yetiの浮雲日記

写真と文字で綴る他愛のない日々。

他愛のないタイトルの話...。

2007年10月30日 22時44分32秒 | Weblog
ネタ切れにつき...。

先日、このブログの存在を知る友人から
「お前のブログのy・e・t・iっちゅうのはどう読むだ?」と問われた。
自分は「あれか?あれはyeti=イエティーって読むだわね。」
友人曰く「そりゃ、どげな(どうゆう)意味だ?」

ブログのタイトルなんぞ、あんまり気にすることはないが、
耳慣れぬ言葉や、さも意味ありげな言葉が含まれていると
人は妙に気になり、その疑問を解決したくなるようだ。

およそ2年前、ブログを始めるにあたっていろんなタイトルを考えた。
「道楽男の放蕩生活!」・・・とんだ遊び人イメージを植えつける可能性があり却下。
「ペダルを踏んで考えた!」・・・チャリ好きであることをPRしようと考えたが、どっかで聞いたようなタイトルで却下。
「瑞光暇写(ズイコウカシャ)」・・・意味するところは「愛用するオリンパスカメラのレンズ「瑞光」で撮った脱力写真載っけます」であるが、一般的に考えて意味不明なタイトルで却下。
「三十路男の気紛れ帳」・・・のっけからやる気なしです...。
まっ、他にも赤面必至のタイトル案が数多く思い浮かんだが、
結局、何のブログだかわからん今のタイトルに落ち着いてもうた。

ちなみにyetiというのは、日本語で訳すと「雪男」という意味。
冬山登山、スキーをするのが好き。何より雪が好きな自分には
ぴったりと思ってつけたのであるが、意外とこの言葉の意味を知らない人は多いようである。
まっ、日常生活で出てくる英単語ではないので当然であろうか?
未確認生物であることも、一応ネット上で、正体不明である点と合致し
なかなかいいではないかと自分では考えた。

まっ、こんなことを説明しても友人にとっては
当然ながら「あっそう」といった冷ややかな反応ではあったが...。






ついにE-1後継機...。

2007年10月30日 00時40分00秒 | 写真
先日、書店で「デジタルフォト」なる雑誌を買った。
だいたいこの時期はデジ一の新製品が発売ラッシュだったりする。
パラパラと眺めているとやはり興味深い記事にぶち当たった...。

記事によると、何でもオリンパスのフラッグシップ機「E-1」の
後継機「E-3」が4年の歳月を経てようやく発売されるとのこと。
すでにネット上では、いろんな情報が飛び交っていたようだが、
しばらくネットから離れると何とも新鮮な情報なんです...。

E-1と同じく強力なダストリダクションシステム採用、
視野率100%のファインダー、防塵防滴のボディに加え
新たにボディ内手ブレ補正にフリーアングルのライブビュー、
っと搭載される機能は盛りだくさん。う~ん。結構そそられます。

冬のボーナス期を前にヤバイ、ヤバイ...。(汗)




三徳山。

2007年10月28日 22時12分06秒 | 山・山・山
かなり気持ちよく呑んだ翌日は、往々にして目覚めが良い。
その日は、朝5時半に気持ちよく目覚めた。
朝6時早速、温泉に入ると、岡山からやってきたというおっさんが先に入っていて
陽気に話しかけてかけてきた。
「ワシはなぁ~40年以上も発破の職人としてやってきたんじゃ~。」
「全国津々浦々仕事で飛びまわったが、山陰は温泉が多くて最高じゃ~。」
「発破の職人は、火薬を扱うけ、嫁さんをもらうにも5代前まで罪人が出ていないか
身元調査をせないけんのじゃ」と
まゆつば物の話も多そうであるが、ひとしきり「発破」の話をした後、
「山陰の人は皆、人がええ~。そして穏やかで勤勉だ。」
ふむふむ良く言われることであるが、このことは間違いなく欠点でもあるはずだ。
「そして山陰人は、ずるがしこいワシみたいな岡山人を嫌っとる!」
おぉ~と突然飛躍しすぎじゃないですか?
まっ、そんなこんなで見ず知らずのおっさんと浴槽で一緒になること20分。
普段なら鬱陶しいと思うこんな駄弁りを聞き続けても、不快にならないほど
気持ちよい目覚めであった。

