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ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き、琉球諸島を巡る基地・戦争への道を問いかけ、自然を語る。●無断転載、お断り。
 

あなたは誰とつながるの?(191022)

2019年10月22日 | その日暮らし
 2019年10月22日 私は台風休暇から定休日へ。先日の宮古島の報告を書いている。今日の都心はとんでもないことになっているのだろう。天皇の「即位」戒厳令だ。海外からも多数の元首や王族、高官が来るそうだ。
 私には関係ないことですと言いたいのだが、そうもいかんらしい。2018年6月23日の「慰霊の日」に平和の詩「生きる」を朗読したSさんが安倍政権に招待されたようだ。あの時、その詩を読んだ私は「また元号を使って」と慨嘆したものだったが、今日の皇室行事に呼ばれてしまった。
 沖縄戦で亡くなった人々は、少なくとも1945年2月の近衛文麿の助言を、当時の天皇ヒロヒトが受け入れていれば誰も死なずにすんだ。こんな沖縄になることもなかった。事の初めから無謀でしかなかったアジア太平洋戦争に突っ込んだのは、一体誰の決断によるのか! 4権の長であったヒロヒトさんですぞ。ここを忘れた「平和」などありない。彼は行政・国会・司法・軍事の4権の長どころか「無責任の長」だった。 
 確かに、天皇制とは個人の資質という奴で判断でき難い制度だから、個人責任を問うことは難しい。だからこそ、私たちがこんな制度をなくしていかなければ、いつまでも無責任という蟻地獄に嵌まったままだ。戦争の悲しみと漂流していくことになる。それがいやだからと、自覚的に忘れたがるヤマトンチュが多数派なのだ。そんな沖縄にしてはならない。沖縄を汚染するヤマトを私たちヤマトンチュが克服しなければならないのだ。
 だから権力に近づくような心性を、元号という日常を断ち切れなくて、何ができるか? 忖度とか、長いものに巻かれろというが、この根源は『天皇陛下』なるものにある。この際だから敢えて言うが、象徴天皇制に抱きしめられた民主主義では、結局権威になびくだけ。
 私が私であるためには、信頼を寄せることができる人をひとり一人つくりだすしかない。権威から遠い世界を生きるしかない。しかし人間は弱い。安倍になびき、天皇になびく。玉城知事も参列するんだよな。まったく!
 
 安倍政権がSさんを招待したのは、沖縄を分断したいからだろう。あわよくば、彼女のような「平和主義者」を「安倍友」にしたいのだろう。
 人間は弱いからこそ、自分と向き合うしかない。自身と向き合う友を作るしかない。私は多数派になびくまい。


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