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明日、やろうかな・・・

思い立ったが吉日というが、ちょっと始めては、すぐ他の事に興味をもってしまう。
そんな日々のメモ帳。

『福祉』とは何なのか?

2011-05-24 | 戯言
最近、

耳にする 『補償』 というカネ。

それから、

 『年金』 というカネ。

そして、

 『生活保護』 というカネ。


みんな、目的は似たようなモノだが、

いつからだろう?

 『貰えて当然』 と思うようになったのは。


若い頃、

雇用保険を貰いながら、生活した時期があった。

保険なのだから、当然受け取るべきと、

当時は考えていた。


しかし、


本当に 『当然』 なのだろうか?


本当に、働き口が無かったのか?といえば、

そんな事は無い。


仕事を選ばず、ヤル気になれば、出来ていた筈だ。


では、なぜ貰えたのだろう?


貰える様な、仕組みがあるからだ。


しかし、


働かずに、カネが手に入るという仕組みは、

社会のシステムとして間違ってはいないだろうか?


 『年金』 や 『雇用保険』 などは、

僅かながらも 『掛け金』 がある。

とはいえ、昨今の受給人数を考えれば、

どちらも、破綻してしまうだろう。


そして、


政府や自治体から貰える、

とは言っても、もとは税金だが。

真面目に働いた人々が、国に信託したカネだ。


その


 『手当て』 や 『生活保護』 はどうだろうか?

非常に厳しい状況にある人だけ貰っている訳ではない。


そう、


働かずして、金が貰えるシステムがあるから、それを利用する人もいる。

こちらは、システム自体が当初から破綻している。


今の状況は、 『すばらしい福祉社会』 なのだろうか?


真面目に働く人と、

已むに已まれず受給する人との

バランスの上で 『福祉』 は成り立つ。


このバランスを崩すと、

破綻の道を進む事になる。


昔、 『カネ』 の概念が無かった時代、

人は物々交換をしていた。


自分が栽培した食物と、

狩り捕った獣の肉。

または、

手先の器用な者が、

綺麗な石を加工したアクセサリー。

その価値は、

交換する物の量を対比で表した。


つまりは、


何か行動しなければ、食べ物は手に入らず、

そして、飢えて行くのが自然の摂理というものだった。


働くとは、本来 『当然』 の事ではないのだろうか?


そして、働かない、もしくは、働く事の出来ない人達は、

働かずにして、生きていける事に、

どれ位、 『価値』 を感じているのだろう。


自分の場合、

植物状態や、全身麻痺のようになってしまったら、

その時点で、人生は終了にしたい。

そこには、 『死ぬ自由』 があってもいいと思う。


でも、


自分の家族が、そうなった時、

絶対に、死なせないんだろうな。


その、エゴが


今の 『歪んだ福祉のカタチ』 なのだろう。