じゃっくり

日常をひたすら記すブログ

忌々しい

2006年05月29日 | 雑記
図ったな

 前回もだったが、あきらかに会社は僕の休みに勉強会が挟まれるように仕組んでいる。夜勤明けの日にくればいいのに、人手が多い勤務のときにくればいいのに、僕の場合は休みの日に回ってくるのだった。休みの日まで会社に行きたくないって。「お疲れ様です」なんて同僚に言いたくないよ。

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忌々しい

 忌々しい母校である鳥取大学に行ってきた。目指すは図書館。在学中は友達もいなかったし、一人でたまに図書館にいっていたのだが、本を読むことは苦痛であまりしていなかったので、できなかったことをしようと足を運んだのだった。
 八冊ほど持っていったのに、読んだのは二冊で、車谷長吉の「塩壷の匙」と山下康代の「トビラノムコウ」。二つとも私小説なので、リアルに書かれている。前者は性悪説を信じている著者が書いているので、人間の悪どい部分を存分に書ききっていて、すっきりする。後者はマイミクである山下きりんさんの著作である。
 図書館の中は思ったよりも静か。大学生ってまだまだ若いから、しゃべらずにいられない年頃だから、しゃべっている人も多いかもと思っていたのに。階段の面に「静粛に!」って書いてあるのが厳格さを示している。「静かに!」よりもこっちの方が恐いね、なんとなく。
 図書館恐怖症じゃないけど、在学中は「居場所」の一つである図書館も苦痛を感じる場所だった。図書館が、というよりも、テーブルと椅子があるのがだめだった。それは教室を想起させられる。座ると、しばらくして手の振るえから始まり、それが肩に伝わり、頭も震えてくる。チック症が進んでいき、筋肉がピクピクと不随意に動いてしまうのだった。
 それが今は大分軽減していた。座って本が読めるということ、ただそれだけなのに、僕は嬉しさをかみ締めていた。
 図書館を出、視線恐怖症になる発端となった並木道を歩いた。木造りの長椅子がその道を歩く人を眺められるようになっており、それが僕には嫌悪を感じさせる要因になった。椅子に座っている人は見ようとしなくても、僕をみただろうし、僕は一人で歩いていたので、友達がいない奴なのだ、寂しい奴だと思われていたのかもしれない。当時はそこを通る度に忌々しい気持ちになり、心苦しくなったものだ。

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年間六十冊

 年間六十冊の本を読むことを目標にしようと思う。一週間に一冊読んでいけばだいたい達成されるペースだ。恩田陸は年間に二百冊を読むという。彼女には負けるが、自分は自分のペースでやっていこうと思う。

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デートなのか

 楠本千夏(仮名)さんとは次第に仲がよくなってきていると思う。まだ僕が実習生のときに彼女には職場の先輩として少しばかりお世話になってきたのだけど、異動で別の施設に移ってしまったのだった。雰囲気が独特で、それに僕はすっかり虜になってしまったのを覚えている。
 一年が経過して、同期の男性を通じて楠本さんと知り合った。あのときの感情は今も胸の奥にしまってあって、いつでも引き出すことができる。
 僕より十歳は年上だが、女性として好きな人だ。その通り、「僕は女性として好きです。あなたのことが」とメールを送った。二人で映画を観終わった後、数日して送ったメールである。そうすると件名に「……。」と入った返信メールがかえってきて、まずい、軽すぎたか……と後悔していると、内容は「好きという大事な言葉は本当に好きな人だけに使った方がいいと思います」というものだった。その後に「でも、幼君には嫌われていないということですね。喜んでおきます」と書いてあった。そのメールを読んで、ますます楠本さんのことが好きになってしまった。
 「好き」という言葉をこのごろ多用している。女性には嘘でも「好き」というと、好感がもたれるようだ。僕は安っぽい男に見られてもいい。軽い「好き」をこれからも使っていくのだろう。
 少しして「今度のデートはいつですか?」と楠本さんからメールがきた。彼女からデートという言葉がでるとは思ってもみなかった。それは僕がちょっと遊び心を入れながら「またデートしましょう」と前に言ったから出たといってもいい。楠本さんは年をとっているが、恥ずかしがりやである。その彼女から付き合ってもいないのに、デートをいう言葉を引き出せたことは大きい。
 誕生日の日に一緒にお祭りにいく約束をしている。浴衣できてほしいと頼んでおいたので、今から楽しみでならない。