        

外も快晴。そのまま学生時代の友人らと別れるのが惜しかった。
ちゅうことで、マレーシア出張前の友人と三徳山に登山へ。
三徳山には、投入堂と呼ばれるお堂が有名で国宝にも指定されている。
ちなみに去年が開山1300年で、前出のキャッチを使ったポスターが
少なくとも鳥取県内にはたくさん貼られていた。

羽合温泉からおよそ20分。
三徳山に到着し、体験入坊中と思しき小坊主が掃除する中、登山口へ。

                  

ここで、登山靴以外の靴を履いている人は、否応なしに草鞋となる。
(岩場など悪路が多いので、滑り止めが最大の目的)

         

登山道から地表にむき出しになった広葉樹の根っこに捕まり...

         

岩場を歩く。写真は載せていないが鎖場あり。同じく滑落危険箇所もあり。
まさに「最も危ない国宝鑑賞。」なのである。

         

しかし、秋晴れが気持ちよい一日であった。
樹林帯を抜け、吹き付ける風も随分と秋を感じさせる空気である。
そんなことを考えながら登ること30分。
ようやく「危険な国宝」に辿り着いた。

         

この投入堂。役行者が麓で組み立てたお堂を神通力でこの断崖絶壁の地に
投げ入れたとの逸話からその名がついたらしい。
足元は当然危ない箇所もあるが、秋に入り活発になったスズメバチも周辺を飛んでいた。
なにせ、投げ入れ堂の上にデカイ巣が...。
そしてそんなことお構いなし、国宝お構いなしの罰当たりな友人が一人...。

出張先のマレーシアには、明日出発するらしい。
無事に帰国の後、冬の三徳山でも行きたいもんである。(笑)







学生時代の友人と...。

2007年10月22日 22時59分59秒 | 
先週末は、高校、大学時代の親友の送別会であった。
何でもマレーシアに行くらしい。
これまでもベルギー、インドネシアで数年在勤していたが
今回は2ヶ月間マレーシアとのこと。

松江から離れること100km。
会場は羽合温泉の旅館である。
車は使えないので、久しぶりにJR山陰線に乗って向かった。
境線の起点。「米子駅」では定番の0(霊)番線。
鬼太郎の街として全国的に知られるようになった境港行きのホームだけに
妖怪色が強い...。

     

車窓からは南に秀峰「大山」を眺めることが出来る。
高校時代は日々車窓から目にしただけに何とも懐かしい。
その頃の「甘くてほろ苦い」思い出(いやっ!汗臭くて泥臭い部の思い出か?)にしばし浸りながら倉吉に到着。

倉吉では、是非行きたいところがあった。
「倭文(しとり)神社」と呼ばれる神社である。
ちなみに伯耆(ホウキ:鳥取県西部)の国、一ノ宮で
安産の神様として知られる。(らしい...)
ウチのオヤジとオフクロは、初孫出産の前に、この神社にお参りしたらしい。
その話を聞くまで、この神社のことは知らなかった。
今年、無事長男は産まれたが、ウチの親父とお袋のことだから
拝むだけ拝んで、お礼には行っていないだろう。間違いない...。

そう感じると、律儀にお礼に行かねばと考えてしまう。
倉吉駅まで迎えに来てくれた「主賓」の親友と現地まで。
鬱蒼とした林に囲まれた、暗くて肌寒い神社であった。

     

これが安産の守り神である「安産岩(あんざんがん)」であるらしい。
表面を見る限り「安山岩」ではなさそうであるが、自信はない...。
ちなみに大学時代は、「地学」を専攻していた...。(汗)



普段は信心深くないのに、こんな時だけ、感謝を述べて、羽合温泉へ。
鄙びた温泉であるが、久しぶりに行ってみると足湯などが整備されていた。
早速の「冬物語」は、うまい!


