なぜか気になる。
気になりだすと異常に目につく。
そればかりが記憶にのこる。
なんの事かと言えば『文章の最後の形』
なんのこっちゃな話ですが、とりあえず例題を出してみよう。
間野は変態だった。
プロデューサーとしての権限を最大に悪用し、四条貴音に対して事あるごとにセクハラまがいの衣裳を着せていた。
「あ、あの……。プロデューサー。このように素肌の露出する衣装は……」
「なんだ? 貴音はオレのプロデュースプランに従えないのか?」
貴音はいま身に付けているほとんどの部分が紐状の水着に戸惑いを隠せない様子だった。
肌をさらすという恥辱で染まる頬と、どうにかしてその豊満な乳房と臀部を隠そうと身を捩る様は、間野のリビドーを刺激し加虐心を膨張させた。
はい、へたくそな文章で申し訳ない。
上記の作文は第三者視点で文末が『だった』か『た』で締める文章です。
どうも、私はこの形が苦手らしく、小説を読んでいても気になってしまい、最終的には文末の『た』ばかりが印象に残ってしまいます。
読了後の感想が『た ばっかりだったなぁ』と、非常に残念な結果になります。
第三者視点での地の文はとても処理しにくいと聞きます。
でも、どういうわけかこね『た』だけは気になってしまい、夜も眠れません。
当然、自分が第三者視点を書くときも極力『た』を文末に持ってこない様に心がけていますが、成功しているかは謎です。
主人公の一人称視点で書いても……。
オレは貴音に着せる衣装をクロークから取出し手渡した。
我ながら少しやりすぎた感じが否めないが、今度の衣装は紐ビキニだった。
彼女がそれを身にまとい、恥じらいで頬を染め、身を捩る姿を想像した。
恵まれた肢体は観せなければ意味が無い。その恥じらう姿も含めて計算され尽くした彼女の偶像としての価値を倍加させることができるとオレは思った。
「あ、あの……。プロデューサー。このように素肌の露出する衣装は……」
案の定、貴音はこの衣裳に抗議をしてきた。
しかし、オレは言った。
「なんだ? 貴音はオレのプロデュースプランに従えないのか?」
貴音は賢い娘だ。オレの指示に反すればどうなるか判っているはずだ。
貴音は過剰なまでに露出した肢体をよじり、自らの姿を恥じているようだった。
美しい……。オレは彼女の恥じらう様を含めて完璧な偶像だと思った。
はい、またまたへたくそな文章で申し訳ない。
こちらも無理やり文末を『た』にしてみました。
自分で書いていて背中がかゆくなりますが、やはり気になる……。
個人の好みかも知れませんが、皆さんは『た』が気になりませんか?