劇団夢桟敷「週刊月曜日」
〈第40号 2023.4.21発行〉
https://yumesajiki.jimdofree.com/
夢現
知る人ぞ知る!と言っても過言ではない。知らない人は知らない。
女優歴(2023年ー1979年=44年)、つまり劇団夢桟敷の歴史そのもの!と言っても言い足りない。
言い過ぎて、今回より女優「夢現」を通して「小劇史」の私論を追う。
舌足らずは覚悟の上。語り切れないので「週刊月曜日」では不連続的に続く。最終的に一本の役者論になれば良しとする自己満足を笑え。
⭐︎
プロローグ(序)
役者名=夢現(ゆめうつつ)
注・「ムゲン」と呼ばれることがある。この場合、「無限」の語感が広がる。
生活者としては「さかもとまり」。アングラ劇団の座長女優を思わせないフツーの人に見えるから不思議。
日本の演劇界の七不思議と言われる予感がある。否、役者ってフツーの人だよ!
「うつつと夢(日常と非日常)の曖昧な境を往き来する役者でありたい。」が名前の由来。
曖昧な境が現代ではないかと思うことがある。政治や犯罪事件の混沌を見れば「日常と非日常」の境は曖昧さが濃くなってきた。
芸名は先見の明か。否、過去もそうであったか。
舞台の名前が演劇の個性やテーマに影響することが多い。芸名を命名した結果として役者の人格を連想させることもあり、舞台に立つと良い意味で「自分を失う」こともある。
良い意味でとは自分は何者でもない「役」としての何者かになることができる。
役者を三日やったらやめられない!とは良い意味で「自分を失う」麻薬のことか?良い麻薬があるか?…私的演劇論は演劇は魔の麻薬。「ま」こそ良薬である。
役者と河原乞食を連想させるものは現実と非現実を行ったり来たりする特殊な力を持った者か?
この場合、河原に人が集まり乞食はこの世から離れた者となって見る側を魅了させることがある。敬われたり、怖がられたりされる。
神であろうがバケモノであろうが、見世物としての存在が役者と呼ばれよう。
食い詰め者、あるいは社会からの落伍者であろうが「うつつと夢」の通路が河原=劇場へ向かう特殊世界だと。
1979年6月15日 劇団ブラックホール(劇団夢桟敷の前身)結成メンバー。
今では夢現と山南が生き残り、あと6年で半世紀を迎える。
時間が長ければ良いという問題ではないだろうが、もう辞めたい!と思っていても、ヤクザ風に言えば足を洗えなかったに過ぎない!夢現は無臭である。隠れて足を洗っているからだろう。責任をとるために、足を洗うためにドスで小指を切るのは血を見るから現実にはできない、と軽口を吐いて笑おう。
舞台上で飛び散る血は架空が前提。あたかも本物の血であるかのような約束事よ。しかし、その安心を忘れさせることができる。…役者の力。
夢現は軽口を叩くような役者ではない。思ったことは一度溜めて喋る性格だから一言が重い。セリフでも通じるリズム感がある。溜めて待つ〈間〉、喋らない〈間〉は多弁だ。〈魔〉か。
1979年、東京でのハジマリは…。
彼女のアパート=東京都新宿区早稲田鶴巻ハウス六畳一間が住居兼事務所としてスタートした。山南は同居人、居候だった。
夢現こと坂本真里が早稲田大学文学部3年に編入学した時だった。
東京では熊本から一緒に流れて来た者、バイト先で知り合った者、大学、情報誌「ぴあ」などで集まった者たち10名程度が六畳一間に集まることもあって酸欠状態になることもあった。否、酒の飲み過ぎで倒れた者もいた。…誰あろう?山南か!酒が弱く胃弱のくせに酒好きな者がいた。
夢現は呑んでも酔わない狂わない!体育界系一気飲みはしない。本当に美味しそうにマイペースで呑める。肝臓が強いのか?酒豪の遺伝か?いぶし銀か!火の国の女、秘めた猛女か。怒らなくてもひれ伏せる超能力がある。
しかし演劇経験なし。ひたすら演劇を見ることによって学習する。