     

旅館の主人は「瓢箪」が大好きなようである。
入り口で出迎えたのは200ぐらいの瓢箪であった。
全て主人の手書きで文字であったり、手彫りの細工がなされてあった。
大浴場に向かう廊下も...。



しっぽりと温泉につかって、旅館のうまい飯を...。
その後は.....?
大学を卒業して10年ぐらい経ったけど
同じメンバーが揃えばいくつになってもお馬鹿になれるもんです...。(汗)












鼕(どう)行列

2007年10月22日 21時29分21秒 | 歳時記
鼕(どう)行列である。
松江市民が最も燃える?(多分・・・)秋祭りである。

松江に住んでたかだか7年しかたっていないが、
この時期だけは、さも生粋の松江人のごとく化してしまうのが、何とも不思議である。

    

今年は、見に行くのを止めようかと思っていたが、
鼕の音を自宅で聞くにつれ、勝手に気持ちが高ぶり、
久しぶりに一眼レフ持って市内まで...。
ちなみに去年は、こんな感じ
写真では、その熱気はなかなか伝えること出来ませんが、
是非是非、いろんな人に見てもらいたいもんです。
体を震わすほどの太鼓の音は心地よいです!

     

松江市民にとって、鼕の音は、まさにふるさとの音。
たぶん、子どもの頃からこの音は体に染み付いているんでしょう。
本当、鼕を叩く姿が楽しそうで、こちらもちと幸せな気分になります。

     
     

久しぶりにデジ一を持ち出し、快適に撮影していると、ある親子が...。
「肩車」
何だか最近こんな親子を見ることって少なくなったなぁ~とパチリ。
この子もいずれ鼕を叩くんでしょう。多分...。是非そうあって欲しいもんです...(笑)

     
     

体に当たる風が時折冷たく、何とも心地よい。
勇壮な鼕の音が消えると後は、夜が訪れ、冬の足音が徐々に聞こえてくるような感じ。
そんな風情を少なからずも感じれるようになったのは、
徐々に松江人に近づきつつある現れであろうか...?

        









麒麟獅子。

2007年10月14日 22時14分28秒 | 出来事
既に、先週の話である。
週末、自転車のイベントに参加するため、
チビスケとカミサンを実家の鳥取に送り届けた。

そしたら、どこからか笛や太鼓の音が聞こえてきた。
鳥取市の伝統芸能「麒麟獅子舞」の音であった。
キリンビールでおなじみの「麒麟」の面を被った獅子舞は、
鳥取ではまさにおなじみのお祭りで、春や秋は、
各地区で麒麟が家を回り、その玄関先で舞っている。

そもそも何故に、獅子の頭が麒麟になったのか?
モノの本によれば、今からおよそ400年前、
鳥取藩主の池田光仲(姫路城主、池田輝政の孫で祖母は徳川家康の娘)は、
徳川家との血のつながりを内外に示そうと考えました。
麒麟は聖人の世に出るしるしとしてあらわれるとされた想像上の動物で
最傑出した人物のたとえにもなっていました。
「鳴かぬなら鳴くまで待って・・・」天下を手にいれた家康は、
自身が建てた日光東照宮の将軍控えの間に麒麟を描くなど、麒麟好きであったようである。
鳥取藩主光仲は、家康の遺徳と自らの権威を象徴せしむる上で、獅子を麒麟にかたどらせたそうな。(因幡の獅子舞研究:野津龍:第一法規出版)

麒麟獅子舞のルーツは、以上のようであるが、一般的には子どもの頭を噛んでもらうと
やれ「健康で過ごせる」だとか「頭が良くなる」だとかと、言われているようである。
そんな話を聞くと、せっかくなのでチビスケの頭に噛み付いてもらいたいのが親心。(笑)
玄関先で舞ってもらうには、3,000円~払う必要があるようだが、さも「たまたま出くわした」風情であれば、
金を要求されることはなかろう。

みみっちい考えの元「笛鳴る方へ...」

近所を歩き回ること15分。ようやく出くわした。
ある家の軒先で、長々と踊っていた獅子の一団であったが、途中でその家から一銭も貰っていないことに気付き、
恥ずかしそうに途中で舞を止めた...。
何ともイケテない獅子であったが、それでもチビスケに噛み付いてもらいたい!