歌手になりたいいとこの子

2006年05月27日 | 雑記
 いとこは仲がいいのが普通であると思うが、僕はいとことそれほど仲良くしてこなかった者なので、どのいとこともぎくしゃくした関係を続けている。
 いとこの雪乃(仮名)ともそういう関係だった。彼女と会話を交したことってあるのだろうか。記憶を辿ってみるに、ない、ない。
 彼女との関係性を書くのはやめた。手っ取り早くいこう。雪乃は歌手になりたいと思っている。そして、僕に作詞を依頼してきたのだった。それから僕は雪乃に少なからず興味を持ち始めた。決して美人ではない。とてもシャイで、歌手になりたいのにここ最近まで親にも自分の声を披露したことがないのだった。歌手になりたいのに、そりゃないだろうと僕は嘲った。
 しかし、彼女の歌声は一聴の価値がある。テクニックはあるが、少し声の幅に難があるとみた。しかし、声質はいい。売れる声だ。
 そんな彼女とのメールのやり取りは刺激的だった。音楽業界について大学で勉強しているらしく、その分野に多少の興味がある僕は、かなりの好奇心を駆り立てられた。
 プロの歌手であるためには、かなりの例外を除いて歌うこと以外でも芽が出なければならない。文章がうまいとか、写真の才能があるとか、演技がうまいとか、キャラクターがいいとか、なんでもいい、何かを伸ばしてくれと僕は彼女に告げた。
 作詞をすることは難しい。でもなんとかがんばって一つ作詞をしてみようと思う。あの勢いのある声で僕の歌詞が歌われると思うだけでゾクゾクするから。楽しみだ。

暗がりで本を読む

2006年05月26日 | 雑記
暗がりで本を読む

 まだ明るい十六時だというのに、カーテンを閉め、部屋を暗くしてベッドヘッドに備え付けてあるライトだけを頼りに本を読み始めた。
 暗がりが好きだ。明るい所で本を読むのはどうも相性が合わないらしく、なかなか読み進められない。暗いところにぽつりと少しの灯りがあるのがいいのかもしれない。さすがに真っ暗だと本は読めないし、一点だけほのかに明るいのがいいのだろう。
 椅子に座って読むのは苦手だ。学生時代、思えば机に向かい椅子の上で教科書を開いて勉強したことはあまりない。僕はあぐらを書いて地べたに座ってか、あるいはベッドの上であぐらを書いて勉強をしていた。
 本を読むときも、だからそうしている。椅子は何かを読む人が座るために作られている一面が大きいのに、僕はそのためになっていない。道を外れた者なのであるが、それもまたよし、違っていることは嬉しい。

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ちょこん

 「ダ・ヴィンチコード」を劇場で観たかった理由としては、小説が原作なことと、知り合いがすでに観ていたことが挙げられる。映画を観る際、前もってほとんどの予備知識を詰め込まないでおく。だからパンフレットも買わないし、宣伝広告も僕の前ではゴミ同然なのである。あらかじめ得られる情報源としては、TVで流れるコマーシャルだけである。
 一人で観るつもりだったが、一人の女性を誘うことにした。確率的には半々、釣れるか釣れないか、ギャンブルをしているようで返信のメールを待っている間がとても楽しかった。
 返信メールの件名に絵文字で人差し指と親指で円を作ったものが表示されていた。「OK」を表す手の絵文字だった。
 車で待ち合わせ場所に待ち合わせ時間のちょうどに着くと、ベンチにちょこんと虚ろな表情で彼女は座っていた。虚ろという表現が彼女くらい合う女性はなかなかいないだろう。本当にぼんやりし、けだるい。そして、僕はそこに惹かれている。年は三十七。女性は三十からが勝負だとよく聞いたりするが、彼女は素敵に年齢を重ねている。結婚期を過ぎ、妹は先に結婚してしまい、弟は恋人に夢中でほとんど家に帰ってこない。寂しそうな雰囲気を彼女は漂わせている。それが僕を惹き付ける。
 車のATとMTの話、今日は仕事があったのか、好きな映画のタイプは、好きな俳優は、何時に寝るのか起きるのか、どの辺に住んでいるのか、僕は最後にはてなマークがついた質問をどんどん仕掛ける。自分のことはほとんど言わない。これは会話をする上でいつも僕が心がけていることだ。彼女は僕の目を見ず、斜め下を見ながらゆっくりと話す。僕と彼女はまだ、沈黙を恐がっている間柄だ。だから会話をなかなか途切れさせようとしない。

