Yokusia の問はず語り

写真担当: Olympus E-400 / Panasonic FZ5

郵便博物館 6 テレグラフ

2008-03-31 | Weblog

シリーズ最終回の今日は「情報通信」(テレグラフ)の話。

猫も杓子も携帯電話を持つ今の世の中にはとても想像できませんが、電話というものがまだ存在
しなかった時代、遠方の人と伝達し合える唯一の手段が、この「テレグラフ」だったんですね。


【シャップの腕木式通信機器】

この分野のさきがけとなったのは、1791年、両腕を横に広げたような「腕木式」の通信機器を発明
したフランスのクロード・シャップ。

通信には時代の古い順に「光学系」「電気系」「無線系」の3タイプがあって、最古の通信機器である
シャップの「腕木式通信機器」は「光学系」に分類されます。その理由は、高い塔や柱の上につけた
腕木のポジションを望遠鏡で拡大して読み取ったところから来ているよう。(詳細はコチラ



↑ シャップの「腕木式通信機器」をモチーフにしたお皿。

教会や修道院の屋根に取り付けられることもよくあったようで、ノルマンディー地方の観光地として
名高いモン・サン・ミッシェル修道院にもこの器具があったそうです。このお皿に描かれているのも
教会で、「サン・ピエール教会、モンマルトル、1818年」という文字が見えます。



↑ これは通信犬(!)シャップの「腕木式」通信機器をくわえています。


せっかく可愛い絵やお皿を見ても、そのカラクリを知らなければどうにもなりません。
ネットで調べてみたところ、この時代の通信は、数字を表す信号で語彙リストのページと行を
指定するという方法だったよう。下の写真はフランス語版ヴィキペディアから拝借したもの。


  
↑ 数字リスト(向かって右)と語彙リスト(向かって左)



↑ 通信の例

向かって左から、「伝達情報なし」「通信予告」「第一の情報:リストの何ページか」「情報間の間」
「第二の情報:リストの何行目か」






【モースの電気通信】

18世紀半ば、「腕木式」に代わって颯爽と登場したのが アメリカ人モースによる電信技術。
アルファベットの替わりに電信パターン(ツー・トン、ツーツー・トンなど)を組み合わせて相手に伝える
モールス(←モース)信号のデモ装置がありましたが、先客がいたので今回は見送り。
次回はぜひ挑戦したいものです。

通信席の正面に信号のパターンを書いた表が見えましたが、全部覚えるのはかなり大変そう・・・。
(詳しくはコチラをどうぞ)



↑ 電信機器のようですが、機械音痴の私にはお手上げです。



↑ 電信柱をモチーフにした漫画も・・・「柱に耳あり」ですね。


前回の気球便もそうでしたが、今回の通信技術編も、記事を書きながら、当時の人々の熱い思いを
感じずにはいられませんでした。知識がないせいで舌足らずの内容になってしまったのが残念です。
あまり人目に触れない小さな記念館や博物館、立ち寄ってみると意外な発見があるものですね。

郵便博物館 5 気球便

2008-03-30 | Weblog

フランスは熱気球の発祥地。
1783年、モンゴルフィエ兄弟が紙製の熱気球を飛ばしたのが最初だそうで、それ以来この国では、
熱気球を「モンゴルフィエ」と呼ぶようになりました。革命の嵐が吹き荒れていた当時のフランスで、
気球は有効な伝達手段として、すぐ注目を浴びたそうです。

1870年頃には、世界に先駆け、気球による英仏海峡間の郵便配達も行われました。
元祖「航空便」は気球が主役だったんですね。(詳しい情報はコチラをどうぞ)
その後、気球便は定期化されたようで、当時の気球便時刻表が博物館内に展示してありました。



↑ これがその時刻表


拡大すると各項目が読めます。ちょっと見づらいですが・・・


↑ 左から「番号」「機体名」「出発地」「体積」「所属」「日付」「離陸時間」「パイロット名」・・・



↑ 「同乗者名」「郵送量」「伝書鳩数」「着陸先」「着陸時間」「距離」「風向」と続きます。


フランスのSF童話作家ジュール・ベルヌの若かりし頃の作品に、「気球に乗って五週間」という小説
があるそうですが、気球で大空を自由に旅することは、当時の人々の憧れだったのでしょうね。
そう言えば、日本にも「気球に乗って」と言う合唱曲がありました♪