そんでもって、一銭も払っていないのに、予想外にも獅子の方からチビスケに近寄り噛み付いてもらった。

んで、チビスケは...?

大方が期待する大泣きもなく、反応薄~。

次の家へとトボトボと向かう獅子の後姿が何とも寂しげでありました...。

ちなみに後日、カミサンは律儀にちゃんとお金を払って実家の玄関先で
獅子に舞ってもらったそうな。
その時もチビスケは泣かなかったそうだ...。
ひょっとして、鈍い...?

※ちなみに写真は、Rollei35S+TREBI100C











秋は夕暮れ

2007年10月13日 02時19分10秒 | 歳時記
かの清少納言は、よく言ったもんである。
「秋は夕暮れ。夕日のさして、山の端、いと近うなりたるに・・・」
激しく同意である...。
秋に入り幾分涼しくなった風がなんとも心地よい。

春、夏と違って澄んだ感じの空気感もいい。
何とも風情のある季節である。

こういう季節は家族でどこかへ行きたくなってしまう。

「山」というわけにはいかないが、小さいチビスケとカミサン連れて
①城崎温泉②宮島あたりにでも旅に出てみようか?

そんなことを突然思いつく秋の夕暮れ。

新たな趣味???

2007年10月09日 23時33分06秒 | 出来事
先日、巷で話題の「クローズド・ノート」の試写会に行ってきた。
映画自体は、初っ端からストーリーが読めてしまうと思いながらも
それはそれで何とも美しい脚本に結構見入ってしまいました。

一緒に試写会に行った人も、とりわけ女性は感動したようであります。
しかし、自分は映画の中、要所要所で出てくるある小道具に目を奪われた。

その小道具は、「万年筆」。

映画の中では、主人公の沢尻エリカがデルタ(イタリアの万年筆ブランド)の
万年筆を小粋に胸ポケットに刺している。
劇中で沢尻エリカが使用するシーンはほとんどなかったが、
鮮やかなオレンジ色の軸は、淡々としたストーリーの中、実に鮮やかに輝いていた。
この映画の中で、万年筆で絵を描くシーンがあった。
「えっ?!万年筆で絵?」
思いもかけない奇抜なシーンに、映画が終わっても脳裏に焼きついてしまった。

万年筆はかなり好きな文房具の一つで、モンブラン、ロットリング(いずれもドイツメーカー)を日常で使用し、
ついには水牛の角を軸にした万年筆をオーダーしてしまった万年筆バカとしては
何とも「万年筆で絵」という未知の行為を試みてみたくなった。

でっ、してみた...。

映画と同じボルドー色のインクではないが、実に平凡なブルーブラックで
東側からみた大山を書いてみた。
スケッチブックは定番のマルマン製。

味気ないので、家にあった色鉛筆で色を塗ってみた...。

出来栄えは抜きにして、久しぶりに絵を描いてみるというのは
結構楽しい作業であることを改めて実感♪

果たして、またまたつまみ食い程度の一過性趣味となるのか...(汗)

実家探索②

2007年10月08日 10時14分00秒 | 出来事
久しぶりに懐かしの逸品を見つけ、実家を後にしようとしたところ、
お袋が「これは持って帰らんでいいんか?」と声をかけてきた。

それがこの写真のブツである。
必死に記憶の糸を解きほぐし、ようやく思い出した。

あれは確か中学生の頃だった。
お袋が東南アジアの土産に自分のために買ってきたものだった。
ひょっとしたら、人が買ったものをそのまま横流ししたものかもしれないが...。
というのも、その頃オフクロは、東南アジア方面に好んで旅に出ていた。
崇高な旅の目的があったかもしれないが、そんなこと知る由もないので、
ただ単にパック料金が安いから東南アジアに行っていたというのが
子ども(2男1女)の大方の理解だ。
当然、自分が行って土産を買ってくれたと思っているのだが、
当時、お袋が本当に東南アジアに行っていたのか記憶にない...(笑)

