Yokusia の問はず語り

写真担当: Olympus E-400 / Panasonic FZ5

甘いものにご用心

2007-06-29 | Weblog

会の後はお待ち兼ねの立食パーティー。
酢キャベツ、ソーセージ、キノコなどを一緒くたにし、三日以上ぐつぐつ煮込む伝統料理、
「ビゴス」で相棒を釣り、ふたりで行ったのですが、ビゴス以上に強敵だったのがデザート
で、なんと手作りケーキが3種類。それでも私は1切れづつ、つまり3切れでやめておいた
のに、あっちはその2倍の6切れをぺろりと平らげて平気な顔。

「食い意地で来たなんて恥ずかしいから、せめて、ポーランド文化に親しむためと言って
欲しい」と抗議していたくせにこの食欲。これに加え、よく冷えたワインが飲み放題。
下戸同様の私たちは遠慮したのですが、問題はその夜のこと。

熱帯夜ではないはずなのに、顔がほてり、まるで飲んだ後のよう。そこでふと思い出した
のが、パーティーで出たカスタードクリームのケーキ。もし、あの中に、ポーランド名産の
「スピリトゥス」(アルコール93%のウォッカ)が仕込まれていたとしたら・・・。

と言うのも、学生時代、寮のルームメートが作ってくれた生クリーム入りのウエハース
サンドをどんどん食べたら、その後、ひどい睡魔に襲われた経験を思い出したから。

朦朧としながら、「何だか眠い」と訴えたら、「ヨーコって本当にお酒に弱いねえ。ほんの
少し混ぜただけなのに」とあきれたような返事。「少しってどのくらい?」と聞くと「お猪口
1杯分くらいかな。大したことないよ。」Spiritus は消毒用にも使われる純粋アルコール。
酔うのは当たり前です。

と言うわけで、単なる妄想かもしれませんが、夫婦共々、同じ症状だったので、可能性
は無きにしも非ず。

最近では、ロシアのプーティン大統領と飲み明かし、翌日のG8会議に千鳥足で出席して
失笑を買ったSarkozy新大統領の例もあることだし、スラブ人主催のパーティーにはくれぐれ
もご注意を(笑)

どたばた喜劇 3

2007-06-29 | Weblog

自分でも意外だったらしく、Pさんは呆然としていましたが、そこはさすがベテラン。
途方にくれることもなく、アドリブで説明を始めました。「練習前は完璧だったんですが、
舞台に立つとやっぱりアガリますね。こりゃ困った。ほんの少し時間をください。なーに、
ちょっと頭を冷やせば大丈夫ですよ。」この言葉どおり、Pさんはすぐ思い出し、今度は
一度もつかえることなく、身振り手振りを混ぜながら、見事な語りで周りを笑わせたの
でした。

そして最後は一番の見せ場・・・だったはずのリュエット。
夜な夜な飲み歩き、遊び歩く妻に手を焼いた男と、夫など屁とも思わない妻の会話を
面白おかしく歌にしたもので、男女ふたりづつに分かれて歌ったのですが、うろ覚えの
まま参加した女性陣が大失敗。

歌詞は6番まであって、「夫」が5番を歌った後、6番を「夫婦」で合唱して終わるのですが、
私たち女性陣が5番をすっ飛ばして6番を歌いだし、お陰でまた一瞬の静寂。男性陣が、
急遽、5番を放棄し、私たち女性陣にあわせたので、どうやら事なきを得たものの、歌の
方はメロメロでした。本編よりNGの方が人気があるのはどこも同じで、会場の受けは上々。
能天気な私たちはそれだけで十分満足でした。

どたばた喜劇 2

2007-06-29 | Weblog

肝心の出し物はと言えば、最後の二週間で演目を決め、開演前に数回合わせただけの
完全な付け焼刃。満足なものなど出来るはずもありません。

まず、Jan Brzechwaという詩人が子供用に書いた「嘘つきカササギ」という詩を暗誦。
タイトルと口上、結びの部分は私が担当し、残りの3人が真ん中の部分を5行づつ分けて
受け持つことになりました。マザーグース的なナンセンス詩なので、理論重視の大人には
かえって難しかったようです。みな、目を白黒させ、悪戦苦闘していましたが、覚えるのは
散文で書かれた前置きと落ちの部分だけという私は余裕綽綽でした。

