密である。
豆が密である。
一体どうしてこんなに密植するのか。豆を蒔くなら2、3粒を一緒に。それを30㎝ぐらい離して。それが日本人の常識。だと思う。
しかし、所はラオスである。ラオス人は種がもったいないとか、種代がかさむとか考えないらしい。経済感覚がないのだろうか? そもそもこんなに芽が出てきたら、間引きするのも大変だ。いや、しかし、もしかして間引き菜的に食べるためにこんなに蒔いているのだろうか。この豆の葉自体が野菜なんだろうか。
で気がついた。豆苗だよこれは。日本で数年前からスーパーに並んでいるパック入りの豆苗。そのメーカーはもやしのトップシェアを誇る我が町のサラダコスモだ。もやしの発想からその会社が豆苗を考えたのかと思っていたけど、豆苗の発祥の地はラオスだったのか。
スーパーで売っているパックの豆苗は、根をとっておいて水をやるとまた芽が出てきて食べられる。我が家でもそうして育てて一昨日切って食べたのだけど、この時点で収穫すると、買ってきたものより軟らかくておいしい。
どうやらラオスの人たちは、豆を豆としてではなく、その葉を野菜として普通に食べているらしいのだった。
ラオスでは種が安いのかと思ったら、市場で見ると結構高い。さすがに1袋に50㏄ぐらい(多分300~400個)入っているけど、高いには高い。それでも種をたくさん蒔いて芽を食べたいようだ。
空心菜も同じである(上の写真)。1か所に3粒ぐらいまとめて、こんなにたくさん蒔いている。ざっと見て150個ぐらいは蒔いただろう。空心菜はつるがとてもよく伸びて大きな株になり、困るほど四方八方に伸びるつる(茎)の先をいくらでも収穫できる。この面積なら2本あれば充分だ。なのにこんなに蒔くのである。これも間引きして食べるのだろう。繰り返すが、種代がかかりすぎる。大きくなるまで待てないのだろうか。
ラオスの東隣にはベトナムがある。うちの前の市民農園を借りているベトナム人一家があるのだけど、やはりこんなふうに空心菜を蒔いていた。今度、なんで芽が食べたいのか聞いてみようと思う。多分、彼らにとっては当たり前すぎて、うまく答えられないんだろう。
*写真/ラオス北部・ポンサーリー県の市民農園(2018年)