 「前から三四列目によく座るんです」と僕が言うと、「そう」と彼女は僕の前に立って歩き、四列目の真ん中に腰掛けた。僕はその右隣に腰掛けた。少し手を伸ばせばどこまで触れることができるのだろう。彼女の右手、右腕、右肩、右胸、右脚、髪の毛……。彼女は小さいせいもあり、ベンチに座っていたときと同じくちょこんと座っている印象があった。触れたい衝動に駆られるが、そんなことはできないし、しない。想像の中でそれをして楽しんだ。
 「ダ・ヴィンチコード」は常に考えないといけない映画で、謎の上に謎が乗っかってくるので、混乱してしまう。人間模様も複雑で頭の中で相関図を描くのが難しい。ほつれて変なことになってしまう。警察が必要以上に出すぎて雰囲気を壊している。映画において、「追ってくる者」というものを出す演出は視聴者を飽きさせないためというのが理由にあろうが、僕は何度ももういいやと思ってしまった。「最後の晩餐」の絵の説明がとても興味深い。それが僕の一番の見所であった。しかし、レオナルド・ダ・ヴィンチは核ではない。核はキリスト教であった。キリスト教ではない日本人は楽しめない。

 お互いに手を触ったり、身を寄せたりすることもないままに映画を終えた。デートコースのうちに映画がよく入っている理由は、二人なのを意識するからだろう。上映中は静かにしていなくてはならない。その沈黙が二人を二人であることを意識させる。何度か横目で彼女の黒髪や小さな身体や脚を見た。彼女は僕に女性が隣にいることを意識させていた。
 映画が終わったあとの彼女は、映画が始まる前の彼女となんら変わりなく、とてもゆっくりとした佇まいで僕をあいかわらず観ずに淡々と映画の感想を述べた。彼女はとても話しやすい雰囲気が作れる人で、僕は吃る予期不安を感じず、いいたい言葉を言おうとすることができた。ただ、やはりそこには言いにくい言葉が含まれていて、その度に沈黙が流れた。しかし、彼女は僕の言葉について指摘をしない。
 
 彼女を助手席に乗せ、家まで送った。バックミラーを通り過ぎる彼女を確認した後、視線を前に戻し、運転して帰った。

気管がやられたようだ

2006年05月24日 | 雑記
せきは改善さえしていたが、まだ出るには出たので前回と同じ医院に足を運んだ。受付で紙に名前を書くとき、名前の横にチェック欄があって、僕の前まで皆チェックがし終わっていた。だから、すぐに僕の順番がくると思っていたのだ。
 体温計を渡され、ロビーで計る。しかし、音が鳴る気配がない。前回も音がならず、六分ほど待った。が、鳴らないので、結局そのときの数値を提出したのだが、今回も鳴らない。もうどうでもよくなったので、今のままの数値で出した。脇の下から体温計を取り出し、受付のおばさんの手にそれが触れた瞬間、ピっと音が出、「E」というマークが表示された。おばさんは「あっ」と言った。僕はすかさず「あ、三十七ですから」と嘘偽りなく言った。

 ロビーで吉田修一の「パーク・ライフ」を読んだ。すぐに順番が来るだろうと思っていたのだが、いつの間にか二十ページも読み進めるくらい時間が過ぎていた。一時間、掛け時計を見て苦笑した。僕より後に来た客が診察も終えて、スリッパを脱ごうとしているのに、僕はまだロビーで本を読みながら、何もしないで待っているのだった。しばらくして、不安になってくる。ロビーにいるからいけないのかもしれない。診察室の横の待合室に居らなくてはいけないのかもなどと思った。しかし、僕の腰が上がらない理由があった。ロビーと待合室を繋ぐ道にある長椅子には、門番のようにどかっと髭面で長髪の肉付きのいい男性が座っているのだった。アマチュアのプロレス選手にも見えるし、宗教人にも見える。彼がいるから、僕はその場から全く動けないのだった。僕が動いたらおそらく彼は僕を見る。視線恐怖症の気がある僕にはそれは耐え難いものだった。待合室にいこうにも、彼の目の前を通ることはとても難しい。