詩はどうにか切り抜けたものの、大変だったのが歌。
一番のハプニングは、今回の企画を用意し、原稿まで準備した頑張りやのPさんが、歌の
前の挨拶で、突然、絶句してしまったこと。準備万端だったPさんが躓くなんて思いもしな
かったので、私たちもびっくり。何でも、照明に照らされたとたん一挙にあがり、頭の中が
真っ白になってしまったそう。

私もそうだけど、舞台に立つなんてウン十年以来のこと。
母国語で好き勝手に話せるのならともかく、台本通りに外国語の台詞を言わなければ
いけないとなると、「忘れてはいけない」「間違えてはいけない」「つっかえてはいけない」
と言う気持ちがどうしても先にたつのでしょう。

どたばた喜劇 1

2007-06-29 | Weblog

2007年6月29日(金)

昨夜は、L'institut polonaisのポーランド語講座受講者による学芸会でした。
終了式と立食会も兼ねていて、先生方の苦労をねぎらい、学生が日頃の勉強の成果を
見せると言うのが一応の趣旨ですが、要は在パリポーランド系住民の親睦会。各々の
クラスが出し物を準備し、入門コースからレベル順に発表しました。

私のいる最上級クラスは、始めこそ16人いたものの、その後、1人、2人と次第に減って
いき、最後まで残った常連は4人。夜7時のクラスだから、時間的に折り合いはついても、
仕事との両立はやはり難しかったようです。

常連のうち2人はすでに定年を迎え、私は今のところ無職。最後の1人は高校教師と言う
のも、単なる偶然ではないのでしょう。学生や若い子が多い初級と違い、上級は中高年が
圧倒的に優位。このクラス唯一の20代でピアノの上手なオーラも、職業研修に追われてか、
後半は休みがちでした。

ポーランド系のフランス人と結婚したせいで、フランス語だけに終わらず、ポーランド語まで
やる羽目になったアメリカ人美女マドレーヌも、後半はほとんど顔を見せず、うちのクラスは、
オジタリアンとオバタリアンの巣窟に。私などまだまだひよっ子です。

ここにはレベル分けテストが存在しないので、一年、授業に出たら、翌年は自動的に上の
クラスに編入されるわけで、「最上級」と言うのも、実のところ、「入門編」「初級」「中級」
「上級」と4年間通い、まだ続けたいけど居場所がないという学生を対象にした救済クラス。
今回、残った4人(私含む)のうち2人は、「最上級」クラス3年目の最古参でした。

蟻とキリギリス

2007-06-17 | Weblog

6月17日(日)

このところ、天気雨のようなおかしな天気が続いていて、そのせいか、書いたり勉強したり
する意欲がなかなかわいてきません。というのは言い訳で、単に怠けているだけなのですが。

こんな調子でかなりだれ気味だったのですが、先日、私と同じ年にフランスに来たポーランド
人の友人と会ったお陰で目が覚めました。と言うのも、私同様、ゼロから仏語を始めたはず
なのに、少し見ない間にめきめき上達し、最近、受けたという外国人対象のフランス語検定
で、大学入学も可能という結果がでたとか。

初めて彼女に会ったのはソルボンヌの初級フランス語コース。
このクラスは文法が中心だったから、西欧人とアジア人の差もまだそれほどでてこなかった
のだけれど、中級以降になると話は別。もともと持っているボキャブラリーがかなり関係して
くるので、嫌でも差がついてきます。スペイン系アメリカ人と結婚した彼女は、母国語に加え、
英語と西語がぺらぺら。私の貧弱なポーランド語とそれ以上に貧しい英語でさえ、仏語の
語彙を覚えるのにかなり役に立っていることを思えば、彼女の上達が早いのは当たり前・・・

と自分を納得させようとするのですが、やっぱりその裏のある本当の理由を直視しないわけ
にはいきません。努力家の彼女に倣い、気を取り直して頑張らないと・・・。

カエル特撮?