↑ 実物です。素直に広角を使って撮ればよかった・・・。



↑ この籠の中に乗ったんですね。

郵便博物館 4 切手の周辺

2008-03-29 | Weblog
↑ 「美女」をめぐる戦い・・・「彼女は何処に?」


さて、今日は切手に纏わる小物を集めてみました。
切手ケースは、前回、すでにご紹介しましたが、今回は郵便局内で使われたと思われるもの。
インターネットや携帯電話でのメールやSMSが主流になった現代においても、切手には人の心を
惹きつける不思議な魅力がありますね。

切手と言えば思い出すのが、キェシロフスキ監督によるオムニバス映画の傑作、「デカローグ」に
出てくる切手マニアの悲喜劇。シリーズ中唯一のコメディーということもあってか、とりわけ印象に
残っています。マイナーな映画ばかりで恐縮ですが、面白いので、機会があれば見てみて下さい。

話がずれてきたので、そろそろ本題に入りましょう・・・


【印刷】

今は、デザインから印刷までパソコン一台ですべてが賄える、コンピューター全能の時代になって
いるかもしれませんが、昔はこんな風に、一枚一枚丁寧に印刷していたんですね。小学校でやった
版画の授業を思い出します。


↑ これは一枚刷りの版下。



↑ これなら一度で1シート刷れます。



↑ これは多重刷り用。左端の金属板で輪郭を刷り、三本のローラーで色を重ねていくんですね。


【測量】

郵便局に行くと必ず量るのが郵便物の重さ。郵送する物の重量と送り先までの距離から送料を弾き
出すわけですね。この時になくてはならないのが量り。ここにご紹介するのは、葉書や封書を量るの
に使われた(らしい)小型天秤です。


↑ 理科の実験にも使えそうなスタンダードなタイプ。重さの違う分銅を組み合わせて量ります。



↑ こちらは秤の重心を利用する方法。シーソーの原理ですね。


【消印】

郵送する葉書や封書、小包には必ず消印が押されます。こんな風に・・・。


↑ これは今も変わりません。



↑ 古い封書の切手と消印。

直筆の手紙って、書き手の気持ちがストレートに現れますね♪

郵便博物館 3 玩具と筆記用具

2008-03-27 | Weblog
        ↑ これは実際に使われたものではなく、郵便受けアートとして作られたもの。


さて、シリーズ三回目の今日は、郵便局側ではなく、書き手の視点から手紙文化をご紹介します。
手紙好きな人間が一番こだわりを持つもの・・・それは筆記用具。日本にいた頃はよく、お気に入り
の文房具屋さんで可愛い便箋や封筒を物色したものです。

その後、ポーランドへ行き、手持ちのレポート用紙やコピー用紙(それも裏表)に気軽に手紙を書く
人の多さに驚いたのもつかの間、今では、紙上に文章をしたためることすら、ほとんどしなくなって
しまいました。時代の変化って本当に早いですね。

・・・と思い出話はこのくらいにして、昔の人が愛した趣味の良い古道具の世界をお楽しみください。



★ まずは【筆記用具】から・・・


↑ 人形を象った取っ手のついているスタンプ。封蝋用でしょうか。



↑ 金属の部分に頭文字が見えますね。素材は象牙。



↑ 汚してしまうのがもったいないくらい可愛いガラスのインクつぼ。



↑ 携帯用の切手入れ。



↑ こちらは卓上用。この大きさだと大型切手は無理かも・・・



☆ ここからは趣向を変えて【玩具編】


↑ 可愛い郵便配達夫


配達用の自動車をモデルにした元祖ミニカーも・・・。
レトロ感覚漂うブリキのおもちゃたちです。


↑ この頃の郵便カラーは緑だったのかな。運転手も見えますね。



↑ こちらは郵便バス。



↑ 一番のお気に入りはこれ。上に乗っているのは仕分けされた手紙の束でしょうか。

郵便博物館 2 配達手段

2008-03-26 | Weblog
         ↑ ちょっと幌馬車風。      
 
前回は郵便配達夫の所持品を中心にご案内しましたが、いくら有能な配達夫でも、徒歩だけで
配達するのは無理な話・・・ということで、今回のテーマは「配達手段」。


【郵便馬車編】

まずは、古き良き時代を髣髴とさせる郵便馬車の数々。ここでご紹介する馬車は木製で、冒頭の
写真も含め、1830年から40年にかけて製作されたものをモデルにしています。ミニチュアとは言え、
当時の雰囲気がよく出ていますね。


↑ 車の脇に金色の文字で「郵便局」と書かれています。



↑ こちらは速達専用車?



