新谷研究室

新谷研究室の教育・研究・社会活動及びそれにかかわる新谷個人の問題を考える。

査読

2005年03月12日 12時04分51秒 | 教育・研究
 Q教育学会の紀要にレフェリーシステムを取り入れたのは画期的なことです。今回は36本の投稿がありました。ということは、査読は会員の責務の一つになるだろうということです。学会誌の査読、レフェリーというのは教師が学生を教える、というのとはちがいます。学会に入っていれば会員は会員、身分が学生であろうと教員であろうと研究者としては同等です。査読というのはお互いの共有する機関誌に載せる論文を相互点検するという意味なのです。ですから今日の査読者は明日の被査読者になるわけです。投稿する方もそういう意識で投稿するべきなのです。院生だからこの程度でいいかな見たいな論文の書き方、とりあえず卒論をまとめて一本出しておけば業績一丁!みたいな安直な論文作成は厳に慎むべきです。学会は常に先端の研究をしている、そう考えて研究発表も論文投稿も考えてください。何のために研究するのか。研究に意味があるからです。本数を稼ぐことに意味があるのではなく、意味のあるものを作ったかどうかが大切なのです。業績が多いというのは意味のある論文が多い、ということなのです。意味のないものがたくさんあるのはゴミ箱と同じです。自分の業績表がゴミ箱のゴミ一覧でないようにがんばりましょう。
 もっとも、その意味も「自分にとっての意味」なんて言わないように。確かに研究は自分自身の問題意識に基づいて始められます。それがなければ研究としては問題があります(後述)。しかし、自分自身の問題意識と言っても勘違いしないでください。自分だけの独りよがりの問題意識でしかありません。社会の中の自分の問題意識なのであって、だからそれは人間全体の問題になるわけです。独りよがりにならないこと、です。
 一方、自分自身にかかわらない問題意識はそれだけで社会性がありません。そういうものは自分と社会を切り離して考えますから、ややもすると多くの人間に対して毒を流すこともあります。没価値的な研究は実はもっとも体制準拠的な価値的研究だと僕は言いたいですね。
 このところ軽薄な「書きゃあいいだろう」みたいな作文をよく見るので、苦言です。新谷研究室からはそういうゴミ研究は出さないように。もっともゴミの再生は引き受けますよ。