ヤスPの中の人はいないかもしれない…(´・ω|д゜)|・`)

ヤスP・間野康彦の生態を赤裸々に語るブログだったりします。

ヲタク昔話

2009年07月28日 | Weblog
ふっ… と若い頃の事を思い出しました。
若い頃といっても、中の人はそんなにオッサンというわけでも(ゴニョゴニョ…)

いやさ、まぁ本題は創作の原点ですね。

実は私、小中高校生時代は文字を書く、つまり作文や論文、感想文やレポートなど一切の文字を書くという行為が『大嫌い』な人でした。
当時はPCなんて一般家庭にもないし、一般家庭以下の我が家にそんなものがある訳もなく、さらに、自身が極度の悪筆だったため、文字を書くということにたいしてのコンプレックス全開だったと記憶しています。
まぁ… いまでも悪筆は健在ですが……

そんな私が二次創作を始めたのは会社員になってから。
たしか処女作は『ときメモ』の後日談だったとおもいます。
朝日奈夕子と早乙女良雄と主人公の三角関係だったか…
まぁ、そんな感じですw

文字を書くのが大嫌いな私でしたが、会社にはワープロがあったので、それの練習として50ページくらいの二次創作という名の作文をしたわけです。
まぁ、上司には『仕様書を作っている』と思わせながらですけどね…(新入社員でダメリーマン)

ファンフィクション、つまり二次創作は『一次作品が好きで好きでたまらないから、脳内妄想を形にしてみたい!』という欲求の産物だとおもいます。
当時のわたしは、そね欲求の高まりに『身近な場所にワープロがあった』という幸運が結びつき実現したわけです。
たぶん、ワープロが無かったら、二次創作なんてしてなかったとおもいます。

さて、当時は隠れギャルゲヲタクの私。
そんなギャルゲの二次創作を友人知人に見せることもできず、今みたいにネットも無い。
つまり、人様に見せることもできない作品がFDDに10枚分ほどたまったある日、ある欲求が頭をもたげます。

『この作品、誰かに見せてみたい!』

しかし、同人誌や同人活動のコミュニティを知らない私はその欲求を満たすことができない。
そんなある日、ゲーム雑誌のときメモ攻略コーナーの片隅に…

『ときメモショートストーリー募集!』の企画記事がありました。

その雑誌が主宰する『ときメモオンリー短編企画』の応募募集です。
たしか当時、電撃大賞とかが始まったばかりだったきもしますが、そんな本格的な物ではなく、雑誌の企画程度の物だったとおもいます。
まさに、欲求に対する渡りに船第二段です。

早速書きためた物から三作品を選び、レギュレーションに沿うように修正し、雑誌編集部に郵送。
採用されたいとか、掲載されたいという下心が無かったわけではないですが、今考えれば物凄い挑戦をしたものです。

でも、入選作品の発表を今か今かとドキドキしながら待った日々は生暖かい思い出です。

さて、その後どうなったのか。
簡単に言うと…

入選でも落選でもなかった。

って感じです。

理由は…
その雑誌編集部はコナミに企画の許可をとっておらず、おそらく『著作権関係で揉めた』事により企画自体が潰れたというトンデモナイ落ちがつきました。
謝罪広告が出たときは、『そんなバナナ!』って感じでしたねw

ちなみに、応募作品は返送すると書いてありましたが、今日現在まだ届いていませんw

その後、私のなかの創作熱は冷め、三浦あずさの事件簿をヤスPとして発表するまで、なりをひそめていました。
当時から考えれば、今は二次創作発表の場に困らず、同好の志を探すのも簡単になりました。
もし、あの頃… 今みたいに環境だったら…

どうなっていたでしょうね……