↑ ちょっとシンデレラの馬車を思わせますね。






【郵便自動車及び郵便バス編】

★ 馬車の後は車時代の幕開けです。


↑ この車は1880年台の製作。これも速達用のようですね。



↑ これは乗り合いバス形式。「郵便及び通信」の文字が見えます。



↑ こんな感じで乗客を乗せ、和気藹々と配達したようです。



【郵便列車編】

☆ 船便、航空便は写真がないので飛ばし、ここから列車便(?)


↑ 電車の「郵便及び通信」車両。仕分け棚のついた車両もありましたが、残念ながら撮影失敗。



↑ こちらが最近のもの。一番奥に見えるTGVは、郵便局のトレードマークつきです。

郵便博物館 1 郵便配達夫

2008-03-25 | Weblog
       ↑ 航空便のポスト。「東」風のマークは、フランス共和国の頭文字、RとFです。


予告ばかりでなかなか始まらなかったこのシリーズですが・・・
今日から数回にわたり、パリ・モンパルナス駅近くにある「郵便博物館」をご紹介します。
今も使われている郵便局の5階が博物館に充てられているのですが、見た目より広くかなり見応え
があります。

第一回目のテーマは「郵便配達夫」。
シューベルトやショパンの歌曲にも郵便ラッパの音を見事に模倣した作品がありますが、郵便馬車
の訪れを告げる陽気なラッパの音は、この時代の人々の心をかき立てるものだったのでしょうね。


↑ これが帽子。なかなかお洒落です。



↑ よく使い込まれた配達カバンとコップつきの水筒。皮ケースが粋ですね。



↑ こちらは赤いカバン。

日本では郵便は赤と言うイメージが強いですが、現代フランスの郵便カラーは黄色。
トレードマークの地も、配達用の車もすべて黄色です。郵便ラッパからの連想でしょうか。
ポーランドは青地に黄色い郵便ラッパ。配達車も青で、車体には白文字で「POCZTA」(=郵便)と
書かれています。他の国ではどうなんでしょうか。気になります。



↑ こちらは腕章。金属製なのでかなり重そう・・・。



↑ これは仕分け札でしょうか。



↑ 小包の番号札。船便用だった気がしますがちょっとうろ覚え(汗)



↑ リル市郵便局が市民に配布したカレンダー(1781年)・・・らしい。

最近は薄いボール紙一枚に印刷されたぺらぺらのカレンダーばかりですが、これはかなり読みでが
ありそうですね。フランスの郵便局が配布するカレンダーについての詳しい記述はコチラ

例のごとく曖昧な内容ですが、とりあえず今回はこの辺で・・・

イースター料理に挑戦

2008-03-23 | Weblog

C夫人によれば、羊のない復活祭はクリープのないコーヒーみたいなもの(超訳)らしいので、今回、
初めて、「フランス風イースター羊料理」なるものを作ってみました。

本来は、羊の腿肉(つまり後ろ足の付け根)を使って作るのですが、うちの安スーパーには、「腿肉
風」の肩肉(つまり前足の付け根)しかなかったので、それで代用。肩肉の方が腿肉より軽く、値段
も手頃なようです。

うちは夫婦ふたりなので、一番軽いパックを選びました。骨付とは言え、それでもすでに1200g。
これだけあれば、当分、楽しめそうです。ちなみに、二日目からは、ローストビーフみたいに冷えた
状態で食べるとか・・・。ロースト羊ですね(笑)