2007-06-10 | Weblog

2007年6月10日(日)

今日は友達が遊びに来て、四人で近くをハイキングしました。
本当は川でボート乗りに初挑戦したかったのだけど、時間の関係で今回はパスすることに。
次回に期待しましょう。

その代わりというわけではないけれど、念願のかえる撮りに成功。
普通なら、こっちの姿を見たとたん、ぼてっ(ぼちゃん、ではありません)と川に飛び込むのに、
このカエルさん、すっかり蓮の葉になりきって(?)いたようで、ぴくりとも動きませんでした。

パソコン悲話 

2007-06-07 | Weblog

宇宙の壮大さに触れ、悟りを得た気分で床に就いたのに、朝起きて早々、とんでもない
事件が。

始まりは512MBのUSB。ほとんど骨董化している私のパソコンにつなげたら、なんと認識
するではないですか。それでつい有頂天になり、CD-R未対応のため、マイピクチャーの
中でくすぶっていた名画をすべて記録しました。

とここまでは順調だったのですが、その後、ワードを使おうとすると、「ウィザードを初期化
します。XPのCDを入れてください。」と言うメッセージが出る。どうやら、USB用の何かが
新しくインストールされたことで初期設定が変わり(?)そのため、XPのを設定し直さなけ
ればならないよう。困るのは、ワード文書の新規作成、変更、上書き、コピーなど、すべて
不可能になってしまったこと。

CDを入れれば解決するのだろうけど、今は手元にないし、おまけに私のパソコンは、以前、
床に落とした際、CD-ROMの部分が壊れて、ふたが開いたまま。これでは、CDが手元に
あっても役に立たない。手でふたを無理やり押し込んで試したことはあるけど、残念ながら
反応なし。ところが、異物であるはずのUSBには記録可能で、これだと、相棒のフランス版
ワードもどきに問題なく対応します(私のパソコンでは駄目)。これって何なんでしょう。

お陰で自分のパソコンで書くことが出来なくなってしまった。古い機種だけど、外国語校正
ソフトがインストールされていて、英語は言うまでもなく、フランス語もポーランド語もチェック
してくれるので、すごく重宝してたのに。この次の帰国はまだ未定だし、かなりショックです。
そろそろ買い時ということなのかな。外国のパソコンでも日本語をインストールすることは
出来るけど、やっぱり日本版に比べるといまいちなんですよね。説明はすべて外国語だし。

 
パソコン騒動のせいで、相棒とも久々の大喧嘩。
悟りの境地は一晩にして吹っ飛びました。

火星人はいる?

2007-06-07 | Weblog

2007年6月7日(木)

昨夜、パリの海洋会館で火星についての講義がありました。これまで、ここの講義は、写真
や図を多用したものや、思想史が絡んでいるものなど、純文系の人間でもとっつき易いもの
が多かったので、安心して行ったら、今回は難物でした。講師はこの分野を専門にしている
大学教授。早口の上、文章の間に切れ目がないので、外人の私にはかなりきつかったです。
と言うかほとんど拷問。地球と火星の成分や地質を比較しつつ、現在の火星の状況を分析
するというのが主な内容だったらしいです。

火星人の存在については、今の状況を見る限り、ある種の生命体が存在、あるいは誕生する
可能性より、すでに滅亡した後である可能性の方が高いそう。そこに至る過程は私もあやふや
なので略しますが、両者の類似から想像すると、地球も火星と同じ道を辿り、やがて、すべて
の生命体の死に絶える日が来るのではないか、と言うことでした。

それまでまだまだ気の遠くなるような年月が必要ということではあったけど、こんな話を聞くと、
聖書の創世記+終末論も、意外と近いところをついている気がしてきますね。そこに神の手
の介在を認めるかどうかは別として、ビッグバンによる「天地創造」、その最終段階における
人間の誕生、来たるべき終末・・・という構図は共通のもののように思います。

