ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

5月5日、こどもの日に(20210505)

2021年05月05日 | その日暮らし

 今日も定刻よりゆっくり起きた。2021年5月5日。名護の空は曇。沖縄は本日から梅雨入だとか。昨日は疲れた。そんなわけで、本日何もしていない。「原爆の図」丸木美術館を描いた「ははたちの国へー原爆の図2021」を見た。丸木俊・位里は何故原爆の図を描き、いまの世代はどうそれを受け継いでいくのか。丸木美術館、懐かしい。そういう問題ではないが、場としての丸木美術館、広島は決定的だ。如何に殺され如何に生きたか、如何に描いたか、如何に展示しているかは、場を抜きにありえない。

 沖縄戦跡国定公園が重要なのもそこだ。そこで如何なる殺戮が行われ、死に、生きたのか。場を抜きに生き死に、「自決」もなかった。戦跡公園の意味は、追悼の場だけではない。資料館では代えられない現場を残すことだ。

 チクショー!オスプレイが今飛んだ(13:50頃ー名護の西海岸の自宅)。雲間から音がしたので外に出た。見えた。北東から南西に飛び去るオスプレイ。

 5月5日はこどもの日。私たちおとなは、子どもたちに何を残せるのだろうか。危うい、怪しい時代になった。国を第一に掲げる改憲派の妄動が怪しすぎる。コロナ禍を利用して騒ぎまくる。彼らが理想とする時代、兵士の命など鴻毛の如しだったのだ。人間の命は、国家(天皇)に捧げよ、ふわふわ軽い。

 今私たちが問われていることは、再びそんな時代をつくってしまうのか、否かということだ。命をなげださない、命を全うできる社会ーくにをつくり出したい。初めから出直すしかないようだ。子どもたちの歓声をウルセエ!なんて言ってはダメだ。

 やんばるの森はイジュやソウシュジュが美しい季節だ。こういう森やサンゴ礁の海をこどもたちのために残したい。銭ゲバに未来はないと考えてほしい。銭ゲバは飽くなき戦争を求めているようだ。金になるから。金儲けに手段を選ばない。自分たちだけの幸福追求だ。昔も今も変わらない。

 生きることを、生き抜くことを考える頭をつくらなければ、ならない。隣のうちから、おいしそうな匂いがしてきた。

 丸木俊の「言いたいことがありすぎて」(筑摩書房1987年刊)は「沖縄戦の図」を描いた頃のエッセイ集。おじいやおばあから話を聞き取って聞き取って、書いた図。沖縄の人々に実際にモデルになってもらって書いた図。これは宜野湾市の佐喜真美術館に展示されている。

 こどもの日の今日は、道が混むし、明日、また行ってみよう。

佐喜真美術館HP

http://sakima.jp/

 

 



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