↑こんなに大きい。

いくら易しいとは言っても、これまで一度も見たことのない料理を口伝のレシピだけで作るのは不安
なので、お隣さんからビギナー用の料理本を一冊、借りてきました。


さて、ここからフランス料理簡単レシピのご紹介です。


↑ まず、ニンニクを細く切ります。たくさん入れるので人と会うのは避けたほうがいいかも・・・



↑ 尖ったナイフでお肉に穴を開けます。そして・・・



↑ この中にニンニクを埋め込みます。それから・・・



↑ 肉の表面に油をつけ、塩コショウとタイムをふりかけ、ローレルを数枚、加えます。



↑ 温めたオーブンに入れ、一時間ほど焼くと、ほら、この通り。簡単でしょ。

※ レシピは210度で40分弱となっていましたが、うちのは旧型なので、上限の190度で1時間弱。



↑ 焼き加減を調べるため、少しだけ切込みを入れてみました。大丈夫そうですね。



↑ オーブンの余熱の中に五分ほど置いた後、肉を切り分けます。

・・・と言っても、これじゃあブレブレで何だかわかりませんが(汗)



↑ いよいよ盛り付け。下に敷いたつけ合わせのジャガイモの上に肉を乗っけます。

☆ パンがちょっと邪魔だったかな・・・



↑ これは明日の分。まだたくさん残ってますね。

本当は、つけ合せに白豆を使うそうなんですが、今回は手に入らなかったので、かわりにジャガ芋
をつけてみました。ニンニクと塩コショウの味が中まで浸み込んでおいしかったですよ~。
ハーブの風味が入り混じった肉汁も美味でした。

未熟者のイースターらしく、夕飯は「半熟卵」(笑)
宗教的な荘厳さは欠片もありませんでしたが、たまにはこんな休日もいいですね。

尊厳死

2008-03-21 | Weblog

今朝はバケツをひっくり返したような土砂降りの雨。
フランスでは、「牛がおしっこしているような雨」という表現があるそうですが、まさにそんな感じ
でした。記事の冒頭から尾篭な話で申し訳ないです。

話は変わって、このところ、フランスでは、連日、尊厳死についての議論が繰り広げられています。
きっかけは、腫瘍のせいで次第に顔が変形していくという遺伝子疾患の難病にかかった女性が、
安楽死の合法化を訴えつつ亡くなったこと。最終的な死因が不明なため、死を早めるような措置
が取られたのではとの見方もあるようで、現在、解剖を行うべきかどうかが論点になっています。

「安楽死は違法」と言い張るフランス政府の態度に業を煮やしたこの女性が、「それなら尊厳死の
許容されているスイスで思いを遂げる・・・」と発言した矢先のことでした。享年52歳。

この病気は激痛を伴う上、腫瘍のせいで顔面が著しく変形し、味覚、臭覚、視覚も失われるとか。
8年前に発病したこの女性も、この病気が元で視力を失ったそうです。

ラジオで討論を聞きながら感じたのは、この問題のネックが、患者側ではなく医者側にあるということ。
安楽死を許容することによって、人儀的に死を与えること、ひいては殺人や自殺幇助までも認めること
になるのではないか・・・という強い危惧がその根底にあるようですね。




それに対する安楽死許容派の言い分は、「カトリック的な傾向が強いとは言え、フランスは政教分離
政策の徹底した純近代国家。中絶だって認められているのだから、安楽死を認めるのは当然・・・」
という考えのよう。

ギリシャ神話に、永遠の命は与えられたものの、永遠の若さを与えられなかったため、最後はひたすら
死を願うという話があったけれど、確かに、生きていて楽しいのは健康だからで、苦痛しかなかったら、
絶えられないでしょうね。私は弱虫なので、肉体的苦痛を与えられたら、すぐ安楽死を望みそうだけど、
手にかける側の辛さもよくわかります。日本ならさしづめ、死刑執行人の罪の意識に通じるものがある
かもしれませんね。例えそれが患者の望みであったとしても・・・。ただ、そうなると、それなら職業軍人
はどうなんだ・・・と言う話にもなりますが。

フランスの場合、延命処置の拒否は認められても、積極的に死を与えるような処置は禁止。
日本と同じですね。ヨーロッパで安楽死が合法化されているのは、スイス、オランダ、ベルギーの三ヶ国
だけですが、一言に「合法」と言っても、国によってかなり内容は違うようです。

このサイト
によれば、一番自由なのはオランダで、自殺も安楽死も自由、ベルギーでは自由意志による
安楽死のみ、スイスでは、利己的な理由でない場合に限り、自殺幇助も合法となっているとか。

