新谷研究室

新谷研究室の教育・研究・社会活動及びそれにかかわる新谷個人の問題を考える。

サマーセミナー1

2008年08月07日 22時52分26秒 | 教育・研究
近世地域教育史の研究
木村 政伸
思文閣出版

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8月5日、6日に立教大学で日本教育史研究会のサマーセミナーという催しがあった。誘われなければ行かぬ。行かぬと言うより、誘われたときにのみ行っているセミナーなのだが、そのように捻くれてみせる可愛さを僕は持っているようだ。今回はコメンテーターという役割を頂戴し、その役目故に多忙な中すべての用務をキャンセルして出席することにした。
しかし、テーマはなんと「日本教育史史料の現在~教育史史料論の試み」というわけのわからないものであった。標題の日本教育史というのはこの研究会の名称でもあるし、僕の専門分野でもあるからそれでいいのだが、続く「史料の現在」というのが怪しい。史料というのは過去に生まれたものでありながら、現在も残っているものを言い、その現在と言うのは如何なる意味かと問い返したくなる危うさを持ってい、そこで止まればいいものを副題までつけている。副題は「教育史史料論の試み」ときた。つまりは「史料の現在」と「史料論の試み」とは論理的な整合性のつかない組み合わせであって、主題と副題のつけ方に関して言えば、絶対にわが研究室の連中にはさせないつけ方である。
要するにこのセミナーの議論の論点がかみ合わないことはすでに予想されてい、コメンテーターとしてその統括を任された者としては何とか些末な議論に陥らないことにのみ神経を使わなければならないことを覚悟していた。
案の定3人の報告者の話は全く別の世界の話であった。
のみならず翌日の2人の報告も別々の世界であり、ならば各論はコメントするなということなのだろう。
Y田氏は『明治以降教育制度発達史』と『近代教育制度史料』との比較にならぬ比較を試みてい、なおかつ前者を松浦鎮次郎の史書として見るべきであり、史料論ではなく学説史で扱うべきだとの意見を述べた。然り。それは然り。
ならば、史料集として批判した『近代教育制度史料』の課題。それは『現代教育制度史料』の評価で答えが出るはずだが、そこへの言及はなかった。ここで言うのもなんだが、実は『現代教育制度史料』は僕が担当するはずだった。僕の名前で給与計算までできていたのだが、その後Q大の仕事が決まったので、K沢氏にしてもらうことになったといういきさつがある。だからこの評価については気になる。僕はK沢氏の仕事には至って敬意を表している。だからY田氏がどう評価するかが気になるところだった。また、『明治以降教育制度発達史』が松浦の史書だという結論ならばあらためてこの時代の史料集を作り直すべきではないだろうか。
D間氏の報告は江藤新平文書にかかわったD間氏から個人文書の話を引き出そうとした企てへの回答だろう。しかし、教育史史料としての個人文書について語ることは難しい課題だ。そうやすやすと語れるはずはない。まして、教育史上にその影の薄い江藤新平文書を根拠に、だ。D間氏はそのような無理難題に対して誠実な報告をしてくれた。ここで出てきた問題はまずは個人文書とは何か、ということだろう。個人文書と言うべきか私文書と言うべきか僕は迷っている。私文書ならば公文書ではないものというすっきりした位置づけになるが、個人文書となるとその個人その人と文書との関係性を言わなければ文書としての位置づけがなされない。つまりはその文書の全体像が明らかにならないと個人文書とは言えないだろう。
僕自身は人物研究をする予定はないから個人文書を個人文書として扱うことはあまりないだろうが、時にはその視点に立った史料の扱い方も必要となるだろう。