(何故、演劇の道に入ったのか?は後日に続く。過去のことを確認しなければならない。)
演劇団(現 流山児★事務所)、天井桟敷、状況劇場、黒テント、転位21、早稲田の学生演劇など、喫茶店に置いてある演劇チラシやポスター、情報誌ぴあ、シティーロードからアングラ系、小劇場系などを選んで「見ることから学ぶ」ことが演劇の入門となった。
(何故、アングラ系、小劇場か?も過去のことを確認しなければならない。)
実は劇団の公演チラシを配布して、そのまま演劇鑑賞となった。公演終了後に劇場やテントでそのまま酒飲み交流会となり、調子に乗って飲み方に参加する。他劇団の主宰者や役者さんとのお喋りが、自分の劇団に持ち帰った時の教科書にもなった。
旗揚げから44年。時系列を追って夢現を追うには膨大過ぎる。
これまでに200本以上の演劇公演をやってきたが、その内の代表的な夢現の書いた脚本に時間が経った今だから突撃する意味があるだろう。
とりあえずタイトルだけ並べてみる。イメージの自由化のために。
今回はタイトルの説明を省く。できれば脚本を公開することもあるだろうから。
一番良いのは公演に足を運んでいただくこと。
○夢現の脚本
「眠れぬ街」
「炎の回廊I」
「炎の回廊II〜不眠症パラダイス〜」
「KAGUYA」
「声優A子の犯罪」
「万華鏡〜百年物語〜」
週刊月曜日、プロローグ(序)以降、タイミングを図って「夢現シリーズ」を続けよう。不連続が前提。
尚、現在取り組んでいる夢桟敷の「水俣プロジェクト」活動との関係で夢桟敷固有の表現を模索中。
これは水俣病をテーマに作品ドラマとしての発表だとは考え難い。
水俣病の視点が強くアピールできるであろう夢現の「ひとり芝居」を目論む。
怨、ルサンチマン!
明るく楽しくハッピーエンドだけではない底知れない演劇の力を!
夢現を追うことは現在の夢桟敷を見せることにもなるだろう。
夢現本人からの今号についてクレームや批判があった場合は今後に表します。
いずれ夢現シリーズは未完の完として1冊に綴るかも?です。
〈第40号 2023.4.21発行〉
https://yumesajiki.jimdofree.com/
夢現
知る人ぞ知る!と言っても過言ではない。知らない人は知らない。
女優歴(2023年ー1979年=44年)、つまり劇団夢桟敷の歴史そのもの!と言っても言い足りない。
言い過ぎて、今回より女優「夢現」を通して「小劇史」の私論を追う。
舌足らずは覚悟の上。語り切れないので「週刊月曜日」では不連続的に続く。最終的に一本の役者論になれば良しとする自己満足を笑え。
⭐︎
プロローグ(序)
役者名=夢現(ゆめうつつ)
注・「ムゲン」と呼ばれることがある。この場合、「無限」の語感が広がる。
生活者としては「さかもとまり」。アングラ劇団の座長女優を思わせないフツーの人に見えるから不思議。
日本の演劇界の七不思議と言われる予感がある。否、役者ってフツーの人だよ!
「うつつと夢(日常と非日常)の曖昧な境を往き来する役者でありたい。」が名前の由来。
曖昧な境が現代ではないかと思うことがある。政治や犯罪事件の混沌を見れば「日常と非日常」の境は曖昧さが濃くなってきた。
芸名は先見の明か。否、過去もそうであったか。
舞台の名前が演劇の個性やテーマに影響することが多い。芸名を命名した結果として役者の人格を連想させることもあり、舞台に立つと良い意味で「自分を失う」こともある。
良い意味でとは自分は何者でもない「役」としての何者かになることができる。
役者を三日やったらやめられない!とは良い意味で「自分を失う」麻薬のことか?良い麻薬があるか?…私的演劇論は演劇は魔の麻薬。「ま」こそ良薬である。
役者と河原乞食を連想させるものは現実と非現実を行ったり来たりする特殊な力を持った者か?