 だが、しばらくしてその彼が名前を呼ばれ診察室に向かった。どうやら点滴をするらしい。いなくなったので、すぐに僕は待合室に急いだ。

 カルテには「急性気管支炎、咽頭炎、鼻炎」と書かれている。気管支炎だかんて大仰な名前である。でもせきが止まる気配がないので、そういった名前もうなづける。診察は三分程度で終わって、先生は「新しい薬をつけておきますので」と最後に言った。新しい薬とはシロップのことだった。蜂蜜みたいに黄色い液体を見て、僕は熊のプーさんかよとつっこみを入れた。
 
 その後、最寄りの図書館に行って「パーク・ライフ」の残りを読み終えた。女性から届いたケータイのメールに返信をしてから、そこを後にし、次は別の地域の図書館を訪ね、芥川龍之介の「創作」と「私と創作」と「鼻」を読んだ。

プライド

2006年05月22日 | 雑記
追記三

プライド

 目下一番苦労している相手と言えば彼を置いて他にはいない。彼は元中学校の校長の爺で、難聴者で認知症者だ。僕は吃音なので、難聴である人との会話で苦労するのは目に見えているのだが、この場合はそんなことは小さな悩みで、元校長なのが深く根ざしているのだった。
「介護するのに苦労する人ってどういう人?」
 そう聞かれると、迷わず僕は「プライドが高い人」と言う。それは排泄介助を経験すれば誰でも分かることだ。プライドが高い人は自分の恥部を見られたくないがために、拒否をする。婆の場合は力がないので、ある程度力技でできるのだが、爺の場合は、特に彼の場合は下肢筋力が低下しているはずなのに、力強く脚をばたばたさせるからやっかいなのだ。それに加えもちろん認知力も落ちているから、今の自分の置かれた状況が分からず「分からん。何するんだ」とわめき散らし、介護者を憂鬱にさせる。
 僕は何度も思った。ここに彼がいなければいいのに。暴力に走ることはもちろんなかったが、想像の中で彼を殴り倒したことは何度もある。年度が替わり、不幸なことに僕は彼の担当者になってしまった。しかし、僕は彼を熱心に診ることはしない。なぜなら僕は彼が苦手で、大嫌いであるからだ。


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追記ニ

miss you

 今は平井堅の「miss you」にハマっている。車に乗ったときはいつもこの歌を真っ先に選んで、初めから最後まで歌っている。一青ヨウの「ハナミズキ」の男バージョンだと勝手に決めているのだが、それは単に九.一一テロをきっかけに作られた歌だからだ。
 低音が苦手であまりでないのだが、この歌の場合は低音がいい音で口から出てくるような気がする。それはたぶん、少し平井堅のモノマネをして歌っているからなのかもしれない。歌うことはまずモノマネからはじまる。しかし、いつまでもモノマネでいる必要はなく、ずっとそのままだと嘲笑の的になってしまう。モノマネから離れつつ、自分の声で歌わなくてはいけない。
 日本語は割りと感情を込めて歌えるのだが、やはりどうしても英語の箇所がうまく歌えていない気がする。録音して聴いてみるも、発音はおろか感情さえうまく乗れてない気がしてならない。最後は英語のオンパレードである。そこが大事なのは言うまでもないのだが、この歌を歌いこなすには英語をどう歌うのかにかかっている。
 
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追記一

トラップ

 自動車重量税は毎年払わなくてはいけないわけだが、どうやら書面にいろいろと書いて送ればそれ以降は自動引き落としになるらしい。面倒なことが嫌いな僕はそれを希望したが、書面に書くこと自体が面倒なので、申し込みをせずにおいた。しかし、能率を重んじるA型の父がそれを僕に勧め、ほとんどの記入欄を書いておいてくれたのだった。
「あとは口座番号と印鑑だけだけな」
 そう言い僕に紙切れを手渡す。銀行のカードに書かれた番号を書き込み、後は印鑑だけとなったとき、はっとなった。そういえば僕には銀行用に使っていた印鑑をなくしていたのだった。何度も何度もどこからが知れず「この印鑑は違います。正しいもので再度判を押してください」といった催促状がきていて、それを見るのも面倒なので、放置していたのだ。

 父のあの言葉はトラップだった。僕を惑わせるために言った言葉ではないにしろ、またあの嫌な感覚を味わった。事務処理が大嫌いな僕は、おそらくいつまでたっても自動車重量税の自動引き落としはできないままであろう。