じゃっくり

日常をひたすら記すブログ

独唱する作詞家

2006年05月21日 | 雑記
職場で二十人ほどの前で朧月夜をアカペラで独唱してきました。ある利用者が退所するためです。「幼さん歌って」と何かある度に言われる僕は幸せ者に違いありません。前は「翼をください」、もっと前は「大きな古時計」、最近では「さくら」を歌いました。
 朧月夜は雰囲気がとても素敵な曲。若人の僕には歌いこなせていませんでしたが、終わった後は喝采を浴びました。
 せきがひどいときにも僕は車の中で歌っていた。やっぱり僕にとって歌は欠かせない重要なものなのです。

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 いとこはプロの歌手になりたいと思っている。それを聞いて正直鼻で笑った。どんな困難な道か知っているのだろうか。しかし、彼女の歌を聴いて考えを改めることとなった。
「作詞をしてほしいんです」
 恥ずかしがりやのいとこは、母親を通じて僕にそう伝えてきた。なぜ僕に。噂で文章を書いていることを知ったのだという。僕の文章を読んだことがないのに、なんでそんな簡単にそんなことを言うのだろう。作詞って、また小説を書くとは別の作業なんだよ。ニ三年前にちょこっと作詞をしたことがあるのですが、まったくもってへんてこな文章しか書くことができなかった。依頼者は褒めてくれたけど、僕の中では完全に落第点だ。
 でも僕はいとこに自分なりの詞を書いてあげたいと思う。歌っているときの彼女の真摯な態度が好きなのだ。あんなに大事に歌を歌っている人は珍しい。あきらかに素人レベルではない。プロに近づきつつある彼女に、僕から思いのもった詞をプレゼントできればと思っている。

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読んだ本
車谷長吉「ひょう風」

私小説である。彼は講演会でこういった。「陰口を表口でも言えるようになりなさい」。その言葉通り、普段表立って言えなさそうな言葉が随所に出てくる。嫁さんとの交わりのことも出てきて、おいおい、ここまで書いていいのかと読んでいるこっちが焦ったりする。著者は強迫神経症で、そのことについての文章が興味深い。女性の陰部に入れた手で、自分の陰部を触り小便をしている男、そんな男の手がエレベーターのボタンに触れた。そして、それに嫌悪感を抱いた著者はエレベーターに乗れず、五十二階のオフィスまで階段を使って行くことになった……などのエピソードは面白く、飽きさせない。

オフ会 with げんじょ、イケ

2006年05月19日 | 雑記
スレイヤーズ大好きのスロッター、イケ君と魏国を愛してやまない女王様、げんじょさんとオフ会をしました。
 
 日本で一番最初に作られたことで有名な「道の駅」、大栄に集合して、すぐ横の道からスタートするコナン通りを歩いてではなく、車で通って行きました。コナン通りなのに、コナン色に染まっていません。あるのは田園風景です。コナン、どこにいるんやあんたは! とメンバーをやきもきさせましたが、一番の名所であるコナン橋に差し掛かると、コナンが随所に現れました。コナンの銅像あり、道にはイラストあり、コナン探偵社というコナングッズが売ってある店もありました。写真のように電柱にもひそかにコナンががんばって張り付いていて、僕は驚きを隠せず驚嘆の声をあげてしまいました。
 げんじょさんが「川が汚いね」と言われたので、みてみると茶色に濁っていて、魚さんもさぞかし大変な目に遭っているのが想像できました。観光名所としてはいまいちなようです。コナン探偵社ではマニアックなグッズが売っていましたが、僕はコナンのイラストがかかれたラムネだけを買うことにしました。あとで乾杯するためです。
 
 コナン通りを後にすると、湯梨浜町にある燕趙園に向かってまっしぐらです。玄関で受付を済ませると、○本というネームのついたチャイナ服の店員さんに「幼さんですよね」と声をかけられました。なんで名前を知ってんの? と聞くことはなかったです。彼女は職場の同僚の妹さんなのです。「仕事は何時に終わるんですか? よかったら後からお茶でもしませんか」と声をかけようとしましたが、はっとなって時計とにらめっこ。三時から中国雑技のショーがあるのでした。あと数分しかない。○本さんに「すいません! あなたより大事なものがあるんです」と言いつつも、げんじょさんといけ君を置き去りにして、一人駆け足でショーの会場へ向かうのでした(作り話)。

 中国人の女の子がかわいかったです。前回のショーのときもかわいいなあと思っていましたが、今回もハートをもっていかれました。しかもそれでいて、技術力も優れています。「足芸」は圧巻でした。仰向けになって、四本足がついたテーブルを自らの足で支えているのです。前回も同じショーを観たので、僕はそれほどの驚きがなかったですが、げんじょさんといけ君はびっくりしたでしょう。