ここまで書いてふと外を見ると、雨がみぞれに変わっていました。
次回はいよいよ、新シリーズに突入・・・する予定です。どうぞお楽しみに・・・。

新しい出会い

2008-03-20 | Weblog

スミマセン。
また延長です。

今週はちょっとうれしいことがありました。ポーランド語を教わっているE嬢の仲立ちで、日本語の
生徒さんとフランス語の先生が同時に見つかったんです。

紹介されたのは、E嬢の古くからの知り合いだというC夫人で、息子さんが京都出身の日本人女性
と結婚されたので、お嫁さんのご家族と意思の疎通が図れるよう、ぜひ日本語を学びたいとの事。
ちょうど私もフランス語の先生を探していたので、交換授業ということですぐ話がつきました。

初対面はE嬢を交えた3人。
初めて会ったにもかかわらず見事に意気投合し、お陰であっという間の3時間でした。
「女×3=姦(しい)」とはよく言ったものですね。

「あなた、日本人なのに、アクセントはEさんと同じなのね」とC夫人に言われた時は、さすがに唖然。
そう言えば、前にも、「君はロシア人みたいにフランス語を話すんだな」と面と向かって言われたこと
があったなぁ。ロシア語、知らないのに・・・。

それでもこの日は夜9時過ぎにお暇しましたが、実を言うとこの話、まだ続きがあります。
翌朝、C夫人から電話があり、彼女の家に携帯を置き忘れたことが判明。午後なら家にいるという
ことだったので再訪したのですが、ここでまたもや話が弾み、丸々二時間、居座ることに・・・

交換授業とは言っても、片や、日本語の怪しくなっている似非日本人、片や、エコール・ド・ノルマル
で仏語学を修め、カメルーンの英語圏で5年間、仏語を教えたこともあるという正統派、これじゃあ、
まるで詐欺ですよね。相手を失望させないように頑張らないと・・・。

そして今日、ひょんなことから、相棒の所属する「天文学協会」の事務所にお邪魔していた時、秘書
の女の人が、彼女の参加している地域の読書会について話してくれました。毎月、課題図書を決め、
メンバー同士で話し合うというのが趣旨だそうで、もう何年も続いているそうです。月一冊なら、仏語
でもどうにかなりそうだし、面白そうなので、仲間に加えてもらうことにしました。次に集まるのは4月
15日で、サルトルの「言葉」について討論するとか。フランスでは、文学の話題に飢えていたので、
かなりワクワクしています。とりあえず、本を手に入れなくちゃ・・・

こういう出会いがきっかけになって、趣味の近い友達の輪が広がるといいなぁ。

赤いピスタチオ?

2008-03-19 | Weblog

新シリーズ用の写真の選択がなかなか進まないので、ちょっとひとやすみ・・・
写真を撮った後にこの実を拾おうとしたら、しっかりと地面に根付いていました。
どんな大木も、最初はこんなに小さな種から育つんですね。
星の王子様にでてくるバオバブの話を思い出してしまいました。
よく見ると、ちょっとピスタチオに似ていませんか?

パリ点描

2008-03-17 | Weblog



















このところ手抜き記事が続いていますが・・・(汗)

最初の4枚はパリ・リヨン駅周辺。5枚目はパリ・リヨン駅構内。
6、7枚目はパリ・モンパルナス駅です。
撮影はすべて35ミリマクロ。

わざわざモンパルナスまで出かけた理由・・・そのヒントがラストの写真に隠されています。
このパネル、1900年に描かれた100年後(つまり2000年)の未来図なんですが、次回から始まる
シリーズものの予告にもなっているんですねぇ・・・。

さーて、ここで問題です。私はどこへ行ったのでしょうか♪

1.航空博物館
2.郵便博物館
3.未来博物館
4.モンパルナス墓地


ヴァンセンヌ散策 8 評論編 : ヴァンセンヌと紳士の関係

2008-03-17 | Weblog

『紳士たる者、ヴァンセンヌ散策を疎かにしてはいけない』
総合得点 10点 

仮にヴァンセンヌが広く受け入れられることがあれば、ドーバー海峡を泳いで渡ってみせよう。
ヴァンセンヌ散策、もし最上級のそれがあれば、王立芸術院に推挙しても構わないと思う。