この場合、河原に人が集まり乞食はこの世から離れた者となって見る側を魅了させることがある。敬われたり、怖がられたりされる。
神であろうがバケモノであろうが、見世物としての存在が役者と呼ばれよう。
食い詰め者、あるいは社会からの落伍者であろうが「うつつと夢」の通路が河原=劇場へ向かう特殊世界だと。
1979年6月15日 劇団ブラックホール(劇団夢桟敷の前身)結成メンバー。
今では夢現と山南が生き残り、あと6年で半世紀を迎える。
時間が長ければ良いという問題ではないだろうが、もう辞めたい!と思っていても、ヤクザ風に言えば足を洗えなかったに過ぎない!夢現は無臭である。隠れて足を洗っているからだろう。責任をとるために、足を洗うためにドスで小指を切るのは血を見るから現実にはできない、と軽口を吐いて笑おう。
舞台上で飛び散る血は架空が前提。あたかも本物の血であるかのような約束事よ。しかし、その安心を忘れさせることができる。…役者の力。
夢現は軽口を叩くような役者ではない。思ったことは一度溜めて喋る性格だから一言が重い。セリフでも通じるリズム感がある。溜めて待つ〈間〉、喋らない〈間〉は多弁だ。〈魔〉か。
1979年、東京でのハジマリは…。
彼女のアパート=東京都新宿区早稲田鶴巻ハウス六畳一間が住居兼事務所としてスタートした。山南は同居人、居候だった。
夢現こと坂本真里が早稲田大学文学部3年に編入学した時だった。
東京では熊本から一緒に流れて来た者、バイト先で知り合った者、大学、情報誌「ぴあ」などで集まった者たち10名程度が六畳一間に集まることもあって酸欠状態になることもあった。否、酒の飲み過ぎで倒れた者もいた。…誰あろう?山南か!酒が弱く胃弱のくせに酒好きな者がいた。
夢現は呑んでも酔わない狂わない!体育界系一気飲みはしない。本当に美味しそうにマイペースで呑める。肝臓が強いのか?酒豪の遺伝か?いぶし銀か!火の国の女、秘めた猛女か。怒らなくてもひれ伏せる超能力がある。
しかし演劇経験なし。ひたすら演劇を見ることによって学習する。
(何故、演劇の道に入ったのか?は後日に続く。過去のことを確認しなければならない。)
演劇団(現 流山児★事務所)、天井桟敷、状況劇場、黒テント、転位21、早稲田の学生演劇など、喫茶店に置いてある演劇チラシやポスター、情報誌ぴあ、シティーロードからアングラ系、小劇場系などを選んで「見ることから学ぶ」ことが演劇の入門となった。
(何故、アングラ系、小劇場か?も過去のことを確認しなければならない。)
実は劇団の公演チラシを配布して、そのまま演劇鑑賞となった。公演終了後に劇場やテントでそのまま酒飲み交流会となり、調子に乗って飲み方に参加する。他劇団の主宰者や役者さんとのお喋りが、自分の劇団に持ち帰った時の教科書にもなった。
旗揚げから44年。時系列を追って夢現を追うには膨大過ぎる。
これまでに200本以上の演劇公演をやってきたが、その内の代表的な夢現の書いた脚本に時間が経った今だから突撃する意味があるだろう。
とりあえずタイトルだけ並べてみる。イメージの自由化のために。
今回はタイトルの説明を省く。できれば脚本を公開することもあるだろうから。
一番良いのは公演に足を運んでいただくこと。
○夢現の脚本
「眠れぬ街」
「炎の回廊I」
「炎の回廊II〜不眠症パラダイス〜」
「KAGUYA」
「声優A子の犯罪」
「万華鏡〜百年物語〜」
週刊月曜日、プロローグ(序)以降、タイミングを図って「夢現シリーズ」を続けよう。不連続が前提。
尚、現在取り組んでいる夢桟敷の「水俣プロジェクト」活動との関係で夢桟敷固有の表現を模索中。
これは水俣病をテーマに作品ドラマとしての発表だとは考え難い。
水俣病の視点が強くアピールできるであろう夢現の「ひとり芝居」を目論む。
怨、ルサンチマン!
明るく楽しくハッピーエンドだけではない底知れない演劇の力を!
夢現を追うことは現在の夢桟敷を見せることにもなるだろう。
夢現本人からの今号についてクレームや批判があった場合は今後に表します。
いずれ夢現シリーズは未完の完として1冊に綴るかも?です。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます