じゃっくり

日常をひたすら記すブログ

出久根達郎と会う

2006年05月15日 | 雑記
第二回の松江文学学校に参加してきました。

今回は直木賞作家の出久根達郎さんの講義でした。名前が個性的な方なので、まずはそれに惹かれました。出久、根太郎、と初めは推測していて、「できゅう、ねたろう」と読んでいたのですが、まったく違いましたね。すいません。

顔も知らず、彼の本も一冊も読んだことがないという、またしても前回と同じスタイルでの聴講となりました。メモを書き残します。タイトルは「文学と手紙」でした。

・小学生時代、授業の一つでお母さんへ手紙を書く機会があり、原稿用紙一枚分を書いた。そして、それをお母さんに見せて感想をもらってきなさいと先生に言われた。しかし、母は文字が読めない人だったので、「よくできました、とでも書いておきなさい」と私に言った。
・父は新聞や雑誌の読者投稿の欄に盛んに文章を送っていて、それの懸賞で飯を食おうとしていた。朝から晩までそれをしていた。私はそんな父の書く文章を真似て、紙に書き写していた。
・私は手書きで物を書く。ワープロやパソコンは使わない。それは単純に文字を書くのが好きだからである。
・当時は生活保護を受けていた。貧しかった。
・昭和三十四年に集団就職というものがあり、私もそれに乗っかり上京、古本屋に就職した。
・働くことは苦ではなかった。それは働きたくても働けなかった父がいたからである。
・働いていた古本屋の主人はタカハシテイイチという人で、電気科を卒業したが、文学にしか興味を示さない人であった。高橋氏は酒飲みで、十五歳の私に酒を勧め、文学について語った。
・古本屋には一日に一人客がくるかこないかなので、勉強(本読む場)にはもってこいであった。高橋氏は言った。学校にいく必要はない。本を読め、本は先生だ。
・高橋氏は成人式なんてものにはいかなくてよいといった。ただ、大人になったからには、目上の人にかわいがられる人になれと言った。三つのことを教えてくれたが、二つは卑猥なので言えない。一つは歌である。「おいっちに」という掛け声が面白い歌だ。(これを講義中に披露し、拍手をもらう)
・「本の数だけ学校がある」と高橋氏は言った。どんなつまらない本でも、どこかにいいことが書かれている。
・大学ノートに読んだ本の感想を書いた。書いたものは読み返したくなる。書くときに読み、また読むので、勉強になるのだ。
・本の形をもっていると、人はなかなか読まない。だから、ページをちぎって、ポケットにでも入れておくとよい。そうすると不思議に全部読める。
・司馬遼太郎の「竜馬がいく」はすばらしい本である。間合いを細かに書き記している。自分を竜馬に置き換えて読んだ。感動した。登場人物は実に千百四十九人もいる。司馬遼太郎は人を大切にしていた。この世に無名は者などいないと思ったからだ。なぜ、人物を数えたか(一週間もかけて)? それはそういうことである。
・人名を記述しよう。無名の人間を活字で表現しよう。
・坂本竜馬の書いた手紙は面白い。
・夏目漱石は手紙が大好きな人物である。二千五百もの手紙を書いている。それは長い。原稿用紙で十枚もいくものがある。漱石は優しい。子供からの手紙にも懇切丁寧に返した。
・漱石の手紙に救われた者がいる。宮ひろしという人物である。彼は不治の病に侵されていたが、漱石とのやり取りにより復活、織物会社に就職、看護師と結婚し、四十三歳で死んだ。
・何も残さなかった者を追跡していく、すくい上げる、これが文学である。
・無名の人にも残せるものがある。まじめに生きることである。
・小説の役割の一つとして、無名の人を大多数に知らしめることが挙げられる。

出久根氏はとてつもなくおしゃべりな人でした。講演前の顔写真を見た印象はあまりよくなく、そこいらにいそうなおやじでしたが、とてもさわやかな人物で好印象をもちました。

「お願いします」と買った本を手渡すと、ぺこりと一礼され毛筆でさらりと名前を書き上げられました。それはとても美しかった。本に救われ、本を救った彼は、本当に本が好きなのだと思いました。