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富士山展望の一等地、百蔵山へ(1995年12月23日)

2024-05-03 14:06:02 | 山日記

前回投稿した秋の大菩薩と同じ年の年末に同じメンバーで猿橋駅の北にある百蔵山にでかけた。

この時の記録をもとに書いてみる。

 

百蔵山には、私は前に一度登っている。その時は猿橋から登って扇山へと歩き四方津駅へとくだった。

そのとき、百蔵山からの富士山の眺めが素晴らしかったことや山頂に桜が植えてあったことを思い出した。

 

埼玉から武蔵野線経由で高尾発8時24分の電車に乗った。

12月なので山歩きの以外の行楽客の姿はほとんどない。相模湖駅でかなり大勢が降り、その後も藤野、上野原や四方津でぱらぱらと降りていく。

猿橋では十数人が降りた。その大部分が百蔵山に登るのだろう。

風もなくおだやかに晴れ上がった青空にこれから登る百蔵山がすっきりと仰ぎ見られる。

途中の日当たりのいい石段で小休止し、おにぎりを食べて腹ごしらえ。

そこから山に近づくと新しい住宅が増えて、以前来た時とはずいぶん様子が違う。

市営グラウンドの上は畑しかなかったと思うが、今はたくさんの住宅が建っていて、工事中の家もいくつかあった。

分譲中の看板を見るとほとんどが3千万円以上なので「高いね」「これで売れるのかね」などと言い合った。

 

山道にかかってジグザグのかなりきつい登りになった。

若い男性が勢いよく追い越していき、その後野球少年のグループといっしょになった。

小学2・3年生くらいだ。中の数人が疲れたらしく遅れがちだったが、それでも先になって見えなくなっていった。

 

谷を詰め終わり、左手の尾根にまわりこむと展望が開けて富士山が雄大な姿を見せた。

すぐ右には三つ峠山、そして左には御正体山ものぞめた。

風が南から吹いてきてあたたかい。日当たりが良くなったので一枚脱いだのに汗が噴き出てきた。

さらにひと登りすると頂上に続く尾根に出た。そこから急な登りもなく11時30分山頂に到着した。

 

頂上はかなり広く、南側が開けていて富士山や道志の山々がみわたせる。

かなりの人数が思い思いに陣取って食事をしていた。先ほどの野球少年のグループもいた。

私たちは富士の展望のよい一角に陣取った。南風が気持ちよくて少しも寒くない。

 

今回もそれぞれが持ち寄ったサンドイッチや菓子パン、おにぎりなどを食べ、白ワインを1本あけた。

最後はカップラーメンまで出ておなかがいっぱいになった。

食事中も新しいグループが次々にあがってきた。

 

百蔵山は富士山の展望台としては一等地だ。

ちょうど開けた桂川の谷の奥に見えるといういいロケーションだからだ。

 

一時間あまりゆっくりした後、今度は違うルートで下山した。

扇山寄りに少し歩いたところから林業センターのキャンプ場へとくだる道だ。

 

地図で見た時に最初の部分がずいぶん急みたいだと思っていたが、予想通り木につかまりながらでないと下れないようなところだった。

 

かなり長い間雨が降っていないので、足元は乾ききって枯れ葉とともに土埃がまいあがった。

 

ときどき足を滑らせながらも一気に下って次第にゆるやかな山道になった。

そこからは、のんびり松ぼっくりやドライフラワーなどを集めながらくだった。

 

林業センターのキャンプ場で最後の休憩。それにしても暖かい日だった。

 

 

登った百蔵山をバックに記念撮影。

ここから名勝猿橋を見に少し遠回りしたが、住宅が増えて道がわからなくなり、途中でなんどか道を聞いてようやくたどり着いた。

 

前回百蔵山から扇山へと歩いた時もここに寄ったのだが、その時は改修工事で足場におおわれていた。

今回は無事全容を見ることができた。

年末山行を無事に終え、帰ってからはみんなで忘年会だった。

 


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