3月23日伊賀上野市へ行ってきました。伊賀上野の見所は数多りますがその一つ伊勢の国津潘(32万石)の城下町で上野城は築城の名手藤堂高虎が改修拡張し完成させた、白亜三層の天守閣が優美な姿を誇り「白鳳城」とも呼ばれている、伊賀と言えば忍者、忍者と言えば服部半蔵、、、最近は外国にも人気で多くの観光客を集めているようです、伊賀流忍者博物館には忍者体験館、忍者伝承館では豊富な実物資料の展示があり忍者について学べる工夫がされている、また忍者アクションショーや忍者体験も出来る。また俳聖松尾芭蕉の生誕地でもあります、前々回奥の細道結びの地大垣に行ったが大垣より故郷伊賀上野に帰省しています。 今回も青春18キップを利用して5名1組の3組15名での実施となりました。 参加者は有賀,嶋津,清水,砂子,高瀬,田中,中西,飛騨,本多,前津,松浦,八幡,高沢,水谷、紀伊、の15名です。敬称略
名古屋駅に8時40分集合しJR関西線で伊賀上野駅へここで近鉄伊賀線へ乗り換え、西大手駅まで2時間強の列車旅、、、伊賀線は忍者観光活性化のため漫画家・松本零士氏作画の忍者列車が運転されている。
西大手駅からすぐ近くに最初の訪問先 国の史跡に指定されている旧崇廣堂がある、藩士の子弟を教育する為に建てられた 藩校で現存するのは近畿、東海地方ではここだけとの事。
崇廣堂玄関 72枚の畳が敷かれた広間型の講堂
次に明治33年建設の現存校舎で県の有形文化財指定で横路利一の出身校上野高校を塀の外から確認し次の昼食場所へ
上野高校明治校舎正門 運動場のネット越しに見る明治校舎
上野城天守への登り口近くに今日の昼食場所「くの一家おもてなし処愛間亭」が在る、
ここは、元は上野町長だった田中善助氏が昭和元年に建てた茶室だそうで、上野公園敷地内で最も古い建物とか?? 長い間廃墟同然だったのを観光実践事業の拠点としておもてなし処に改装し2年程になるとの事。
滝のある和風庭園眺めながらの昼食 今日のメニューは伊賀牛のすき焼き又は豆腐鍋と牛丼
昼食の後伊賀上野城へ築城の名手藤堂高虎の居城で日本有数の高さ(30㍍)を誇る高石垣は映画「影武者」のロケにも使われたそうです。
秀麗優美な姿の別名「白鳳城」 伊賀上野城
天守閣内の展示甲冑、武具、武家調度品、藤堂家関係史料等などを見学し同じ城址公園内に ある俳聖殿へ向かう国指定の文化財・芭蕉翁生誕300年を記念して建てられた聖堂 芭蕉の旅姿を建築で評した八角堂で内部には伊賀焼の芭蕉座像が安置されている、最上部が旅傘、額の部分が顔、下の屋根が衣を表している。
俳聖殿
俳聖芭蕉翁の資料を展示する「芭蕉翁記念館」を経由して伊賀流忍者博物館へ 実物の忍者武具の展示や、しかけ、からくりを一堂に集めた忍者屋敷、また忍者体験館
海外からのお客様も多い様で英語、フランス語、イタリア語、スペイン語等の案内表示もある。
忍者屋敷ではくの一に扮した案内嬢が屋敷に隠されたしかけ、からくりをを実演でリアルに再現し正に現代のくの一だ。
伝承館では忍者にまつわる色々な道具、資料、武具等々豊富な展示により、忍者について良く学べた。
忍者博物館を出て今回最後の予定の芭蕉翁生家に向かう。ここでは管理案内の方に芭蕉翁51年の生涯をかいつまんで話して頂た、芭蕉はこの地に29歳まで住み江戸へ出て俳諧師として身を立てていた。また先先回の歴史探訪「奥の細道」結びの地、大垣へ行ったが芭蕉もこの時大垣から伊賀上野へ帰省している。現在の建物は芭蕉当時の物でなく江戸時代末期の建物と考えられて居るそうです。
芭蕉翁生家
生家内部 芭蕉翁誕生の地を示す句碑と石碑
「古里や臍のおに泣としのくれ 」
約4時間ほどの伊賀上野城公園を中心に歴史散策でしたが無事終了し伊賀線上野市駅より帰路についた。
上野市駅前広場に立つ芭蕉翁銅像と特異な屋根の形をした上野市駅舎