 チャイナ服がレンタルできるということで、みんなが揃ってチャイニーズになってしまいました。いけ君は黒色を選択し、とても怪しい雰囲気を醸し出していました。僕とげんじょさんは「あれ……あれみたいだね」「うん……あれみたい……」とひそひそと話をするくらい怪しかったのです。僕は青か黄色でまよいましたが黄色の柄がついたものを選択。に、似合わない。それでも馬子にも衣装、ちょっと偉そうに見えます。
 げんじょさんはチャイナ服がとても似合っていました。試着の段階で、むむっ! と僕は目を光らせていました。ピンクもいいし、赤もいいし、どれも彼女に似合っているのでした。結局緑色に決められました。げんじょのG、GREENです。なるほど。
 チャイニーズになってしまった三人衆は、その後燕趙園で働いている掃除婦の母の観光案内付きで園内を見て回りました。気分はチャイナチャイナ、日本語を極力抑え、ニーハオを基本とした中国語を巧に混じらせながら、ブルースリーのような身のこなし方をしながら歩き……いや、実際は鳥取弁まるだしで、たまにチャイナ服の裾を踏んでこけそうになったりしました。

 最後は東郷の山奥にある今滝に行きました。滝までは車を降りて少し歩くのですが、景色が素晴らしい。僕は小鹿渓を何度も訪問しているのですが、それを思い浮かべました。木と石と岩と水の芸術品ですね。自然って大好きだ、やっぱり。肝心の滝も素晴らしいものでした。今滝の美しさは、その横の細さと高さにあるのでしょう。写真を見たら分かる通り、一筋の光のようにも映ります。とても幻想的でした。
 僕らは傍にあった木のテーブルの上で前に買ったコナンのラムネで乾杯し、コナンの人形焼をむしゃむしゃと食べました。なんつー地元愛に溢れた三人なんだ……。見習った方がいいですよ、簡単に県外に出ちゃう若い子ら。

 んなわけで、とっても充実したオフ会でした。げんじょさんはあいかわらずS気が入った素敵なお姉さんでしたし、いけ君はプラス思考のインドネシアンでした。

病院、美容院、孤独な読書家

2006年05月19日 | 雑記
 ひさしぶりに病院に行ってきました。診察代が二千円で、薬が千円、しめて三千円なり。……アルバム一枚買えるじゃないですか。こわい、やっぱり病院……。ラックビーって下痢止めなんだけど、なんで処方されてるんだろう……僕下痢じゃないよ、風邪なんだけど。

 電話をかけて美容院に行ってきました。どうでもいいですが、「びょういん」と「びよういん」って似すぎだよ……。僕は吃音者なので、電話での予約が億劫になって、これまではほとんどしたことがなかったのです。でも、ちょっと慣れてきました。最初に「すいません」と言ったら後が割りとスムーズにでる感じです。
 車で三十分もかかる美容院が僕の行き付けです。なんでこんなに離れた場所に行くのかというと、まず雰囲気がいいから。次に美容師のお姉ちゃんの外見が僕好みだから。最後に適度に遠いから。この美容師さん、ほとんどしゃべらないんです。髪を切る前の「どうぞ」と、終わった後の「こういう感じでよかった?」と、清算のときのちょっとの会話くらいです。美容院でのカット中の会話に困っていた僕には、とても相性のいい方です。いいお店を見つけたなあ。

 んで、帰った後は一人でUFO型の展望台がある所の駐車場に車を停めて、近くの公園で一人読書にふけりました。でもすぐに陽が暗くなってきたので、二十分ほどで退散しました。

 二枚目の写真は呪われています……。クリックしないでください。

追記:二枚目の写真はあまりにひどい顔をしていたので自主規制として消しました。さようなら……。

せきが止まらないのは

2006年05月16日 | 雑記
せきが止まらないのはどうしてだろう。こんなにも健康な生活を送っているのに。肺炎にでもなって、いろいろな病気も合併しちゃって、大変なことになるのかもしれない。じわじわくるのが嫌なんだよなあ。鎌をもった骸骨男は「まだ死ぬな。死ぬのは天国だ。死ねないのが地獄。地獄を味わうがいい」とヒヒヒなんて笑いながら言うんだ。
 一番いいのは、余命何年とか言うの。十年くらいがベストか。そうなったら別に仕事をしなくても怒られないだろうし、文章だけを追い続けて、文章にまみれて死ねるんだ。
 僕に文才があるなんていっている人は勘違いをしている。だって、本なんてほとんど読んだことがないもん。本なんて父も母もほとんど本を読まないし、才能なんてこれっぽっちもないんだよ。本を読むのは苦痛なんだよ。楽しいと思うのはちょっとだけで、辛いんだよ、本当のとこ。ページがなかなかめくれないし、同じところを何度も読んじゃうし、どうしようもないんだ。苦行なんだよ、本を読むことは。でもそれを乗り越えないと良い文章がかけないんだ。
 この前間違いを指摘されたよ。「これ失語症じゃない」って。はっとなったね。失語症については、ほとんど知識がないのに、何の責任も感じず書いちゃったんだ。書くためには、読んで学んで、読んで学ばなくてはいけない。書くのはずっと先なんだって。知らなかったよ。
 せきが止まらないことは別に苦しいことじゃない。身体が弱ることはかえって嬉しいことなんだ。ただ、やるなら徹底的にやってほしい。誰か僕を突き落としてくれ。もう一度あの絶望を味わいたいんだ。

