「昭和3年、松竹楽劇部の公演に外国人の振付師が参加しているのね」 90へえ!
「朝日新聞縮刷版 昭和3年8月」より
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昭和3年8月31日です。
デカデカと出ている広告なんですよ。
浅草松竹座 開場記念特別大興行 虹のおどり
大東京下のムーランルージュ!
詩と美と夢とまぼろしの大建築的表現!
松竹ガクゲキ部女生■女総出演※すいませーん!漢字よめませんー!
長唄 囃子連中
洋楽及支那伴奏
ムーランルージュと云ふこと勿れ!
フォリーベルジェールと云ふこと勿れ!
我に虹のおどりありて浅草に殷暁なる繁華を呼ぶ!
見給へ!極彩色の歌舞曼荼羅を!
松竹ガクゲキ部、女生、ともに原文表記のママです。「ガクゲキ」が片仮名表記だね、昭和3年の広告は全部。
これ、なんかスゴそうだよね。
大建築的表現・・・とは、スペクタクルとでもいいたかったんでしょーか。
注目すべきは、「フォリーベルジェール」。これぁ、いうまでもなく「フォーリー・ベルジェール」のことでしょ。フランスの。
てことはコレは、剣戟レビュウや花街のおどりみたいな、ニッポンニッポンな踊り舞台じゃなくって、「西洋レビューを志向してます!」ってことだよね。それを知らせるために、フォーリー・ベルジェールを引き合いに出してるのよね。
さらにスゴいのは、これ、振付に外国人が参加してるんですね。「ヤンドモラツキー」って名前が振付のところにありました。
昭和3年に外国人の振付・・・。かなりハイカラなレビューだったと思うなぁー。
昭和3年6月6日に、大阪松竹座で来日公演した「ハノーヴァ嬢一行」(ロシア舞踊界唯一の美人で、興行二週目に入る広告でした。このころは松竹座は一広告枠で、複数の松竹座の上演予告を一行ずつ書くスタイルだから、そのひとつです。ロシアのバレエダンサーですかね?)の公演に、松竹ガクゲキ部の女生が出演したそうだから、その縁かもしれませんね。(推測)
それにしても、バレエの舞台に出してたなんて、さすが「ダンスのOSK」の祖先だよね。
この「虹のおどり」は好評で、三週ぐらい上演したらしい。
「絶賛また絶賛 日延べして第二週に」(9月7日)って広告があります。9月14日には3週目に入る予告。
「夢のレビュー史」の本をあらためて見てみると、昭和2年に東京浅草開場記念のために「虹のおどり・春のおどりバリエーション」上演で東京地区で成功をおさめた、って書いてあるんだよ。昭和2年・・・。わたしが見た新聞は昭和3年だし、「春のおどりバリエーション」の記述はどこにもなかったから、タイトル似ているけどべつの舞台ですね。昭和2年が好評で、翌年も「開場一周年記念」か何かで上京したってことかな。
おなじく「夢のレビュー史」昭和3年の項には、「このころフランスのレビュー映画が紹介されて群舞が評判になった」「洋舞が大きく採用され」「テンポが速い特徴」って書いてある!やっぱり相当「ハイカラ」そうだね、この「虹のおどり」。
・・・話はすこしそれますが、昭和3年6月28日に広告出てる、大阪松竹座の「オ・マイ・ニュウヨオク」(Oh, My New Yorkって意味よね。松竹ガクゲキ部と武田正憲、若宮美子出演)って、もしかして「モン・パリ(わがパリよ)」を意識したタイトル?
当時は大阪にしか楽劇部がなく、この「虹のおどり」は総勢110名の生徒が上京し、大好評をおさめたので、公演中に東京楽劇部の募集を決めて、広告を打ったとOSK史に書かれています。
その広告を見て、ターキーさんが(お姉さんが応募して)入団したんです。
9/9、9/16、9/23、9/27と、毎週のように大募集してました。「東京支部の」ってハッキリ書いてたかどうかは記憶がないんですが・・・。(いいかげんなmyメモには、日にちと「生徒募集あり」としか・・・)たしか十月上旬が締め切りだったような。
ターキー様が世に出たのは、「虹のおどり」の成功があったおかげなんですね!