科学的な視点から説き起こしているせいでなおさら、人という存在の儚さが身に沁みました。
下手な宗教論や哲学論よりずっと説得力がありますね。偉大な名作、名画、名曲でさえ、
いつの日か宇宙の塵になるのなら、少しぐらい駄文や駄フォトを量産しても許されるかも(笑)


コンコルド広場の思い出 3

2007-06-05 | Weblog

ここで終われば、めでたしめでたしなのですが、このとき、大変なことに気づきました。
もうユーロはいらないからと、現金をほとんど使いきってしまったので、引き出さないと
運賃が払えない。すでに出発時刻が来ているから、これから銀行を探すのも無理。

とりあえず、バスの運転手さんに、「現金はないけど、カードならある。銀行が見つかり
次第、すぐ払うから、乗せてもらえないか」と頼みこむと、案の定、運転手さんは渋い顔。
「そんなこと言って、もし払えなかったらどうするんだ」と訝しげに私を見つめます。

そのとき、話を聞いていた荷物係のお兄さんが車内に飛び込んできました。
そして開口一番、「大丈夫、問題ないよ。もし払えなければ、俺たち(乗客含む)がお金
を出し合って払うから。」運転手さんがこの言葉を信じたのか、そして、他の乗客が納得
したのか、この点はいまだに謎ですが、お陰でOKをもらい、私は無事、クラクフへたどり
着いたのでした。

バスの運賃? もちろん、ちゃんと払いましたよ。  

コンコルド広場の思い出 2

2007-06-05 | Weblog

そのおじさんはいい人で、「君が利用しているバス会社のオフィスならこのそばだから、
事情を話すといい。当日キャンセルだから望みは薄いけど、他のバスに変更できるかも
しれないよ。その前にバスが来たら、私も空席があるか聞いてみてあげよう。君が戻る
まで待っていてもらうから、安心して行ってきなさい」と言ってくれました。

キオスクのお兄さんも、「それなら、トランクは重いから、ここに置いていけばいい。盗まれ
ないようにちゃんと見ているから大丈夫だよ」と言ってくれたので、手ぶらでまたひとっ走り。

土曜日だったこともあり、ようやくオフィスに着いた時はすでに閉店。しかたなく、再び広場
へと走りました。幸い、おじさんがバスを待たせてくれていて、私に気づくと、「空席はある
そうだから、あとは運転手と交渉するといい。会社が違うから、運賃を片道分、払うことに
なるがね。気をつけて行くんだよ」と声をかけ、息子さんと去っていきました。

コンコルド広場の思い出 1

2007-06-05 | Weblog

2007年6月5日(火)

メトロでコンコルド駅を通り過ぎるたびに思い出します。あれは、私が初めてパリに来た時
のこと。目的は観光。当時、パリに留学中だった友人に、あちこち案内してもらいました。

クラクフからパリまで往復48時間のバス旅行。行きは問題なかったのですが、なんと帰り
のバスに乗りそびれてしまったのです。とは言え、遅れたわけではなく、到着時刻の20分
前には広場にいたのですが、だだっ広い上、似たような街灯がたくさんあるので、目印の
街灯を間違えてしまったよう。それでも始めは、さほど気にも留めなかったのですが、出発
時刻が近づいても、誰一人周りにいないとなると、さすがに心配になってきます。

こっちのバスが遅れるのはよくあることですが、チケットには「出発時刻の15分前に集合」
と明記してあるから、普通なら他にも乗客が待っているはず。そう思い、時間を気にしつつ、
近くを歩いてみましたが、それらしい人影はなし。フランス語がわからないから人に聞くこと
も出来ず、たよりの友人は外出中。途方にくれていると、すぐそばのキオスクの店員が英語
で声をかけてくれました。

