ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

初めての沖縄から32年目の日に(20210506)

2021年05月06日 | その日暮らし

 本日2021年5月6日は、私が沖縄を訪ねた初日から32年が経つ日だ。1989年5月6日から32年。長かった。短かかった。ひと言では書けない。予定では宜野湾から読谷に行くつもりだったが、先の原稿に手間が掛り、予定のバスに乗れなかった。天気も見ながら考える。

 今、先の原稿を書いていて、新発見があった。2014年の閣議決定の不可思議さだ。唐突に憲法第13条をもちだす悪巧み。この悪巧みが現在のコロナ禍であぶり出されてきた。それで改めて先の閣議決定の前にあった1972年10月の政府答弁を読んで驚かされた。沖縄が日本に返還された5ヶ月後のこと。ここで憲法第13条が取り上げられて、国家の下に基本的人権が議論されている。基本的人権と国家はVSの関係であって、前者は後者(国家)に絡め取られる関係ではないはずだ。まして武力行使という戦争状態になるのだからなおさらだ。そういうことが何のリアルな検討なしに議論され、政府方針に打ち出されたことが安倍政権に活用されてしまったのだ。沖縄が強いられた事態を全く無視した結果だ。

 2014年、2015年の戦争法反対の渦中で、こうした議論が起きたのか? 私は全く記憶がない。ぼけっとしていたのだ。そしてもうひとつの発見は、「島嶼防衛」(「琉球諸島防衛」)論の実戦化は、敢えて緊張関係をつくり出し、抑止力(攻撃力)をたかめるものだ。他国が攻撃され、「国民の生命、自由、幸福追求の自由が侵害される」としたら、お隣の朝鮮半島か、お隣の中国からしかあり得ないではないか。日本国はそこに喧嘩を売っているのだ。緊張を煽りながらの「防衛」とは何か?!オイオイ追いと押しかけながら、相手が引き下がらなければ、切り込む塩梅だ。

 昨日までの私は、「島嶼防衛論」と、解釈改憲がこれほど見事に繋げられた議論だと、思っていなかった。お粗末。問題別に整理してしまうとお互いの関係が見えてこない。マヌケだった。

 私は歩くことを基本にしている。これまでに稚内・知床から与那国島まで、歩いてきた。その度に様々な発見をしてきた。沖縄でも沖縄島各地ばかりか宮古・八重山にも足を運んできた。これに同伴しているのは国土地理院の2万5千分の一の地形図。私の部屋には日本地図と世界地図が置かれており、必要に応じて各種地図を見比べながら検討している。

 佐世保と言えば私にとって軍港佐世保であり、西部方面普通科連隊(2018年から水陸機動旅団)の佐世保だった。昨年末に長崎県川棚町の石木ダム建設反対運動の現場に行き、それが佐世保市民の水道のために石木ダム建設が当然だとなっていることに驚かされた。そんな問題もあったのか?!だった。

 知らないことは罪だし、考えないことは、大罪だ。「公共事業」なるものの暴力性は基本的に同じだ。顧みない行政を、私たちは許さない。人権侵害を熟慮しない行政を許さない。こうしたことは私たちの問題ばかりか、これから産まれてくる子どもたちの運命にのしかかっていく。

 沖縄に来はじめて32年だが、まだ住み始めて8年しかたっていない。友と自然に励まされながら、まだまだ頑張るしかない。これからもどうぞ宜しくお願い致します。



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