『ヴァンセンヌ散策を大事にする人は、本物の紳士であると言える』
総合得点 13点 

男子にとって生涯を賭けて勝ち取らねばならぬもの。
信頼、地位、ヴァンセンヌ散策。どれが欠けても二級品だ。

ロイズの保険引受人はその債務を履行するためにはエンゲージリングさえ手放す。
作者もまた、有言実行のためにはヴァンセンヌさえも手放す覚悟のようだ。
実に立派。


パチーリさんのブログに出てきた勝手にブログ評論でちょっと遊んでみました。
やり方は簡単で、ブログのアドレスを入れるだけ。
毎回、結果は変わるのですが、一番笑えたのがこのふたつ。
ヴァンセンヌと紳士の間には、なにやら密接な関係があるようですね。
おまけにこの点数・・・。インパクトありすぎです。
でも、ヴァンセンヌの持ち主は私じゃないって・・・。

この評論サイト、静かなブームを呼んでいるようで、こんなところにもありました。
それにしてもシュールな内容ですね。


ヴァンセンヌ散策 6 ガイドツアー編

2008-03-14 | Weblog

このところ番外編の陰に隠れがちですが、懲りずにヴァンセンヌ編第六弾・・・。

今回は主塔の内部へご案内します。
このお城、入場券さえあれば、個人で自由に見ることも可能なのですが、この日最後のガイドツアー
に間にあったので、参加することにしました。これで大事なところを見落とすこともないだろうし、重度
の方向音痴である私でも安心だろうと思ったのですが、なんと意外なところに落とし穴が・・・。

前の記事のラストの写真を見ていただくとわかるのですが、この塔には360度見渡せるバルコニー
があって、私が行った時も観光客がたくさん登っていたので、これなら上から全体が見渡せる・・・
と楽しみにしていたんですよね。ところが、時間が押し迫っているとかで、最終ツアーではこの部分
が省略。それなら一人で好き勝手に周ればよかった。


さて、ここからお待ちかね(?)の写真編です。


↑ここで入場券を見せ、内部ツアーが始まります。









↑塔の内部です。 

以前、この塔は刑務所として使われていました。
啓蒙時代の哲学者、ディドローや、サド侯爵もここに投獄されたとか・・・。
一枚目のフレスコは、王の秘密を知りすぎたためここに幽閉されたカトリックの神父さんが描いた
ものだそうです。こんな状態では、頼れるのは神様だけだったのでしょうね。






↑この文字は、当時、投獄されていた囚人が書き付けたもの。



↑見難いですが、ここにも何か文章が彫られています。



↑マルキ・ド・サドの書簡集。獄中でも手紙を書き綴るところはさすが文筆家。



↑出口まで続く螺旋階段


こんな感じでしょうか。
ちなみに、シリーズ二回目でご紹介した天使たちと出会えたのも、このツアーのお陰でした。
次回はいよいよヴァンセンヌ編最終回、乞うご期待・・・(?!)♪

閑話・・・不動産屋にご用心?

2008-03-13 | Weblog

近所で写真を撮っていたら、とんでもない誤解を受ける羽目に陥りました。
背後から人が近づいてきたので嫌な予感はしたのですが、案の定・・・

某女性:「あなた、何を撮っているの?うちの門と表札?」
私:「すみません。お宅のコケと花をちょっとだけ。プライバシーに触れるようなことはしませんから。」
某女性:「ちょっと見せてもらってもいいかしら?」

・・・・・・(ブレブレのコケ写真を何枚か見せる)・・・・・・・

某女性:「あなた、一生懸命フランス語を話してくれるのは嬉しいけど、嘘ついているわね。その写真、
     一体どこへ送るつもりなの?」
私:「えっ??? どこにも送りませんけど・・・」
某女性:「市長に訴えるわよ。」
私:「?!☆!?★」
某女性:「それに、どうしてここにいるのよ。」
私:「どうしてって、このすぐ先に住んでいるので・・・」
某女性:「すぐ先ってどこ?誰のところ?」

(仕方なく身元を名乗ると、突然、相好を崩し・・・)

「あーらそうだったの。ごめんなさいね。てっきり不動産屋だとばかり思っていたから・・・。」

これにはショックでした。
私、地上げ屋の手先と間違えられたんだろうか?
住宅地でシャッターを切るのはやっぱり控えた方がいいのかも・・・。