「ポーランド行きのバスが来るはずなんだけど」と言うと、「あっ、それならあっちだよ。」
言われた場所へダッシュしましたが後の祭り。別のバスで来る息子を待っていたおじさん
の話では、私の乗るバスは、到着したとたん、そそくさと乗客手続きを済ませ、出発時刻
の来る前に走り去ったとか。

Quartier Latin の謎 2

2007-06-04 | Weblog

この近くなのは確かなのだから、途中で誰かに道を聞こうと言うことになり、再出発。
歩き始めてすぐに出会った中年の女性に聞いてみました。「カルチエ・ラタンを探している
んですけど」と言うと、彼女、開口一番に、「あら、それならここだってそうよ。」

そもそもカルチエ・ラタンと言うのは、中世からルネッサンス頃、当時の知識人の共通語
だったラテン語の日常会話があちこちで聞かれるところからついた呼び名。つまるところ、
当時の学生街で、ソルボンヌ付近を闊歩していた私たちは、文字通り、カルチエ・ラタン
のど真ん中にいたわけです。「青い鳥」に出てくるチルチルミチル並の間抜けさですね。

彼女のお薦めは、中世博物館から、ソルボンヌ大学、パンテオン、理工大学校を通り、
パリVII大学まで歩くと言う純アカデミックなコース。五区には、市場や色とりどりのカフェ、
お洒落なレストランなどが並ぶ、Moufftard 通りと言う名の小道があって、以前、誰かが、
「カルチエ・ラタンだよ」と見せてくれた覚えがあったから、「あそこもそうですか」と聞くと、
「そうだけど、あそこはシックな地域ね。」

彼女が去った後、E嬢と話しました。「今のフランス人がカルチェ・ラタンの正確な場所を
言えなくても当たり前だよね。今時、ラテン語を話す住人なんて、どこにもいないのだから。」

以前、この辺は、書店、古本屋、画材屋などが建ち並び、知的芸術的雰囲気が満ちて
いたとか。その面影は今も健在ですが、最近では、レストランやカフェ、お土産屋など、
観光客相手の店に押され気味のよう。時代こそ変われ、学生が貧乏なのは今も同じで、
そのせいか、美味しくて値段も良心的なレストランが多いです。

もやもやが晴れてすっきりした私たちが、意気揚々とパリ散策を続けたことは言うまでも
ありません。

Quartier Latin の謎 1

2007-06-04 | Weblog

2007年6月4日(月)

昨日は、ブルゴーニュ地方のDijon でポーランド語を教えているE嬢に会いました。
ポーランドから休暇でフランスに遊びに来た幼友達2人と、1日の金曜日に「上京」し、
翌日の土曜日は、観光名所を飛び回ったとか。

ノートルダム寺院で待ち合わせした後、ソルボンヌまで歩き、大学脇のエクリトワールと
いう喫茶店で休憩。学生がたむろする場所にしては値段は高めです。面白かったのは
この後。ポーランドから来たニ人にどこへ行きたいか尋ねると、即座に「カルチエ・ラタン」
と言う返事が返ってきました。この辺にあるのは知っていたけど、何しろ相手は観光客。
いい加減なことは言えません。

それで確認がてら地図を見ると・・・ない。LatinでひいてもQuartierからひいてもないし、
四区、五区、六区と地区ごとに探してもありません。まさか、こんなはずは・・・と思い、
E嬢の地図を見せてもらったけどやっぱりない。「そうでしょ。私も昨日、言われて、地図
やガイドブックを調べてみたんだけど、カルチエ・ラタンって地名はどこにも載ってないの
よね。」とE嬢。

とりあえず、暇そうに見えたウェイターのお兄さんのところに行き、市内地図を見せながら、
「カルチエ・ラタンってどの辺?」と聞くと、「知らないなぁ」とつれない返事。「あなた、パリ
ジャンでしょ。地元なのに知らないの?」とさらに畳み掛けると、申し訳なさそうに、「でも、
本当に知らないんだよ。」しらばっくれているわけでもないようなので、しかたなく別の方法
をとることに。