何にしても、お袋の土産品だと思っているのだが、この女体のブツ。
どう見ても美形とはいえない女性で愛着がわかない。
実はこのブツ、孫の手である。



ちょうど、足の部分が掻くところになっている。
そして、必要以上に女体を強調する胸の部分が指の収まりがよく
実に良く背中が掻ける逸品である。
おそらく、現地で数百円で購入した息子への土産であろうが、
今までもらったしょうもない土産品の中で、ピカイチの使用率であった。

どうも、お袋は東南アジアの民芸品や木工芸品が好きなようで
家に帰るたびに意味不明なブツが増え、
築150年の典型的な古民家は多国籍な様相を醸しだしつつあります...。(笑)

実家探索①

2007年10月08日 10時05分29秒 | 出来事
先日、実家に帰った時、自分の部屋を漁ってみた。
年が変われば、いろいろと趣味が変わるもんである。
一時期、フライフィッシングにはまっていたときのリールや竿。

硬式テニスのラケット。切手の収集帳。カルビーのプロ野球選手カード。
プラモデルなどなど...。
我ながら、何ともいろんなものに興味を持ったもんである。

そんな中、本棚を漁って出てきたのが、写真の本である。
「日本の城原風景」新人物往来社刊 平成6年12月11日出版。
昭和初期に現存していた全国の名城の古写真を基に纏め上げられた
マニアな逸本である。

初版本だったので、大学受験の最中に買って読んでいたのであろう。
久しぶりに開いて見ると戦災前の名古屋城の木造天守など
実に興味深い写真の数々がふんだんに掲載されている。
受験勉強もおろそかに、この本にはまっていたとは、
何とも変わった高校生である。

大学に入学し、いつしか城への興味も幾分薄れていたが、
久しぶりに城散策をしたくなった今日この頃。

こんな調子で31年間。あるものに興味を持ち
あるものに興味が薄れ、といった感じでつまみ食いを繰り返す日々を顧みると
何とも情けない感じがするのであるが...。




ものすごく内輪ネタですが...。

2007年10月07日 22時55分14秒 | チャリ
三連休の中日に、大学のサークルイベントが...。
去年も参加したイベント「大山T.T.」である。

要は、大山の麓(岡成駐車場ってとこ:ちなみに大山が綺麗に撮れます)から
大山の登坂起点(博労座ってとこ)までひたすら登り10.8kmをチャリで走るヒルクライムレースです。

前夜、去年と同様にkumaさんと呑んだ後、翌日、出発点まで車。
去年よりは呑んでいなのは、何とも恵まれた状況でのスタートであったが...。

結果、56分14秒...。
去年のブログ見たら、去年は51分か52分で登っとったんか...。
まっ、何にしても遅いに変わりないが、それにしても...

登りの途中で、異様に背中が痛くなってきたのは、腹筋が弱くなったから?
確かに、昔と比べ、腹回りは、割れることなく、ビールの恩恵でメタボ寸前(いや!もうメタボ?)になりつつある。
トレーニングせねばと、毎度のことだが、痛感した秋の一時。
しかし、いっぱいいっぱいでペダルを踏むのは楽しいもんである♪

その後は、OB会であったが、自分は欠席。
気持ちだけ、後輩に差し入れし、先輩後輩と談笑し後にした。

一時期は、OBも大勢集まっていた記憶がある3年に一度のOB会だったけど、
今年は、何だか寂しい限り...。
全出席者数50~60人のところ30代以上は10人以下といった感じ。
以前は、初代(現在50歳ぐらいかな?)の人も訪れて先輩、後輩ともども親交を深めた記憶があったが、
今年はどうやったんやろう?

欠席した自分が物申す立場じゃないのは重々承知であるが、
せめてもっと多くのOBにお会いしたかったもんである。

あっそうそう、先輩の新車購入に驚き
メッチャ軽いです。