一夜明けて、私は、辺野古に犬のお散歩に同行した(別稿)。朝、あるかたからお電話を頂いた。選挙の話じゃなかった。ホワイトビーチに着いている船なんでしょうだった。いいのだけど、丁度最悪のタイミングだった。強引に、後ほどかけることに、させていただいた。あとで、車内からかけたら、艦番「48」だという。それは自衛隊でなく、米国海軍のドック型揚陸艦ですよ。ただし私は「48」をど忘れしていた。
もうひとつ、F35Bが海軍埠頭にいるという。え!でした。良く聞いたら船の上。何ですかというので、強襲揚陸艦の「アメリカ」艦番「6」だと教えた。ホワイトビーチを見ている方が、この基本が分かっていないのは、はっきりいうが困る。二隻とも佐世保を母港にしている海兵隊を運ぶ揚陸艦。
在沖米軍は、コロナ禍の拡大で一部の演習を中止しているのだが、これは例年どうりやるようだ。そういう情報はありがたいが、「48」アシュランドを含めて、海兵隊の布陣を学んで頂きたい。
お散歩が終わって、浜テントに行った。前日の強風で、看板が倒れていた。直してあげた。またシート1枚が逆巻き(正しくは内巻き)になっていた。これも直した。昨日の今日なのだから、よほど注意して頂きたい。住民は見ている。見られているの。意識してくださいね。
そのあと、私は那覇まで出かけた。「沖展」の落選作をとりに行くため。不首尾があったが、本一冊を読了。無事にとってきた。
その途中、那覇バスターミナルから沖縄タイムス社に向かう途中で、私の視界がダークになった。しばし、「ここはどこ?」。たまたま広い歩道を歩いていたから良かったが、危なかったかもしれない。視界も記憶もすぐに戻ったが、初めてのことだ。