劇団夢桟敷「週刊月曜日」
〈第45号 2023.6.18発行〉
https://yumesajiki.jimdofree.com/
日本人のブラジル移民の歴史は1908年4月28日、移民船笠戸丸で神戸港から海を渡った781人が始まりです。6月18日はブラジルサントス港に到着した記念の日。
ブラジル移民の歴史はあれから115年になります。
乾杯!saúde!
6月18日は日本人のブラジル移民の歴史が始まりを記念する日。
1908年当時、イタリアからの移民が終わり、同時にアメリカでは黒人奴隷解放の時期が重なりその波がブラジルにも押し寄せていた時代です。ブラジルではコーヒー栽培の労働力不足と日本での経済不況の関係で国策としての移民政策が行われていました。
コーヒーという「カネのなる木」を求めて夢と希望に溢れて乗り込んで行きました。ところが…!
ブラジルに到着した人々の苦難はコーヒー栽培の天候不順や移民先での契約手続き不十分で奴隷扱いされる不幸にも見舞われました。日本からの支援不足にも苦しんだ人々は見果てぬ夢を残して亡くなられた方々も多くいます。
尚、苦難の時代に「ブラジル移民の父」と称される人は以下3名の方がおられます。
・上塚周平氏(移民船笠戸丸の責任者だった 1876-1935没)は熊本市南区城南町出身。
劇団夢桟敷の演劇では上塚氏を軸に構成されています。
・水野龍氏、上塚氏の上司(皇國植民会社、海外興業株式会社を創立した人)
・平野運平氏。上塚氏と共に第一回ブラジル移民船笠戸丸に乗船した通訳5人衆の一人。
人種のルツボと言われる広大なブラジルの地で歯を食いしばり生き延びてきた日系コミュニティーの方々は第一回の移民781人から今では200万人とも言われています。
115年経ち、日系3世〜5世(6世も誕生)の時代に入りました。
代々、ブラジル移民の歴史と日本-ブラジル交流、異文化多文化、ナショナリズム、貧困と豊かさ、多くの課題があります。ブラジルから学ぶことも多々あります。
【ブラジル演劇公演キッカケ】
劇団夢桟敷は今は亡き榊定信先生(高校生のための国際ボランティア交流活動や熊本ユネスコで活動されていた高校教師)より「2008年はブラジル移民が始まって百年になる。劇団でそれをテーマの演劇をしてみないか?」と誘われた。当時は移民について無知に等しくその誘いから逃げ惑っていたのですが…。
先生何亡くなられて、先生との関わりのあった田中瞳さん(「ボクノフルサト。」(脚本、劇団きらら所属/当時)やその仲間たちと榊先生追悼公演のつもりでブラジル移民劇に取り掛かりました。
2018年「万華鏡-百年物語」は夢現(坂本真里)脚本。
フェアトレードの清田さんの後押しあり、日伯協会、城南町(上塚周平顕彰会)、熊本ファンド、熊本県、個人寄付などの支援があって実現したものです。
制作しながらブラジル移民への認識は深まり、これは個人的な活動ではないと気づきはじめ、実際にブラジルでお世話になったニッケイ新聞、上塚周平氏の墓守をされている大家族(日系コミュニティー)であるプロミッソン市のヤスナガファミリーさんたちとの交流が深まり、アングラ劇団はタイムトラベルとしての歴史劇として取り掛かることにもなりました。
大切なことは顔が見える学び。ブラジル現地の人々から逆に日本の文化などを学ぶこともあったと不思議な感覚が生まれました。
未来に於いても移民の問題や人種の混合、世界は一つの価値観ではおさまらない複雑化していく可能性は広がるでしょう。
尚、ブラジル移民劇公演2008年〜の報告書(一見小説風ドキュメント)は「南米(ブラジル)道中膝栗毛」として劇団夢桟敷は手作り出版しましたが今は絶版。近いうちに復刻版として発行を予定しています。その時が来ましたらお知らせいたします。ドラマ・物語としても読めると思います。乞うご期待!
※
以下、文章が重なっていますが、
座長夢現(坂本真里)よりメッセージです。
「1908(明治41)年4月、781名の日本人ブラジル移民を乗せて神戸港を出港した笠戸丸は、長い航海を経て、同年6月18日にブラジルサントス港に到着する。その日から115年という長い歳月が過ぎ、そして今日を迎えている。
劇団夢桟敷が「移民の父」と称される上塚周平翁(熊本県城南町出身)の半生を移民劇として舞台化し、ブラジルの地で公演を果たしたのが100周年・110周年記念の年であった。
日本人移民の2世,3世,4世・・・と言われる人々との出会いは特に忘れがたい。時間(歴史)の重さを肌身で感じたように思う。
年表風に言えば、1908年6月18日は歴史上の単なる一点ではなく、2023年の今日を超え未来永劫延々と引かれ続ける太い線であり、その線上に人々は生を享けて行く。今も交流が続く移民の子孫の人々の中には、連綿と続くその歴史のダイナミズムを纏っている方も多く、感動すら覚えるのはどういう訳だろう。
また会いに行きます。」
〈第45号 2023.6.18発行〉
https://yumesajiki.jimdofree.com/
日本人のブラジル移民の歴史は1908年4月28日、移民船笠戸丸で神戸港から海を渡った781人が始まりです。6月18日はブラジルサントス港に到着した記念の日。
ブラジル移民の歴史はあれから115年になります。
乾杯!saúde!
