2007年1月31日(水)
ニ月から三ヶ月間、ワルシャワに留学するポーランド人の友人と、お餞別代りの食事をした後、
腹ごなしにセーヌ沿いを散歩していたら、今にも崩れ落ちそうな小さな古書店を見つけました。
私も彼女も大の活字好き。特に私の場合、フランス語だと、一冊、読むだけでも莫大な時間が
かかるのに、ついつい何冊も買いこんでしまいます。これも一種の病気でしょう。私たち二人
の到来を見越したかのように、店頭には、ポーランドと日本の古いポスターが並んで貼って
あったからたまりません。つい、ふらふらと引き寄せられてしまいました。
ここから先は、そのとき耳にした、古書店主のつぶやきです。
『この界隈も変っちまったよ。この店を開いた三十年前は、この辺もまだ、文化と学術の薫り
が漂っていたものさ。どこもかしこも、所狭しと、本屋と古書店が軒を並べてた。それが今じゃ、
まわりはレストランばかり。ツーリストも同じだ。古本なんかには見向きもしない。わしんとこ
だって、並べてるのは二束三文の本ばかりだから、儲けなんてないようなものさ。カルチェ・
ラタンももうおわりだね。中世、この界隈が、どんなだったか知ってるかい?学生と学者の町。
文化と学術の中心地だったんだよ。カルチェ・ラタンの名前の由来は、君たちだって知ってる
はずだ。わしがここに来た当時は、ここはまだ本物のパリだった。人々はみな、パリ特有の、
語尾が軽く消えるアクセントで話していたものさ。それが今じゃぁ、音節(シラブ)を全部、発音
するような奴らがうようよしてる。
この前に見える建物、住めるのはアラブ系だけなんだぜ。フランス人は住めない。その上、
この住宅難の時代に、家賃が月300ユーロ。只みたいな値段さ。昔からこの街に住んで
きた市民には、その権利はない。逆差別じゃないかね。ここはフランスの街なのに。
お陰でこれまで何件の古本屋がつぶれたことか。今じゃぁ見てみろ。まわり中、クスクスの
店ばかりだ。アメリカじゃあ、それでも、市民は文句が言えるのに、ここじゃぁすぐ人種差別
主義者扱い。自分の意見くらい、言わせてくれたっていいだろう。』
ここで、気が引けたらしい友人が、
『でもねぇ、おじさん、私だって移民の端くれだから・・・』
と言葉を挟むと、おじさんは、
『残念ながら、あんたも月300ユーロじゃ、ここには住めんよ。アラブ人じゃないからな。
特典を受けられるのはやつらだけなのさ。』
店内はどこも、崩れそうに高い本の山。かなり気を使わなければ歩けない有様です。誇りと
気負いだけでこの地にかじりついているという風情の老人でした。私たちが外人と言うことで、
つい気を許してしまったようです。
彼の言うことに同意するつもりはありませんが、表向きは否定しつつも、陰ではル・ペンに
投票してしまう人たちも、こんな鬱屈を内面に抱え込んでいるのでしょう。
日本に置き換えれば、京都の老舗がつぶれ、後釜にフィリピン料理やイラン料理の店が
立ち並ぶ状況と同じようなものかもしれません。日本のように外国人の絶対数の少ない国
で、「人種差別をなくせ」とか言うのは簡単なことだけど、実際に、移民や外国人、特に習慣
も考え方もまったく違う国の人々を受け入れるのは、かなりの覚悟がなければできないこと。
パリを見ていると特にそう感じます。