紀)
有名なオリーブ山のシーンが題材にとられています。眠りこけている弟子だけでなく、啓示を受ける
キリストさえ、どことなく人間くさいところが、いかにもルネッサンスらしいですね。
↑ こちらはミサ用の台。
普通、この場所は観光客入場(?)禁止なのだけど、この教会は例外のようで、ガイドブックの
観光スポットにもしっかりとり上げられていました。さすがに写真を撮るのは気が引けたけど・・・
(と書きつつも、しっかり撮っている私)
柱の上に乗っている板の部分、フランス革命時に売り払われ、一時、一般家屋で、ベランダの床
として使われていたそうです。修道院内の資料館に当時の写真が貼ってありました。私が「民主」
革命と言われるものに心から賛同できない理由は、こういうところにあるのかもしれません。元は、
古代ローマ時代の神殿で使われていたものらしいです。
↑ お御堂の横の小さなチャペル。これもかなり古いもののよう。
↑ こちらはクリプトの内部。
ここから修道院の中庭に移ります。
柱頭のモチーフにはいつも気持ちが惹かれますが、残念なのは、ここで使われているアレゴリーの
意味が理解できないこと。パンフレットやガイドブックでも、たいていの場合、歴史的な事項と建築
様式の説明だけで終わってしまうんですよね。これが正統と言い切れる解釈がない・・・と言うのが、
その理由のようですが・・・。
ここまで書いたら日が差してきました。久しぶりに散歩でもしようかな・・・
このところ、雨ばかりで、外に出る気力が失せているので、ブログばかり進みます。
今回の旅では、この地方の主要な修道院を三ヶ所ほど周ったのですが、今回、ご紹介するのは、
RIAの街から徒歩で一時間半くらい(だったと思う)の距離にある、聖ミシェル教会。
フランス語の正式名称は、Abbaye Saint-Michel de Cuxa。
Cuxa は、いまいち読み方に自信がないのですが、地元の人の発音を小耳に挟んだ感じでは、
「クジャ」と読むようですね。
↑ 土台は974年、鐘楼とクリプトは11世紀、それ以外は12世紀の建立。
この修道院を訪れたのはクリスマスの日。
その前日、イヴの深夜ミサについて聞いた際、ファーブルさんが薦めてくれたのがここだったのです
が、例の生誕劇で、十分、満足してしまったので、翌日、ゆっくり訪問することになりました。
ここは、ミサが朝の11時、見学は午後の2時以降。
それで、せっかくだからと、朝のミサに顔を出し、その後、近場を少し散歩して、から、午後、修道院
に再び舞い戻ることに・・・。
↑ この辺りは、ほんの少し足を伸ばすだけで、古い時代の廃墟に出会います。
↑ この近くの小村、Taurinia の語源は「雄牛」。 古い教会の鐘楼にまで
↑ こんな彫刻が・・・
↑ 通りのプレートにも牛がいます。(カタロニア語で「教会通り」(?))
この辺は桃の産地で、あちこちに桃畑があるのですが、ここもそうで、修道院の周りに、ぎっしりと
桃の木(苗?)が植えられています。中世以来、ヨーロッパの修道院は、新鮮な食材、お酒、薬草
の宝庫。ここにも秘蔵の桃リキュールとかがありそうですね。
入り口でCDを売っていたので、カタロニア語のクリスマスソングがはいったものを買ったのですが、
ここにいたおじさん(修道士さん?)も、イヴの名残か、ほんの少しだけ、お酒の匂いが・・・。
↑ 修道院の前方に広がる赤味がかった部分が桃畑
正直、パリでは、街中に鳴っている「プチ・パパ・ノエル」と「ジングルベル」にうんざりしていたので、
ミサではこの地特有のクリスマス聖歌が聞けるかなあと思ったのですが、さすが歴史のある修道院
だけあって、ラテン語のグレゴリアン聖歌が中心でした。
ミサは南仏方言とカタロニア語。
これは面白かったです。カタロニア語がフランス語と違うのは当たり前だけど、南仏方言とパリ近郊
のフランス語もかなり違っていてびっくり。
例を挙げると、Matin(朝)が「マテン」(北方では「マタン」)、Pain(パン)が「ペン」(北では「パン」)
という具合で、一番のカルチャーショックはMaintenant(今)と言う言葉。こっちでは、「マントゥノン」
に近い発音ですが、南仏方言では「メンテナン」。ちなみに、パリ付近で話されているフランス語は、
鼻音や微妙な母音が多いせいで、カタカナにするとかなり無理があるのですが、南仏のフランス語
なら、まったく問題なし。日本人にはこっちの方が楽かもしれません。
南仏でフランス語を学んだ外国人が、何も知らないまま北に出ると、私とは逆の意味でカルチャー
ショックを受けるかもしれませんね。お陰でようやく、フランス語の綴りが表音表記ではなく、歴史的
表記である理由がわかった気がしました。
ここから、肝硬変・・・じゃなくて、観光編に入ります。
まずは教会から・・・
ちなみに、974年に建立された土台の部分は、ローマン様式以前の建造物として、かなり貴重なもの
なのだそう。ちなみに、11-12世紀に建てられた部分は、ローマン様式初期のものとして分類されます。
鐘楼の部分には、ローマン様式の特徴であるアーチ型の小窓も。
↑ お御堂にあった「オリーブ山のキリスト」(15世紀)
有名なオリーブ山のシーンが題材にとられています。眠りこけている弟子だけでなく、啓示を受ける
キリストさえ、どことなく人間くさいところが、いかにもルネッサンスらしいですね。
↑ こちらはミサ用の台。
普通、この場所は観光客入場(?)禁止なのだけど、この教会は例外のようで、ガイドブックの
観光スポットにもしっかりとり上げられていました。さすがに写真を撮るのは気が引けたけど・・・
(と書きつつも、しっかり撮っている私)
柱の上に乗っている板の部分、フランス革命時に売り払われ、一時、一般家屋で、ベランダの床
として使われていたそうです。修道院内の資料館に当時の写真が貼ってありました。私が「民主」
革命と言われるものに心から賛同できない理由は、こういうところにあるのかもしれません。元は、
古代ローマ時代の神殿で使われていたものらしいです。
↑ お御堂の横の小さなチャペル。これもかなり古いもののよう。
↑ こちらはクリプトの内部。
ここから修道院の中庭に移ります。
柱頭のモチーフにはいつも気持ちが惹かれますが、残念なのは、ここで使われているアレゴリーの
意味が理解できないこと。パンフレットやガイドブックでも、たいていの場合、歴史的な事項と建築
様式の説明だけで終わってしまうんですよね。これが正統と言い切れる解釈がない・・・と言うのが、
その理由のようですが・・・。
ここまで書いたら日が差してきました。久しぶりに散歩でもしようかな・・・