6月18日は日本人のブラジル移民の歴史が始まりを記念する日。
1908年当時、イタリアからの移民が終わり、同時にアメリカでは黒人奴隷解放の時期が重なりその波がブラジルにも押し寄せていた時代です。ブラジルではコーヒー栽培の労働力不足と日本での経済不況の関係で国策としての移民政策が行われていました。
コーヒーという「カネのなる木」を求めて夢と希望に溢れて乗り込んで行きました。ところが…!
ブラジルに到着した人々の苦難はコーヒー栽培の天候不順や移民先での契約手続き不十分で奴隷扱いされる不幸にも見舞われました。日本からの支援不足にも苦しんだ人々は見果てぬ夢を残して亡くなられた方々も多くいます。
尚、苦難の時代に「ブラジル移民の父」と称される人は以下3名の方がおられます。
・上塚周平氏(移民船笠戸丸の責任者だった 1876-1935没)は熊本市南区城南町出身。
劇団夢桟敷の演劇では上塚氏を軸に構成されています。
・水野龍氏、上塚氏の上司(皇國植民会社、海外興業株式会社を創立した人)
・平野運平氏。上塚氏と共に第一回ブラジル移民船笠戸丸に乗船した通訳5人衆の一人。
人種のルツボと言われる広大なブラジルの地で歯を食いしばり生き延びてきた日系コミュニティーの方々は第一回の移民781人から今では200万人とも言われています。
115年経ち、日系3世〜5世(6世も誕生)の時代に入りました。
代々、ブラジル移民の歴史と日本-ブラジル交流、異文化多文化、ナショナリズム、貧困と豊かさ、多くの課題があります。ブラジルから学ぶことも多々あります。
【ブラジル演劇公演キッカケ】
劇団夢桟敷は今は亡き榊定信先生(高校生のための国際ボランティア交流活動や熊本ユネスコで活動されていた高校教師)より「2008年はブラジル移民が始まって百年になる。劇団でそれをテーマの演劇をしてみないか?」と誘われた。当時は移民について無知に等しくその誘いから逃げ惑っていたのですが…。
先生何亡くなられて、先生との関わりのあった田中瞳さん(「ボクノフルサト。」(脚本、劇団きらら所属/当時)やその仲間たちと榊先生追悼公演のつもりでブラジル移民劇に取り掛かりました。
2018年「万華鏡-百年物語」は夢現(坂本真里)脚本。
フェアトレードの清田さんの後押しあり、日伯協会、城南町(上塚周平顕彰会)、熊本ファンド、熊本県、個人寄付などの支援があって実現したものです。
制作しながらブラジル移民への認識は深まり、これは個人的な活動ではないと気づきはじめ、実際にブラジルでお世話になったニッケイ新聞、上塚周平氏の墓守をされている大家族(日系コミュニティー)であるプロミッソン市のヤスナガファミリーさんたちとの交流が深まり、アングラ劇団はタイムトラベルとしての歴史劇として取り掛かることにもなりました。
大切なことは顔が見える学び。ブラジル現地の人々から逆に日本の文化などを学ぶこともあったと不思議な感覚が生まれました。
未来に於いても移民の問題や人種の混合、世界は一つの価値観ではおさまらない複雑化していく可能性は広がるでしょう。
尚、ブラジル移民劇公演2008年〜の報告書(一見小説風ドキュメント)は「南米(ブラジル)道中膝栗毛」として劇団夢桟敷は手作り出版しましたが今は絶版。近いうちに復刻版として発行を予定しています。その時が来ましたらお知らせいたします。ドラマ・物語としても読めると思います。乞うご期待!
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以下、文章が重なっていますが、
座長夢現(坂本真里)よりメッセージです。
「1908(明治41)年4月、781名の日本人ブラジル移民を乗せて神戸港を出港した笠戸丸は、長い航海を経て、同年6月18日にブラジルサントス港に到着する。その日から115年という長い歳月が過ぎ、そして今日を迎えている。
劇団夢桟敷が「移民の父」と称される上塚周平翁(熊本県城南町出身)の半生を移民劇として舞台化し、ブラジルの地で公演を果たしたのが100周年・110周年記念の年であった。
日本人移民の2世,3世,4世・・・と言われる人々との出会いは特に忘れがたい。時間(歴史)の重さを肌身で感じたように思う。
年表風に言えば、1908年6月18日は歴史上の単なる一点ではなく、2023年の今日を超え未来永劫延々と引かれ続ける太い線であり、その線上に人々は生を享けて行く。今も交流が続く移民の子孫の人々の中には、連綿と続くその歴史のダイナミズムを纏っている方も多く、感動すら覚えるのはどういう訳だろう。
また会いに行きます。」
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