出久根達郎と会う

2006年05月15日 | 雑記
第二回の松江文学学校に参加してきました。

今回は直木賞作家の出久根達郎さんの講義でした。名前が個性的な方なので、まずはそれに惹かれました。出久、根太郎、と初めは推測していて、「できゅう、ねたろう」と読んでいたのですが、まったく違いましたね。すいません。

顔も知らず、彼の本も一冊も読んだことがないという、またしても前回と同じスタイルでの聴講となりました。メモを書き残します。タイトルは「文学と手紙」でした。

・小学生時代、授業の一つでお母さんへ手紙を書く機会があり、原稿用紙一枚分を書いた。そして、それをお母さんに見せて感想をもらってきなさいと先生に言われた。しかし、母は文字が読めない人だったので、「よくできました、とでも書いておきなさい」と私に言った。
・父は新聞や雑誌の読者投稿の欄に盛んに文章を送っていて、それの懸賞で飯を食おうとしていた。朝から晩までそれをしていた。私はそんな父の書く文章を真似て、紙に書き写していた。
・私は手書きで物を書く。ワープロやパソコンは使わない。それは単純に文字を書くのが好きだからである。
・当時は生活保護を受けていた。貧しかった。
・昭和三十四年に集団就職というものがあり、私もそれに乗っかり上京、古本屋に就職した。
・働くことは苦ではなかった。それは働きたくても働けなかった父がいたからである。
・働いていた古本屋の主人はタカハシテイイチという人で、電気科を卒業したが、文学にしか興味を示さない人であった。高橋氏は酒飲みで、十五歳の私に酒を勧め、文学について語った。
・古本屋には一日に一人客がくるかこないかなので、勉強(本読む場)にはもってこいであった。高橋氏は言った。学校にいく必要はない。本を読め、本は先生だ。
・高橋氏は成人式なんてものにはいかなくてよいといった。ただ、大人になったからには、目上の人にかわいがられる人になれと言った。三つのことを教えてくれたが、二つは卑猥なので言えない。一つは歌である。「おいっちに」という掛け声が面白い歌だ。(これを講義中に披露し、拍手をもらう)
・「本の数だけ学校がある」と高橋氏は言った。どんなつまらない本でも、どこかにいいことが書かれている。
・大学ノートに読んだ本の感想を書いた。書いたものは読み返したくなる。書くときに読み、また読むので、勉強になるのだ。
・本の形をもっていると、人はなかなか読まない。だから、ページをちぎって、ポケットにでも入れておくとよい。そうすると不思議に全部読める。
・司馬遼太郎の「竜馬がいく」はすばらしい本である。間合いを細かに書き記している。自分を竜馬に置き換えて読んだ。感動した。登場人物は実に千百四十九人もいる。司馬遼太郎は人を大切にしていた。この世に無名は者などいないと思ったからだ。なぜ、人物を数えたか(一週間もかけて)? それはそういうことである。
・人名を記述しよう。無名の人間を活字で表現しよう。
・坂本竜馬の書いた手紙は面白い。
・夏目漱石は手紙が大好きな人物である。二千五百もの手紙を書いている。それは長い。原稿用紙で十枚もいくものがある。漱石は優しい。子供からの手紙にも懇切丁寧に返した。
・漱石の手紙に救われた者がいる。宮ひろしという人物である。彼は不治の病に侵されていたが、漱石とのやり取りにより復活、織物会社に就職、看護師と結婚し、四十三歳で死んだ。
・何も残さなかった者を追跡していく、すくい上げる、これが文学である。
・無名の人にも残せるものがある。まじめに生きることである。
・小説の役割の一つとして、無名の人を大多数に知らしめることが挙げられる。

出久根氏はとてつもなくおしゃべりな人でした。講演前の顔写真を見た印象はあまりよくなく、そこいらにいそうなおやじでしたが、とてもさわやかな人物で好印象をもちました。

「お願いします」と買った本を手渡すと、ぺこりと一礼され毛筆でさらりと名前を書き上げられました。それはとても美しかった。本に救われ、本を救った彼は、本当に本が好きなのだと思いました。