1945(昭和20)年12月4日、木下道雄の『側近日誌』には、― 梨本宮の自宅拘禁を機に、戦争責任の問題あり、「御記憶に加えて内大臣日記(『木戸日記』)、侍従職記録(注:天皇の行動や言動を分単位で記録)を参考に一つの記録を作り置くを可と思い、右お許しを得たり」とある。―
この日から、昭和天皇崩御後に刊行された『昭和天皇独白録』という名の「昭和天皇に係る一つの記録」の作成のきっかけとなる訳である。その理由は梨本宮の逮捕への驚きと、東京裁判への何らかの対策であることは容易に想像できる。
ところが、記録作成の参考にしようとしていた「木戸の手記(日記)」が宮中の所定の場所に無いのが12月6日に判明した。
【木下道雄『側近日誌』より】
どうも「木戸の手記(日記)」は宮中では誰もが知る準公的な記録になっていたようである。
この日、木戸、近衛の逮捕命令が出た。【次回へ】
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