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yetiの浮雲日記

写真と文字で綴る他愛のない日々。

ネパール終章

2006年11月24日 23時57分58秒 | エベレスト街道
*左:エベレスト(8848m)、右:ローツェ(7879m)-於:カラ・パタール(1999年3月)

             
何故、山が好きなのか?あんま考えたこともないし、真面目に語るのも恥ずかしい。
そもそも、それほどの経験を持ち合わせているわけでもない。

でも、考えてみた...一応、考える...いや、必死に考えた..........。
*やっぱ、こんな書き出しにするんじゃなかった・・・少々後悔

あえて言えば、生まれそだった場所が、大山の麓で、
常に山が身近な存在だったことも背景にあるのだろうし、
山好きな父親(かつてだが)の影響もあっただろう...。
でも、一番の理由は、結局、山が好きということに行き着いてしまう。(ガッカリ?)

ピークを極めるのは好き(これは一般的に嫌われる登山だが・・・)。、
森林限界を超えたときの風を受けるのも好きだなぁ。
夜のシーンとした空気も好きだし、山だと一人メシでも一人酒でもうまい!

時に何時間も山頂、山腹でシャッターチャンスを待ったり
絵を描いたりするのも何だか贅沢な時間の過ごしかただし、
雄大な山容を下界から見るのも考えてみれば嫌いじゃない。

でも、誰もが納得しうる理由はよう見出すことができん。
チャリもカメラも同様であるのだが...。

              


山好きの理由は明確にわからないのだが、自称山好きの自分は、
初めての海外旅行の行き先にネパールを選んだ。
1999年3月である。(参照:ネパールその1 ネパールその2
ネパールは、一人で行った。
不安はあったが、それ以上に間近でエベレストを見たい思いが強かった。

国内の3000m峰以上には、登ったことのなかった自分だが、
エベレストを展望する丘(カラ・パタール)までの道は思ったより順調だった。
標高4500mを超えてもかなりのハイペースで飛ばし、
宿泊予定地の正午頃に着くと、毎日スケッチをして時間をつぶしていた。(ちなみに絵心はないよ)
しかし、目的地カラ・パタールに向かう最終日。
それは突然やってきた。標高5000m以上・・・。おそらく・・・高山病である。

心臓の鼓動は早まり、足が止まり始める。
周囲は強い風が吹いていて、時折体を揺らす...。

天候は晴天であるが、吹き付ける風は冷たい。
冬用シュラフやカメラ、着替えで膨らんだザックが肩に食い込んだ。

経験したことがないぐらい呼吸が荒くなっていることにハッと気がつく。
途中で谷底にザックを捨ててしまうと幾度か考え、踏みとどまった...。(笑)

600mUPを3時間ぐらいかけてようやくカラ・パタールへ。

         
*後ろはプモリという山。けっこう綺麗な山ですよ♪

目の前に聳えるエベレストとローツェ...。
この光景だけは忘れることが出来ない。
今では(その頃もだけど)、お金と一定の技術、優秀なガイドがついて、
天候に恵まれれば、一般人でも登頂できる山だけど、
それでもやっぱ特別な風景だったとの思いが残っている。


次は、K2(自分的に美しさはピカイチの山!登頂は至難の業!)を見たい!
まず、無理だな・・・


ネパール第2弾!

2006年06月23日 16時41分52秒 | エベレスト街道
日本残念でした。でも、玉田のゴールでとりあえず、満足かな。
休日だのに、朝からW杯(しかも録画)を観てしまったので、
インドアな一日です。

ってな訳で新しい写真がないので、ありものの写真であまり心待ちにされていない(笑)ネパール第2弾!
1999年3月と遥か昔の話なのに、恥ずかしげもなく記事をupします。

ちなみに第1弾はこちらhttp://blog.goo.ne.jp/yeti-daisen/e/00c32141253579af282d861806a04b62

ナムチェ(標高3440m)を出発し、タンボチェ(標高3867m)を目指す。
富士山を登ったことのない自分にとっては、この標高は未知の領域だが、
ペースは恐ろしく快調。高山病の兆候も全くない。

道行く人は、ほとんどが欧米人。
英語で話しかけられるが、早すぎて解らない。
その後、カタコトのネパール語っぽい言語で話しかけられる。
どうも同行のシェルパよりも重そうなザックを背負っている自分を
シェルパだと思ったようだ・・・。
ネパール語はもっと解らないので、孤独感を強く感じる。

山に入ってからカタコトの日本語と英語が出来るシェルパ以外と
ほとんどまともな会話が出来ていないので
旅情感に浸ることもなくひたすら登る
おかげで昼前にはタンボチェに到着。

このタンボチェには、春、秋、冬と3期のエベレスト登頂を成し遂げ
1982年遭難死した登山家、加藤保男と小林利明の慰霊碑がある。
本で読んだことしかない(「エベレストに死す」長尾三郎著:講談社文庫etc)けど
山への飽くなき挑戦を続ける彼の姿勢に興奮を覚えながら熱心に山岳書を読みあさった記憶がよみがえる。


慰霊とトレッキングの安全祈願をして、タンボチェのロッジで休む。
念願のエベレストが見渡せるカラパタール(5545m)登頂はもう3日後に迫っていた。


自分(左)同行のガイド兼通訳のシェルパ(右)と・・・。
【於:タンボチェ・ゴンパ(寺)の前で】











ここはネパール。カトマンズ

2006年04月20日 23時30分52秒 | エベレスト街道
「うぉー憧れのネパールだぁ!念願の山岳王国だぁー!」
こう叫んだかどうかは、定かではないが、
何にしても1999年3月、「カトマンズ」に到着した私は、
感激のあまり何かを叫んだことだけは記憶している。

たった一人(途中から通訳兼ガイドと同行)のネパール行き、
しかも初の海外旅行。
期待と不安はそれぞれあるが、
それでも「間近で世界最高峰エベレストを見る夢」が
すぐそばまで近づいていることを実感し
期待の方が上回っていた。

目的は、「クーンブ山域」。エベレストやローツェを見渡す(見上げる)
「カラ・パタール」(標高5545m)という丘が最終目的地点。
到着の翌々日、国内線でルクラ(標高2804m)という街まで移動。
小さなセスナ機は、山の稜線ぎりぎりをすり抜け斜面に出来た飛行場に
激突するように着陸する(ムチャクチャ怖い)。


こうして往復10日のトレッキングが始まった。
NikonF+50mm+ズームレンズ、シュラフ、着替え、コンロ、水・・・etc。
ザックの重さは20キロ以上あったと思うが、
この時はまだ、その重さが心地よかった・・・。(不定期掲載っす)